20年前に巻き戻し、人生を考える 2018.8.11
2018年 08月 11日
このまんま通った道を戻るのは面白くないし、そもそもきつい。だったら、ここから天草の本渡市まで自転車からフェリーで行き、自転車を輪行バックに入れてバスで帰るのがいいかもな。いずれにせよ、どっかでバスは使います。
さて、ゼミ合宿は学生の発表が中心となるのですが、もっぱら「社会福祉サービス」に関するもの。私の恩師の豊田先生は文字通り「恩師」であり、大学の学部からなので、かれこれ25年の付き合いになります。ゼミが始まる前から「この学生は変わってて面白い」と思っていたそうで、大学二年時に「演習」の授業があり、それはとても人気だったので定員がある。面接もあり、当然、入れなかった人もいたのですが、私は部屋に入った瞬間、合格。待ってましたとばかりに。
そこでちょっと雑談してから、それ以来となりますが、大学4年の時のこと。私の中ではすでに「卒業後は世界一周をする」と言っていたところ、ちょうど卒業の年に大学院ができる。
「とりあえず大学院、受けてみたら。旅から帰ると勉強したくなるから。もししたくなかったらそこで辞めたらいいから」
こんな軽い動機で「大学院」なるものを受け、合格し、入学式の当日に休学届を出したのが24歳。そして本当に世界一周をしてしまい、帰国後二年間、修士課程できちんと勉強しました。二つの学会で発表もしたし、いろいろ視野も広がりました。その間、経済学、社会学、哲学を中心にそこそこに勉強し、修論のテーマは「社会保障」について。本当は「福祉国家論」をやりたい言ったのですが、それは博士のテーマだからダメだと言われ、ちょっと下げて社会保障の中でも「年金」について修論を書きました。確か10万字くらいは書いたのですが、今思うと、あれは論文と言うより「新書」のような内容かと思われ。
でもまあ、あの時にすでに「本を書く」ための体力づくりができていたのか、それが今にも生きているようなきがします。だから毎日こんなブログを書き、そして本まで出版してしまう。でも、そもそもそんな「星」のような気もするわけですね。
ただ、大学院を修了してからはかなり苦労の連続。浪人とか休学とかしていたので、気がつけば27歳。実は修了してから別の大学院に進んだのですが、肌が合わずに3か月で退学。今思うとあの3か月間、なんだったんだろう。お金がなくて、アルバイトをしようにもどこも雇ってくれない。塾講師や家庭教師もダメ。日雇いの単発バイトにも登録だけして声がかからない。
ゴールデンウィークのこと、ようやく5日間の工場のバイトをすることができた。コンビニのお菓子の箱詰めのバイトで、日給6千円ちょいだったと思う。5日間で3万円ちょい。その3万円がどんだけ嬉しかったことか。そして間もなく大学院を辞める決心をしたのだけど、実は1か月だったか2か月だったかも覚えていない。3か月はいなかっただろうって感じで「3か月」とは言っているものの、実際、大部分が記憶から抜け落ちている。
その後、ようやくと就職活動を始めるものの、当然のこと、どこからも雇われない。アルバイトからも採用されず、「ビッグトウモロー」などのビジネス雑誌も見る。当時はまだネット黎明期だったと思うけど、でも、あの時から強烈にネットの可能性は体感していた。あの時、ホリエモンや2ちゃんのひろゆきをはじめ、いろんな人がいろんな仕掛けをしていた。
ただ、現実は厳しい。自分に欲しかったのは「出口」だ。このモヤモヤした状況からどうすれば出られるのか。雑誌も読んだ、テレビも見た、図書館にも行った。何をすればいいのかわからないが、重要なのは動くこと。そこで思いついたのが、手紙を書くことだった。それまでご縁のあった人に手紙を書き始めた。すると一人、後々に大変にお世話になる方から連絡があり、よかったら一度会ってみようと言われた。完全なる、単なるお情けなんだろうが。
県の部長をへて、外郭団体にも天下りして、その後、民間シンクタンクの所長をしている。結果、私はそこに契約社員として入社することになったのですが、数奇な運命だな~と思います。理系の職場なので、話は聞いてくれたものの、本社の社長からすれば「誰だそれ?」みたいな感じ。しばらく返事がないので電話してみると、こんなご返事。
「ああ、ごめんなさいね。気にされてたんだね。うちはやはり理系の職場だから、文系出身者は採用しないんだよね」
この瞬間、間髪入れずこう言っちゃいましたね。
「だったら1か月間、無料で置いてください。何でもやります。それでもし使いどころがあったらアルバイトでも雇ってください!」
こうなると、もう一度聞いてみるか~ってことになり、無償は良くないので福岡県最低時給でアルバイトに雇われ、そしてひょんなことから翌年4月より契約社員での採用の流れ。その会社には4年間いたのですが、いろんな仕事をすることができ、とてもありがたい経験でした。
2001年から2004年くらいまでが会社にいまして、2005年に退職。理由は「イヤになったから」であって、ただ、あの時は完全にスピリチュアルな流れがあり、もう逆らえなかったもんだ。そして、今に至る。人はどんどん変化する中で、最近はこんな動画を作ったりしています(笑)
大学院にいたのはちょうど20年前。この20年間、いろいろあったなあ。その当時に同じく学生だったかとも、ほぼほぼ20年ぶりに再会しまして、その方は大学の教員をされています。20年。長いようだけどあっと言う間なのかな。感覚的には10年もないような気がしているけど、これからの20年はもっと速いんだと思う。今日はその20年を一気に巻き戻す感じで、ひとり感慨深くなるのでありました。
いろんな発表がありましたが、大半は現場寄りの内容なので、あまり実感がない。でも、思ったことがある。それは、
「いろいろ必要なんだな」
ってこと。たとえばガン告知された人、ガンサバイバーの人、自分だけじゃなく家族や周辺にも影響する大きなこと。そのような方のケアはどうすればいいのか。セルフヘルプグループもあり、ワークショップもあり、いろんな公的民的サービスがある一方で、スピリチュアルなアプローチもある。それこそ人それぞれなんだ。だけど、誰かが必要としている。
私だったらガンサバイバーのワークショップには参加せず、「なるようになる」と達観した状況でいると思うし、いたいと思っているけど、99人に必要なくても、1人に必要あれば、それはどんどん提起していくべきなのだ。世の中にムダはない。アメリカのある哲学者の話。
海岸を散歩していると、
少年がヒトデを海に投げていた。
何をしているのかと尋ねると、
少年は「海に戻してやらないと
ヒトデが死んでしまう」と答えた。
私はそんなことをしても、
海岸中がヒトデだらけなんだから、
すべてのヒトデを助けられないし、
意味がないだろうと言うと
少年は少し考え、
またヒトデを海に投げた。
そして私にこう言ったのだ。
「でも今投げたヒトデにとっては
意味があるでしょ」と。
ソーシャルサービスもそうだ。そして私のような情報発信もそうだ。私の場合は好きでやってるだけながら、こんなブログでも読んで良かったと思ってくれる人がいたら、それは私の喜びでもある。全員を幸せにはできないが、「一人」の幸せにつながれば、それでいいと思う。「一人」が何かを感じてくれれば、それでいいと思う。
これからもヒトデを投げ続けたいと思います。それは他人のためよりも、むしろ自分のためかもしれないですが。ありがとうございました。
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