お・れ・は・な・ぜ・こ・こ・に・い・る? 2018.7.19
2018年 07月 19日
説明しましょう。10日ほど前、とある方より、「Qさん、みせんに行ってください!」とものすごい勢いで連絡がありました。みせん?どこそこ?みせんは「弥山」と書くそうで、広島県の宮島にある。4年前のチャリ旅の時に宮島には寄ったけど、弥山は知らなかった。知ってても時間もないしスルーだったろう。
経緯はこちらに書いたのだけど(リンク先のURLの末尾が奇しくも639だ)、2年前にhappyちゃんが「新城島(パナリ)」から「弥山(みせん)」にいっていた記事をたまたま読み、オレも7月29日に「新城島」に再び行くことからピント来たのだと。
これを知らせてくれたのが、5月19日に岡山で初めてお会いした「弥子(みこ)さん」だ。おそらく今年会った中で断トツで印象的な人なのは間違いない。普段は普通の仕事をしている一般の人なので、どこまで書いていいのかわからないけど、完全に「サードアイ」が開いているようで、すべてを見通してる感がハンパない。
たとえばオレがある人の名前を言っただけで、「その人、ダメ」とか「その人、波動高い」とか、オレが思っていることと、まったく同じことを言い始める。何かに迷ったら、参考までに意見を聞くと、間違いない返答が返ってくる。情報など不要。聞かなくてもわかると言う。
その弥子さんは、5月にお会いして以来、時々、変なメッセージを送ってくる。不動明王がどうとか、チャクラがどうとか、、、う~ん、どう書けばいいのかな。ちなみに普段はコンタクトで、裸眼だとほとんど見えてないようだけど、その分、サードアイで見ているのか、相手の本質をいつも直撃する。だから、弥子さんの身近な人からは、かなり神格化されているようだ。
ともあれ、弥子さんに言われたら、気になって仕方なくなる。レコーディングが終わる日がわかってなかったので、帰りの飛行機を取っていなくて、東京から広島までのを最近予約したばかりだ。オレは昨日のうちに広島に着き、弥子さんは10時に宮島に来た。
今日はビックリするほど暑い。絶好の山登り日和なわけない。後から地元の方と合流して言われたのだけど、こんな日に弥山に登るのは完全にクレイジーだと。どおりで「外国人」しかいなかったわけだ。
まずはフェリーで宮島に渡り、ロープウェーで一気に弥山へ。あ、来れた。これが第一の印象。実際、最近は集中豪雨だったり、猛暑だったり、弥山に登れるとは到底思えなかった。だけど、弥子さんが「行けるようになっとる」と言うから、そうなんかなと思っていたら、いつの間にか来ていた。やっぱり「呼ばれてる」って本当だったのかな。
頂上から少し降りて「三鬼堂」へ。ここで弥子さんからちょっとわからない話を聞く。2年ほど前、地元の友達とここに来たんだそうだ。そこで「Yそうりょ(何度聞いても覚えられない名前なので)」と言う、ちょっと風変わりな僧侶と出会い、ご祈祷をいただいた。すると弥子さん、魂を抜かれたようで、豹変する。そこでその僧侶からある質問をされる(プライバシーがあるので書きませんが)。
するとその僧侶、不動明王の「火」を入れたそうだ。その後、弥子さんは完全に姿顔かたちが変わったのだけど、現実的にそのきっかけを与えたのが、私の友人のマイさんとかつみさんだと言うから、世の中は狭すぎる。
弥子さんはそこでご祈祷を受けたとき、違う自分になってしまい、だから来るのが怖かったそうだ。けど、滝行1,500回やって不動明王真言を普段から唱えてる人とだったら大丈夫だろうと、ある意味、連れてこられたのかもしれない。小僧さんがいたので、三鬼堂の扉を開けてもらい、入った。弥子さんは最初は躊躇したようだけど、オレがすんなり入ったので、入れたようだ。
へ~と思って見回していると、本堂に真言宗のお経がある。パラパラ見ていると、知ってるものばかりだ。そこでおもむろに、
無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇
我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋癡
と唱えると、意図せずしてか「オレの祈祷」が始まってしまった。観音経を唱え、いくつかの真言を唱え、何となく終わってみると、弥子さんはホッとしていた。魂を抜かれずに済んだ、私も強くなった、と。
霊火堂。これは1,200年、消えずの火があり、ここのお湯を飲むと「万病に効果がある」「幸いが約束される」と言われ、ご利益を求めて多くの人が来られる。が、今日は「外国人」ばかりなので、知らなかったのだろう、このお湯を飲んだのは我々だけだった。本尊は不動明王。
弥山本堂。本尊は虚空蔵菩薩、脇が不動明王、毘沙門天。言い伝えによると、弘法大師空海は唐から帰った後、福岡経由で宮島に来て、弥山を開いた。そしてこの本堂で「虚空蔵求聞持法」を行じたと言われる。
めちゃくちゃいい体験ができたのだけど、正直、常軌を逸するほど暑い。よく熱中症ならなかったもんだと、後々ビックリした。弥子さんの友達の地元の人とお会いした時、めちゃくちゃ驚いていた。でもロープウェーからの景色は抜群だった。
いつの間にか二時回っていたので、ちょっと遅い昼ごはん。牡蠣のお好み焼きなのだ。
さて、ここからまた面白いことが。今回の弥山、弥子さんから「ある人が呼んでいる」と言ったのも大きかった。それが2年前にご祈祷を受けたY僧侶なんだけど、実はその時、余命三か月と言われていたそうだ。そんな身体で祈祷をし、魂で不動明王の火を入れたのか。あれから二年がたつ。宣告通りだと、この地球上にはもういないはずだ。
だが、「呼んでいる」はやはりそうだったのか、まだご存命だった。大聖院に行ったとき、弥子さんが「いた」と指さした。こんにちは~と近づいていくと、Y僧侶はしっかり覚えていたようだ。私のことはお坊さんだと思っていたようだ。確かにいろんな人から挨拶されるわけだ。
開口一番、「まだ生きてます」と。あの後、何度か手術をしたそうだけど、心臓を9時間止めて、肝臓、大腸、胃袋など切除した。麻酔に入る前、お医者さんんと「目が覚めたらハイタッチしましょうね」と言って手術に入った。つまり、ハイタッチできない可能性も大いにあり、目が覚めたら、20人ほどの医師・看護師がいて、全員とハイタッチしたそうだ。まだ、この世でやることがあるんだな。
今日は別の方のご祈祷の役なんだけど、手続きだけはY僧侶がしてくれた。
「福岡県、那珂川町っすか!オレ、片縄っすよ!」
え?片縄?片縄ってオレの近所の?てか、一年前は片縄だったよ。ちまり、Y僧侶の実家は近所だったのだ。Y僧侶、その昔、プロのドラマーとして「めんたいロック」を奏でていた。チェッカーズとも顔見知りで、ドラムロゴスや照和でもよく叩いていた。その後、歯科医となり、どういうわけか僧侶となり今に至る。人生はロックだよ。Y僧侶はそう教えてくれた。
その後、別の方から普通にご祈祷を受けたのだけど、普通に始まり、普通に終わり、弥子さんには何の変化もなかった。完了していたんだな。
あ、そうか、オレは宮島に来てたんだな。
その後、弥子さんの地元の友達と少し会い、オレは福岡へ、弥子さんは岡山へ帰って行った。矢沢タオルがよく働きファンキーな感じだった。一週間の出張、これにて終わりました。次は石垣島だ。ありがとうございました。
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