偶然の一致
2005年 06月 02日
彼に会うために起こった「偶然の一致」≒「意図ざる結果」を羅列すると以下のようになります。
①初日に殴られて4万円をむしりとられなかったら
→予定通りバラナシからネパールに行って、ブッダガヤーには行かなかった
②送金のためのロスタイムがなかったら
→やはり予定通りネパールに行って、ブッダガヤーには行かなかった
③デリーからブッダガヤーまでの直接列車が取れていたら(実際は仏陀の誕生日に重なり予約がフル)
→バラナシより先にブッダガヤーに行き、占い師が来る前にブッダガヤーを去っていた(占い師が来たのは27日以降)
④ブッダガヤーであったアショカに最後まで不審の念を抱いたままだったら
→当然、占い師と会うチャンスもなかった(アショカが占い師と知り合いだったことも偶然)
⑤普段はクシーナガルに住んでいる占い師が27日以降仕事でブッダガヤーに来ていなければ
→当然、私とは会えなかった
⑥初日に4万円取られてなかったら
→「運命の石(110ドル)」は買えなかった
(結果的に親からの5万円送金があったから買えた。帰国時の所持金は80ドルだったので。)
とまあ、このように「本当はこうしたかった」と思う(意図する)ことが外れたおかげで、占い師とも会うことができたのです。「運命」とは本人の意図せざるラインで流れており、やはり全てが「必然・ベスト」であることは間違いなさそうです。特に私の場合、殴られて金を取られたことも、送金が必要になったことも、デリーから直接ブッダガヤーにいけなかったことも、すべて意図せざることでありながら、すべて、何かの「前兆」であると考え、「感謝」していたのがよかったと思います。
本来なら予定通り進むことがよく、また、殴られたり、金を取られたりなどはあってはならないことです。であるにも関わらず、命や健康、思い出(日記・写真等)など本当に大切なものはなくならず、「お金」のような取り返しのきくものですみ、また、命や身体にまったく別状がなかったのは、本当に「ツイてる」としか言いようがなく、「感謝」する以外に出てくる思いがありません。
何が起こっても必然・ベスト。普段から考えていることが、短期間のうちに本当に実証され、これからの人生においても大きな自信がついたこと自体、今回の旅の成果であったと思っています。
やはり、私は本当にツイてるようです(笑)