【地蔵菩薩】それにしても「霊」って何だろうね? 2018.7.12
2018年 07月 12日
それでは本日もコメントのご質問にお答えします!
Qさんの文や声からいつも元気なエネルギーが溢れてくるかのようです。
ありがとうございます!
良く霊感占いではないのに占いをしていると霊的に見えてくるとか、そういう人と接していると自分も感応して見えてくるとか言います。
それって低級な存在なのではないかなと思って、以前、不思議な経験をした私は警戒して、最近は占い的なものより自分に聞くスタンスに変えました。
霊的な存在に興味がある人たちと接していると、自分も感応して見えてくる。これは大いにあると思います。いわゆる同調圧力のようなものもあるのでしょう。あるスピなコンサートに行ったとき、いかにもスピな中年女性グループが「天使、いたよね~」など話をしていました。おそらく、本当に見えていたわけじゃなく、「そのグループでは見えていないと都合が悪い」から見えたことにお互いしていたのでしょう。すると、本当に見えたような気になるんです。
そもそも「霊」とは何か。これは何度も言ってることですし、私の考えでしかないと思いますが、ある種の「感覚」のことを我々は「霊」と呼んでいるのです。「低級な霊」とは「嫌な感覚」のことで、しばしば自分の優位感覚(視覚や聴覚など)を通して、それが見えたり、聞こえたりの「錯覚」があるだけ。もっとも、本当に見えたり、聞こえたりする人もいるのでしょうが、それは一般的に「統合失調症」と呼ばれます。
ただし、統合失調症や発達障害などの「名称」は最近のことであって、たとえば私の幼少期にはほとんど聞きませんでした。おそらく今なら特別学級に入るであろう、ある主の発達障害があったとしとしても、当時は普通のクラスに普通に学習していました。ただし、イジメなどにあいやすいケースもあり、クラスを同じすることの功罪はあるでしょう。
つまり、「見える人」を統合失調症とラベリングしたとしても、それは今の時代の「名前」の問題に過ぎず、大きな括りでは、「普通の人」なんです。なので、「症」や「障害」とレッテル張りすることについて、私は賛成ではありません。
また、「占い的なものより自分に聞くスタンス」については、基本的な姿勢だと思います。ただ、依存ではなく、健全に活用できるなら「占い」も使いようではないでしょうか。私は昨日、算命学のセッションを受けましたが、答え合わせになり、今後の方向性も明らかになっていいと思いました。たとえば「ギャンブル運がない」と言われたので、今後、投資や宝くじ、ギャンブルの類に手を出すことが亡くなった点で、非常に有意義なセッションだと思いました。
霊的に敏感になると、違う方向に行くようなそんな気がして仕方ありません。その時は、どうすれば良いかお寺に勤めてる人から、心理学を学んでる人に聞いたり色んな本など随分読みました。霊感のある占い師さんに聞いても、自分はこんなのが分かる見えると自慢話しになって何故なのか、どう自分を律するかの答えはありませんでした。それで、意識的に違う方向には行かないと決めたら霊的な不思議な事はなくなりました。
「違う方向」とは霊的に敏感になる類の方向でしょうか。先ほどの同調圧力にも関係しますが、「霊が見える」などは、関心ある人たちにとって能力であり、自尊心がくすぐられる要素の一つ。人生でずっとつらい思いをしてきた人が、ある日、スピリチュアルに目覚め、「見える」と言い出すと、とたんにチヤホヤされて、そこから抜け出せなくなる。そんな話、よくあります。
つまり、いわゆる「違う方向」に行くことで、認められたいと思うのです。しかし、思ったように認められないと、「違う方向」の人たちに対しアンチになることも多い。本当は自分も、多くの人が見えたりしないものが「見える能力」を身に着けたいのだけど、それができずに、アンチに走る。「違う方向」の人たちは、それはそれで自分の人生を生きているわけですから、我関せずで放置すればいいのに、できないんでしょうね。
高額納税者さんもありがとうさんも、具体的に会話して教えてくれたり見えたりするのは良くない低級な存在で、直感や、ふと見たテレビなど、そういう形で教えてくれるのが正神だと言われています。直感を使うというのも自分が自分に使う理屈を自分の思いと勘違いしない事だなと実際的にやっと解ってきました。
まず「具体的に会話して教えてくれたり見えたりする」ことは、一般的にはあまりありません。私の本もそうですし、最近、「神さまとの対話」を続けていますが、本当に「会話」しているわけじゃないことは、すでに何度も言っています。その手の「神さまとの対話本」を出している人たちも、実は同じことを言っています。
