「イザナギとして滝行」をすると何かが起こるのか! 2018.10.10

昨日の夜、「あ、滝行、やんなきゃ!」と思い、導師に連絡。今朝、篠栗町にて滝行、行ってきました。
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終了後、最近にしては珍しくご指導をいただきました。滝の中で印を組むとき・・・と。何かあったのかと聞くと、「そろそろ、御神さんが・・・」と言われるだけで、具体的な言葉はありませんでした。しかし、感じることはあります。


私が導師から受け継いだ作法は修験の方式です。滝行には神道と仏教(密教)の両系統があるのですが、その折衷と言っていいのかな。導師は天台修験ですので、神道と密教をまたぎます。なので、滝に入ると最初に禊祓(天津祝詞)を唱え、般若心経、観音経、お真言と続きます。


今朝、導師からご指導を受けたのは「九字の印」、つまり密教の作法についてですが、「御神さん」との言葉はいただきましたので、何かが起こっているような。そもそも最初に唱える「禊祓(天津祝詞)」とは何か。簡単に要約するとこう。


「高天原に集まっている神々」の命を受けた「天皇陛下の祖であるイザナギ」が「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」で禊(みそぎ)をした時に産まれた神々の皆さんへ、私の罪や穢れを浄化したいのでどうかお聞きくださいませ!



これは「古事記」や「日本書紀」に出てくる話、まんまなのですが、それぞれの意味を簡単に。


「高天原に集まっている神々」

高天原(たかまがはら)とは神聖な場所であり、宇宙とも現世とも言われます。そこにいろんな神様がいて、最初に出てくる天之御中主神もいらっしゃるわけです。



「天皇陛下の祖であるイザナギ」

イザナギは男性の神。妻であり妹でもあるイザナミとの間に「日本」を造るわけですが、イザナミは「火の神(カグツチ)」を産んだときに火傷を負い、お亡くなりになります。イザナギはイザナミを追ってあの世(黄泉の国)に行くのですが、そこで穢れを受けてしまいます。



「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」

イザナギは黄泉の国で受けた穢れを浄化するために「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」に行くのですが、そこはどこなんでしょう? 宮崎県の高千穂にあるとの説が一般的ですが、北部九州説も強いです。

「筑紫」とは福岡県であり、九州全体のことを指していた。また、今月の1日で消滅しましたが「筑紫郡」は私が住む地域であり、唯一の筑紫郡であった那珂川町は那珂川市へと生まれ変わりました。

「日向」は宮崎県日向市の説もありますが、福岡県にも日向峠があります。「橘」は宮崎市に橘通りってのがありますが、福岡にもありまして、ただ、これらは具体的な地名ってことではないでしょう。

「筑紫」だけは地名だとしても(いや、元は違うけど)、「日向」は「太陽が向かう場所」とか「橘」は「立つ鼻(岬)」くらいかもしれない。

「小戸」は福岡にそんな地名がありますが、「小さな場所」くらいで、「阿波岐原」は宮崎にありますが、さすがにこれは神話から無理やり引っ付けた地名でしょう。阿波岐は「あわき=淡き」であり、「海水と淡水の混ざった川原」だとすれば、那珂川とか室見川ら辺かな。

私が福岡に住んでるからってわけじゃないですが、ストレートに地名がある宮崎よりも、意味的に福岡と考えた方が自然かも。とりあえずそう考えます。



で、神話によるよ、イザナギが「水」で身を清める際に脱いだ衣服やらが神様となり、そして「瀬の深いところで底筒之男神が、瀬の流れの中間で中筒之男神が、水表で上筒之男神が」、それぞれ産まれ、それらは「住吉三神」と呼ばれます。


さらに左目から「天照大御神」、右目から「月読尊(つくよみ)」、鼻から「素戔嗚尊(すさのお)」が産まれ、後に岩戸の話などにつながるわけです。


ところで「住吉三神」の元宮は実は私の家から徒歩3分ところにあり、それが現人神社です。全国の住吉神社の発祥のお宮です。なお、ここから徒歩20分のところに全国的にも珍しい天之御中主神社もあります。



なんか感じたので、ちょっとまとめます。


イザナギが「黄泉の国」で受けた穢れを浄化するために禊をする、これが祝詞の禊祓(天津祝詞)。この祝詞では「イザナギが生んだ神様たち、今から浄化するから見ててね~」って呼びかけるのですが、ここで生まれた神々が住吉の神様や天照大御神たち。


この祝詞、滝行を始めた14年前からずっと唱え続けています。さほど意味も考えずに唱えてたのですが、これを唱えると「浄化」が起こり、神々が「再生」される。私は算命学ようこ先生から「滝行をしないと死ぬ」と言われており、人生において重要な習慣。


北部九州、つまり私が住んでる場所でかつてイザナギは行をした。その時に産まれた住吉三神の元宮は家から徒歩三分にある。滝の場も近くにある。


滝行とは、つまり「イザナギの行」だったのか。そして滝行をすることで、常に浄化され、いろんなもの(著書、セミナー、仲間、お金、機会など)が産まれている。


もしかしたらこれから先、「神として滝行」をする、言い換えると「イザナギとして滝行」をするため、ますますいつも唱えている「禊祓」の重要性が帯びてくるのかもしれない。


じゃあ、「黄泉の国」ってどこだ。そのまんま「穢れ地」のことで、様々な欲望、念、恨み、痛みなどが渦巻いている、ようするに「社会」ってことでしょう。私は良くも悪くも「念」を受けやすく、この大きさ、多さもステージが上がるにつれて高まって行く。


だからこそ、今回の行で導師から新たなご指導を受けたのかもしれません。「黄泉の国=社会」に行くのは私の役割。そこで受けた様々な「穢れ」を定期的に滝で浄化し、新たに還元し、再生する意味があるわけだ。まさに「浄化と再生」だ。


さあ、これから何が起こるのだろうか。10月20日は東京で「全出し」だし、それまでしっかり浄化しておきたいと思います。ありがとうございました。

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by katamich | 2018-10-10 23:39 | ■滝行 | Comments(0)