【観音菩薩】いろんな事件がありますが、平和な世の中になるには・・・ 2018.6.24

本日はちょっとした会合に参加するために滞在を伸ばしました。昨日の記事について、いろいろメッセージをいただきました。私の活動はネットとリアルがちょうど半々くらいで、そのバランスでこの数年、活動してきました。ただ、本来はすべてが「リアル」であり、ネットと言えど、ゲームでもないのだから、リアルに違いはありません。


あえてリンクもしませんし、詳細も省きますが、夜、ネットとリアルにまつわる、大きな事件が起きました。ネット上での罵詈雑言は、「2ちゃん」や「はてな」が主な戦場として繰り広げられていましたが、普通のブログやアマゾンレビューでも起こっていること。今回の件は、およそネット史上に残る凄惨な事件となったと思われます。詳細は省くと言いながら、これでは話が進まないので、一言で説明すると、「ネット上で批判された人(A:加害者)が、批判した人(B:被害者)を刺殺した」ということで、そもそもは加害者であるAさんが事の発端ではあるようです。


この現象、ちょっと俯瞰的に見たところ、Aさんはある意味、Bさんをはじめネット民から「居場所を奪われ」「とどめを刺された」からの犯行となったのでしょう。ただし、Aさんはそもそも普通の精神状態でなかったのは間違いなく、Bさんは不運だっただけかもしれません。


また、同じくして、1月に話題になっていた振袖会社の代表の方にも逮捕状が請求されました。銀行を騙して融資を多くとった、詐欺事件として。『僕たま』にもそのニュースをベースに書いた話があり、その点も大いに批判された原因となったのですが、もちろん罪を犯した人を社会的・法律的に擁護するつもりはありません。


悪いものは悪いし、悪いことをした以上、罰せられるのが法治国家のルール。「法律」は誰もが住みよい世の中を実現するために、人類が長い年月をかけて構築した知恵の結晶です。それを否定するのなら、社会で生活させていただくことを放棄することになります。


『僕たま』で書きたかったのは、犯罪者を擁護する話などではまったくなく、地球上のすべての人間の救済です。いわゆる良い人も、そうでない人も、宇宙の元ではすべてが救済される。悪いことをしたのに、罰から逃れるのが救済ではありません。そのような人は、しっかりと罪を償うこと、それもまたその人にとっての救済のあり方の一つであると書いています。


確かに法律論のみならず人道論にも照らし合わせても、「善い/悪い」は一般的な感覚として共有できることでしょう。経営悪化を知りながら経営を続けること自体は「悪い」とは言わないまでも、多くの顧客に不利益が発生することを考えたら、それでもリスクをおかして続けることは「善い」とは言えない。ただし、経営を続けるために決算を粉飾して融資を引き出したのは、完全に「悪い」ので、そこは罰せられて当然。


しかし、法律で定められた刑罰を受け、迷惑をかけた利害関係者に対して、できうる限りの償いをしたのであれば(完全は不可能ではありますが)、この地球上でも救済されてほしい。そう願っています。


今回の事件において、被害者のBさんはお亡くなりになり、自首した加害者のAさんは決して許されるべきではありません。もしかしたら精神鑑定の結果により、通常通りの罪が軽減される可能性はありますが、だからこそ社会に容易に出すべきではありません(こう言うと差別を助長するとか言われそうですが)。それでも、この地球上で罪を償いきれなくとも、「魂」としては誰もが救済される、そのような願いを、少なくとも私は持っています。


『僕たま』には「7人の神様」と「7匹の悪鬼軍団」が登場しますが、それぞれユニークなキャラにありながら、中でも「善鬼」の存在はちょっと異色かもしれません。この鬼の特徴は「自分が『善』であることを盾に、誰かを徹底的に憎しみ倒す性格」であり、つまり「善」であればあるほど、他人に対して残酷になれる鬼のこと。
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多かれ少なかれ、人は「憎しみ」を持っています。その「憎しみ」は解放されたい、解放されたいと、常に動こうとしています。しかし、時として、その「憎しみ」を解放するために、相手を設定してしまうことがあります。これまでは周囲の誰それ構わず当たり散らすことで、ある程度は解放されたかもしれません。もちろん根本的な解決にはなりませんが、「憎しみ」をまき散らすことで、周囲から嫌われつつも、その人の気持ちは「一時的」におさまることはありました。