水野さんの『夢を叶えるゾウ』にしても、本当にガネーシャが現れたと思う人はほとんどいないでしょう。その意味ではポケモンやドラえもんと同じ。のび太という登場人物が、ドラえもんと言う、いわゆる「神さま的な役割のキャラ」と会話をしている物語がそれ。
言ってしまうと、バシャールもドラえもんもレベル的には同じです。ただ、バシャールのような宇宙人から教えてもらったと言った方が、本は売れるでしょうね。もちろん、どの出版社も本を売ることが仕事なので、バシャールもドラえもんも、とてもいいと思っています。
ちなみに私は「聴覚」と「嗅覚」が強いようで、ぼーっとしていると、何らかの声や音が聞こえることがあります。が、ほとんどは意味をなさない声や音であり、「夢」と同じようなレベルと考えていいでしょう。ただ、何となく「嗅覚」は正しく判断しているかな~と思うことはあります。
「直感や、ふと見たテレビ」などの形で教えてくれる。私はインスピレーションやシンクロニシティと呼んだりしますが、それもまさに「神様」の一つの形であり、私自身もそのような対象をこそ重視しています。詳しくは拙著『運がいいとき、「なに」が起こっているのか?』をお読みくださいませ。
あるエネルギーの渦の中に入ると勢いがつくのは解るのですが、横から見ていると新興宗教に入って洗脳された人にしか私には見えない( ; ; )批判ではなく、私にはそう見えて引いてしまうんです。前向きだけど落ち着いた感じというか、それが自分的には理想なんですが、すごく興奮してる感じではなく何となくホンワカ幸せ感というか。
それは個人的な「理想」であって、一般的に正しい姿では必ずしもないですよね。「興奮している人たち」もそれはそれで、その段階ってことで、私は別にいいと思っています。それも価値観ですが、もちろん「ホンワカ幸せ」もそれはそれでいいです。あと、性格の違いもあるでしょう。興奮しやすい人、そうじゃない人。ほっこりさんは、興奮した人たちが苦手なだけかもしれません。私はそうでもないですが。
スピ系の本を出されてる方々は、こちら側からしたら、あまりに沢山コラボし過ぎて皆同じになってる感があります。言ってる事は本質は同じなのだから、当たり前でしょうが。Aさんの本を買う人がAさんとBさんとのコラボでBさんの本を買う、BさんのとCさんのコラボでCさんの本を買う、ブログのリンクで飛んで閲覧回数が増える。大きなグループのスピ系の購買者が回ってるだけみたいなそんな感じにも見えて。すいません。なんだか妙な感じに見えたので。心にずっと思っていた事が、今回のQさんのグロブを拝見して、表面化したみたいです。失礼な表現がありましたら、ごめんなさい。
一応、私の意見を言っておくと、私を含む多くの人がコラボをするのは、読者を回しあいするためじゃなく、「楽しいから」なんです。その結果、読者はそのコラボのグループの人たちの本を読んでしまうことになるでしょう。ブログに訪問することになるでしょう。
ただ、それはそう意図している、していないは別として、「業界」が成熟すると、よくあることです。たとえば「子宮系」ってジャンルがありますが、はるちゃんが最初に言いだした頃は、いかにもキワモノでしたが、賛同する人が増え、その系で発信する人が増えると、おのずと「子宮系」の中の独自カラーを出した発信者が現れ、共感しあってコラボするなんてのは普通のこと。
私もしばしばコラボはしますが、共通のテーマがなければ絡めないのも事実で、読者はその「共通のテーマ」に関心があるから、その人たちの本を読むことになるんです。少なくとも私に関して言うと、あまり戦略的にコラボをするのではなく、純粋に楽しいから。
もっとも、私の場合、これまでまったく無名だけど、個人的に面白いと思う人とのコラボの方が多かったかもしれません。そうなると読者さんはほぼほぼ私経由となりますが、それもまた「楽しいから」いいのです。それでコラボした人がブレイクするきっかけになると嬉しいですし。ただ、そのあと不義理にされると、ちょっと寂しい思いはしますが。
と言うわけで、今日はまたさらにご質問にお答えしたいと思います。まだまだありますので。
願うとき、よく過去形とか進行形が良いと言われますが自分的には、あまり関係ないような気がするんですが。
ふと、こうあって『欲しい』と自分の気持ちに素直に思うと叶う事があるみたいなんです。経験してるのは、ほんとに小さな願い事ばかりなんですけど。
後から「あれ?叶ってる」という感じです。その欲しいものや出来事より、自分の思いに焦点がある時なのかなとも思ったりしますが。
Qさんは、どう思われますか?
