なぜ「期待」は人を不幸にするのか?ゼロベースの瞑想とは?  2018.8.27

本日、夜中に7日間の滝行を満行しました。これで2018年は7回目となったので、残り4か月間で5回やれば100日となります。実際は7日ではなく御礼の滝があるので8日、12か月で96回ですが、別の日に4回くらいは行ってますので年間100回になるわけです。夜中にYouTubeの動画撮影しました。




近頃はブログ+YouTube+LINEを毎日、メルマガ、FBなどネットに配信する回数がどんどん増えています。そして日々改善しながら、世界がどう変化するかの実験を繰り返す。Qさんの動画はウザい。でも、ウザいのがクセになる。とても嬉しいお言葉をいただいています。さて、今日はまたご質問にお答えしましょう!


私は10年ほど前に病気を患いまして長らく生活保護を受給しています。 今51歳です。
治療を含めいろいろなケアをしてきて、アップダウンを繰り返しながら、最近デイケアに通所し始めました。
色んな事に興味もあります。
それらを体験するには、もちろんお金がかかります。
お金の心配の前に、先に行動する!というお話は
良くわかるつもりですが、やはりどうしてもそういうわけにも行かないです。

しっかり収入を得るにはしっかり働く!
これには安定した健康も必要です。
体重があまり増えてくれません(´;ω;`)

急いで書いていまして、支離滅裂で申し訳ありませんが、こんな状況の私にメッセージ(答え?)をよろしくお願いします。



まず、色んな事に興味があるのは、素晴らしいですね。私も色んな事に興味があり過ぎて溺れそうです。しかし、それらを体験するにはお金がいる。先に払えばいい。それも理屈としてはわかるが、そういうわけにもいかない。しっかり働きたいけど、健康に不安がある。体重が増えない。


でも、そもそも「生活保護」を受給しているのが素晴らしい。日本国憲法第25条が個人の生活をしっかり守ってくれる。


「幸せ」とは何か。それを一言で表現すると、「感謝できる心の状態」です。同様に「不幸」とは「感謝できない心の状況」だとすれば、イコール、「感謝」が「幸せ」であり「豊かさ」でもある。


あるところに売れない画家がいた。画廊に持ち込んでも取り扱ってくれない。路上に並べてもほとんど見向きもされない。明日の生活を心配しながら、でも、自分には絵を描いて売るしか生きる術がない。

ある日、いつもの路上で絵を並べていたら、一人の老人の目に留まり、「素晴らしい」と言って一枚買ってくれた。それも値段も聞かず、ポンと実際の10倍ものお金をおいてくれた。

その画家には、老人が神様のように見えた。とても「幸せ」な気分になった。もっと絵を描きたい気持ちになった。

1か月後、また老人が現れ、今度は絵を3枚買ってくれた。同じように値段も聞かずに、たくさんのお金をおいていった。幸せな気分になった。

しかし、翌日、その老人は来なかった。その次の日も来なかった。画家はだんだんとイライラし始めた。1か月後、老人がやってきた。画家は思わず言ってしまった。

「久しぶりですね。いつもあなたが来るのを待っているんですよ」

老人はごめんごめんと言って、絵を10枚買ってくれた。もちろん値段も聞かずにお金をおいていき、画家は再び幸せな気分になった。

翌日、老人はまた現れ、画家はとても幸せな気分になったが、老人は脇に絵を抱えていた。しかし、それは自分の絵じゃなかった。画家はイヤな気分になった。

「その絵は私の絵じゃないですよね?」

老人はごめんごめんと言って、絵を5枚買ってくれた。しかし、昨日は10枚だったのに、今日は5枚。画家は再びイヤな気分になった。

その翌日、老人は来なかった。その翌日も来なかった。画家はどんどんイライラが積もっていった。

1か月後、ようやく老人がやってきた。

「こら!貴様、オレが毎日、どんな気持ちでいたのか、考えたことあるのか!!」

老人は何も言わずに、その場を立ち去った。
なぜ「期待」は人を不幸にするのか?ゼロベースの瞑想とは?  2018.8.27_b0002156_16574241.jpg



よくある話を一つの寓話にしました。これは「期待」が人を不幸にするって話。この売れない画家は、最初、この老人に会ってとても幸せな気分になった。10倍もの値段で買ってくれたので、いっそう幸せな気分になった。


次は3枚も買ってくれて、さらに幸せな気分になり、老人への「期待」が高まった。そしてその老人が来るのを待つようになった。来ると「期待」し始め、しかし期待通りに来てくれなくて、イライラし始める。次に来た時は期待を上回る10枚を買ってくれて、再び幸せな気分にはなった。


