偶然の一致

 今回のインド旅行のクライマックスは何と言っても、ブッダガヤーでの「運命の占い師」に会ったことでしょう。占い師の言った内容については、後ほど詳しく書きますが、彼に会うには様々な「偶然の一致」が必要となってきます。最初から会うつもりで行ったのではないので、本当に偶然が重なったのです。しかし、言うまでもなく「偶然の一致」とは「必然」の意味を持ちます。

 彼に会うために起こった「偶然の一致」≒「意図ざる結果」を羅列すると以下のようになります。

①初日に殴られて4万円をむしりとられなかったら
→予定通りバラナシからネパールに行って、ブッダガヤーには行かなかった

②送金のためのロスタイムがなかったら
→やはり予定通りネパールに行って、ブッダガヤーには行かなかった

③デリーからブッダガヤーまでの直接列車が取れていたら(実際は仏陀の誕生日に重なり予約がフル)
→バラナシより先にブッダガヤーに行き、占い師が来る前にブッダガヤーを去っていた(占い師が来たのは27日以降)

④ブッダガヤーであったアショカに最後まで不審の念を抱いたままだったら
→当然、占い師と会うチャンスもなかった(アショカが占い師と知り合いだったことも偶然)

⑤普段はクシーナガルに住んでいる占い師が27日以降仕事でブッダガヤーに来ていなければ
→当然、私とは会えなかった

⑥初日に4万円取られてなかったら
→「運命の石(110ドル)」は買えなかった
(結果的に親からの5万円送金があったから買えた。帰国時の所持金は80ドルだったので。)

 とまあ、このように「本当はこうしたかった」と思う(意図する)ことが外れたおかげで、占い師とも会うことができたのです。「運命」とは本人の意図せざるラインで流れており、やはり全てが「必然・ベスト」であることは間違いなさそうです。特に私の場合、殴られて金を取られたことも、送金が必要になったことも、デリーから直接ブッダガヤーにいけなかったことも、すべて意図せざることでありながら、すべて、何かの「前兆」であると考え、「感謝」していたのがよかったと思います。

 本来なら予定通り進むことがよく、また、殴られたり、金を取られたりなどはあってはならないことです。であるにも関わらず、命や健康、思い出(日記・写真等)など本当に大切なものはなくならず、「お金」のような取り返しのきくものですみ、また、命や身体にまったく別状がなかったのは、本当に「ツイてる」としか言いようがなく、「感謝」する以外に出てくる思いがありません。

 何が起こっても必然・ベスト。普段から考えていることが、短期間のうちに本当に実証され、これからの人生においても大きな自信がついたこと自体、今回の旅の成果であったと思っています。

 やはり、私は本当にツイてるようです(笑)
Commented at 2005-06-02 20:06 x
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by katamich | 2005-06-02 01:06 | ■インド | Comments(1)