Qさんの除霊をしているお陰でしょうか。
おっしゃる通り、過去形とか進行形とか、どっちでもいいです。大切なのは「気分」です。過去形や進行形の方が「叶った気分」になりやすいなら、それがいい。けど、普通に願った方が「叶った気分」になるなら、もちろんそれでもいい。
「思い」に焦点があるのもその通りでしょう。ただ、「欲しいものや出来事」に対して思うから叶うのであって、ようするに「思い」なんです。伝わるでしょうか?
「除霊」について。前半のコメントの質問者さんにも言っていますが、「霊」とはあくまで「感覚」のことであり、「除霊」によって願いを妨げるブレーキや、悩み、問題に付随する感覚を「言葉」によって浄化するのが、私やチャールズさんが提唱している「除霊」の本質です。
その意味で、「Qさんの除霊」によって、感覚が楽になり、願いが叶いやすくなるのは大いにあることでしょう。ただし、「霊=感覚」と言っても、それでもいわゆる一般的に思われている、オカルト的な「霊」があることは、最後まで否定はしません。なぜなら、そのような「霊」の存在を認めた方がつじつまが合うこともありますので。
そんなわけで、今日は「霊」について、どなたかに聞いてみたいと思います。言うまでもなく、今から「会話」する神様はドラえもんやポケモンと同じようなもので、「あなたは本当に神様と会話しているわけじゃない!」なんてツッコミは野暮の極みですから、ご容赦くださいませ。
『僕らの魂が地球に放り込まれた理由』
Qさん
最近、登場していないので、子守神(こもがみ)くん、「霊」ってなんなんでしょうかね?
子守神
まず、基本に戻るけど、僕(地蔵菩薩・お地蔵さん)に手を合わせる人たちの多くは、自分より先に死んでしまった子どもたちが成仏するようにだったよね。昔は乳幼児死亡率も高かったから、そんな悲しいことがたくさんあった。
その時、お父さんお母さんは、「亡き子の霊」を思っているのだけど、じゃあ、その霊が仏になるってどういうことか。それはお父さんお母さんの「深い悲しみの感情・感覚」がやわらぐことなんだ。「成仏したから悲しみが癒える」んじゃなく、「悲しみが癒えたから成仏する」んだ。もちろん、どっちが先でもいいけど、結果、「成仏」と「癒し」は同時に起こるんだよね。
Qさん
なるほど。なら、たとえば悪さをする低級霊とかはどうなんですか?
子守神
それもまた、自分自身の「怒り」や「恐怖」の感覚が「霊」となって現れるんだ。たとえば殺人を犯した人など、被害者の霊に苦しめられて自首したり、獄中でもやっぱり霊にうなされたりすることはあるんだよ。
それはその加害者がもつ罪の意識が「恐怖」となって、見えたり、感じたりするんだ。だから、きちんと罪を償って、心の底から懺悔して、もちろん被害者がそれで戻ることはないし、決して許されることじゃないよ。だけど、必死で祈り、懺悔することで、加害者の「恐怖」がやわらげば、霊もおのずと消えるんだよ。
Qさん
たとえば心霊スポットなどの霊は?