だけど、翌日も来てくれたものの、別の画家の絵を持っていて気分が悪くなり、しかも、5枚しか買ってくれなかった。翌日も老人は来ず、イライラが爆発し、1か月後に老人の姿を見たとき、思わず暴言を吐いてしまい、画家は再びひとりぼっちになった。


最初はゼロだった。それが1になったとき、「ありがとう」と「幸せ」な気分になった。さらに、3になり、「期待」のハードルが上がり、さらにさらにどんどんハードルが上がり10にまでなった。

となると、「10」が「あたりまえ」となり、それ以下だと9でも8でも不幸な気分になる。「期待」はインフレーションするのだけど、相対的に「感謝」は低下し、その分、不幸な気持ちになる。そして「不幸な気持ち」は「不幸な現実」を引き寄せるため、最終的にすべてを失うことになる。


スピや自己啓発で言われる「感謝」って実はすごく深い。どんな人でも最初は「ありがとう」。だけど、一度、「ありがとう」の状態が固定化されてしまうと、そこが「あたりまえ」になり、逆説的に、「幸せ」になればなるほど「不幸」になってしまう。


では、このような事態を避けるにはどうすればいいか。その秘訣は「ゼロの瞑想」です。


画家の例で言うなら、老人が現れる前の状態に身をおいてみる。1日5分でいい。老人がどんなに絵を買ってくれたとしても、1日5分は「ゼロ」のベースに身をおく。ご飯が食べられること、歩けること、目が見えること、耳が聞こえること、息ができること、生きていること。


「ゼロ」に身をおけばすべてが感謝。つまり「幸せ」な気分になる。その「幸せ」はやがてまた「幸せ」な現実を引き寄せ、状況はどんどん良くなる。それでも1日5分間、「ゼロ」に身をおくので、「期待」は上がらず、常に「ありがとう」の気持ちでいられる。


この質問者の方、詳しい状況はわかりませんが、病気をした時、とてもショックだったでしょう。もう、生きていけない。だけど、生活保護なる制度があり、毎月、受給することができる。それで、医療費は不要、住める、食べられる、生きていける。

だけど、その状態が「あたりまえ」となり、世の中のいろんなうらやましい人たちに目が向けられ、「ゼロ」でいられなくなる。「不幸」な気分になり、たまらず、Qさんのブログに質問してみた。


実は上の動画で語ってしまってるのですが、10年前、100日間の滝行をして、最終日、24時間の四無行(食べない、飲まない、寝ない、横にならない)をしました。夜中の0時から日の出までお堂で「観音経」を唱えるのですが、その時、「生きてるって素晴らしい」と涙が出てきた。真にそのような「ゼロ」からの感謝につながったとき、人は一番強くなれる。


「ゼロ」になること。それがまさに「浄化」であり、「元に戻る」なんです。


何者かになろうとする必要はない。「ゼロ」を思い出す。すると、事態はどんどん好転する。自戒を込めて、書かせていただきました。ありがとうございました。


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Commented by あきこ at 2018-08-29 20:58 x
このブログを読んで頭を殴られたような衝撃を受けました。
今の自分も質問者さんのように外にばかり目が向いていて、今あるものに感謝できていませんでした。
Qさん、質問者さん、ありがとうございました。
Commented by みお at 2018-09-04 09:42 x
ここにコメントしていいのかな??画家の動画、衝撃でした!!まさに自分のことすぎてドキドキしました・・・
私は風俗嬢なのですが、閑散期に入ったことにより、今まで何もしなくても忙しかったのに急に暇になったことで焦り、写メ日記という風俗業界のブログみたいなのをガンガンあげて客を呼ぼうとしました。アクセスがガン上がりして、また前みたいに忙しくなると期待してました。なのに、先週暇でした。怒り狂って、写メ日記に暴言吐きまくり!!!!笑

いやーん、画家さんと同じじゃん・・・

客をめちゃくちゃコントロールしようとしてました。
お前らが忙しいとか金無えとか知らねえよ、来いや!!と思ってまたそれを書くところでした。コワイよ・・・笑

普段Qさんのブログとか読まないのに(すみません!!)たまたま見つけて、こうやって衝撃うけて、っていうこのことにも興奮!笑

ありがとうございました。
わお!笑
感謝で終わった!!!笑
Commented by katamich at 2018-09-10 08:09
> あきこさん
ありがとうございます😊
Commented by katamich at 2018-09-10 08:10
> みおさん
ありがとうございます^_^
by katamich | 2018-08-27 23:39 | ■人生哲学 | Comments(4)