子守神
心霊スポットって最初から怖いじゃん。見るからに荒れてたり、不気味だったり、ジメジメしていたり、変なにおいがしていたり。そりゃ怖いよ。その怖さが「霊」と感じるわけで、結局、「霊」って「感覚」なんだよね。
Qさんがやってる「除霊」も、言葉で感覚をコントロールすることでしょ? そう言えば『ぼくたま』で変鬼を退治する時の言葉も、まさにそれだったよね。
Qさん
そうそう。あの言葉はかなりパワフルだから、願望実現とかしたい人は、やった方がいいですよね。それでブレーキとなる「感覚」を除去することで人生が加速するわけだから。
そう言えば昨日、25年前に亡くなったおばあちゃんが、僕の守護霊団のボスになってるって言われたのだけど、守護霊様って本当にいるの?
子守神
いるよ。守護霊はね、本人が信じる度合いによって強くなったり、弱くなったりするんだ。Qさんにはどうしておばあちゃんがついているのか。それはQさんが、おばあちゃんのことが大好きだからだよ。今でも。ずっと守ってくれている気がしてるでしょ。その「思い」のエネルギーが「守護霊」という形で現れる。そのエネルギーも、見れる人には見える。特別な感覚と思うかもしれないけど、実は誰にでもある。
たとえばこれから先、Qさんが本当に本当に困ったとき、もう、どうしようもなくなったとき、おばあちゃんに祈ってみるとさ、もしかしたら姿を現すかもしれないから。
Qさん
あ、でも、姿は見えないけど、おばあちゃんに「ちょっと、助けてくれや」って言うとさ、「よっしゃ」って声が聞こえるんだ。少なくともそう聞こえる気がするんだ。そしたら本当に助かるから不思議だよね。
でも、僕みたいにおばあちゃんの存在をリアルに感じてる人はいいけど、何かにはそんな存在がいない人っているじゃん。そんな時はどうすればいいの?
子守神
そうだね、その時は「守護霊様」でいいよ。別に身近なご先祖様とか具体的な人物でなくても、守護霊はどんな人にもいるから。そもそも今、生きていること自体が守護霊様のおかげなんだよ。地球のみんなはね、「生きてる」んじゃなくて、「生かされている」んだ。そう思った瞬間、守護霊の存在は大きくなり、力も強くなる。常に「生かされている」ことに感謝して生きていると、守護霊は必ず守ってくれるから心配ないよ。
Qさん
そうかあ。僕も今日、滝行に行ってさ、ああ、生かされている、ありがとうって思ったんだけど、そんな感謝の気持ちを忘れないことが大切なんだね。
子守神
だよ。だけどね、守護霊とか宇宙とか、そんな見えない存在に感謝する前に、日ごろからお世話になっている周りの人たちへの感謝は絶対に忘れたらいけないからね。「宇宙に感謝」なんて言いながら、「親に感謝」や、「お世話になっている人への感謝」を忘れてしまうことがあるからね。自分や見えない存在に「ありがとう」と言う前に、目の前の人に「ありがとう」と言うこと。それが一番の開運だし、人からも、宇宙からも守ってもらえる秘訣なんだ。
なるほどね。勉強になりました。ところで、ここに登場する神様は、まあ、ドラえもんやポケモンと同じようなもんと言いながら、それでもスピーディにいろんなことに答えてくれるので、最近、なんか「つながる感覚」が強くなってきたんですよね。うん、なんか起こりそうな気がする。ありがとうございました。
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以前とても仲良かった友人が9星で方角を見て物事の方向性を決める人でした。色々アドバイスをくれていたのですが、ある時期から険悪になり今では付き合っていません。仲が良かったときも感謝はありながらも、意見を押し付けられているような気持ちを感じたので縁が切れてすっきりしました。ただ以前言われた「あなたが●●の方向に行ったから運が落ちた」的なアドバイスが忘れられなくて苦しいのです。
当たっている部分もなくはないので、完全に否定できず。
もう彼女のことは気にせず生きていこうと思うのですが、何故かいつまでも引っかかってしまいます。心軽く楽になるためのアドバイスがあれば、お願いします。