しかしここ20年ほどは、ネット上で不特定多数と交流することが容易になりました。2ちゃんねるやブログには、その不特定多数がたくさんいます。つまり「憎しみ」を解消することが、昔より簡単な世の中に。その中から自由に相手を探しては、つかみかかります。今回の事件もそのような図式があり、私もつかみかかれたことは何度かあります。


ただ、一方的につかみかかることは社会的には許されることではありません。そこで登場するのが「善」の心です。善であれば、自分は何をやってもいい。そのように思わせるのが「善」の怖いところであり、それがまさに善鬼なのです。


たとえばある人気ブロガーさんがいました。その人は元々炎上系ではあったのですが、「自転車で飲み会に行きました」と書いただけで、炎上していました。つまり、「帰りは飲酒運転じゃないのか」ってことで、相手の悪(落ち度)、自分の善をかざして、徹底的に攻め立てるのです。そもそも飲み会と言っても、その人はお酒を飲めないかもしれない、帰りはタクシーかもしれない、いろんな可能性があるにもかかわらず、「飲酒運転の可能性=悪」を設定して、徹底的にそのブロガーを叩きのめす。


「善」にはそのような恐ろしいクセがあるのです。善であれば、相手はどうなってもいい。最終的にその相手が再起不能になれば終了。自分は「善」なんだから、相手は滅亡して当然だ。そこまでそこまで徹底的にやります。しかもネットの世界では、自分を匿名か、それに近い安全な場所に身を置けば、自分は傷つくことなく、相手を傷つけ、自分の中にある「憎しみ」を一時的にも解消できる。ただし、繰り返し言うように、そうやって攻撃しまくっても、根本が解決できないので、その人の「憎しみ」がなくなることはなく、いつまでも批判や攻撃を繰り返してしまうのです。


実は以前、私もちょっと危険を感じ、キョリを取ったことがありました。通常の社会のルールだと、多少、相手を批判したり、悪く言ったりすることはあっても、どこかで手を止めますし、とどめを刺すまではない。しかし、ある時、「ああ、この人は、徹底的にやろうとしているな」と感じ、私は逃げました。「逃げるのか」と挑発を受けましたが、逃げることに決めたのです。立ち向かって得られるメリットはない。前提として、私はその人のことをよく知らないし、憎いと思ったこともない。だけど、一方的に本やブログかの内容にかみつかれて、「善」を錦の御旗に、とどめを刺す勢いで攻撃してきた。つまり、私のブログや本を滅亡させることが、「正義」であるとの信念です。


だから、私は逃げるのです。逃げて逃げて逃げまくるのです。シマウマはライオンから逃げます。立ち向かっても、絶対にかないません。生きるためにはプライドなどいらない。まさに「逃げるが勝ち」なのです!

もっとも、私もその昔は好戦的で、すぐに立ち向かっていましたが、正直、割に合わない。そんなことするくらいなら、逃げて、その分をもっと創造的なエネルギーに転換すればいい。


と言うわけで、今日は善鬼が登場する章の神様、叶女神さん、こと観音菩薩にご登場いただこうと思います。





僕らの魂が地球に放り込まれた理由


Qさん
いろんな事件がありますね~。平和な世の中って、どうすれば実現するんでしょう?


叶女神
平和の反対があるとすれば、「戦争」も一つかもしれないわね。今もなお、戦争状態にある国や地域だってあるし、世界中に武器があるってことは、その時点で平和とは程遠いものね。


Qさん
そうなんですよね。平和、平和って言いますが、そもそも武器があること自体、平和から遠ざかっていますもんね。しかも、それらの武器は包丁やハンマーと違って、人を殺すためのものですもんね。そして今なお、作り続けていて、買う人も売る人もいる。それも国家単位でやってて、日本だって例外じゃないですからね。


叶女神
結局、人間の心に「善」がある限り、戦争はなくならないのよね。真の平和はね、「善悪」の概念さえない世界なのよ。戦争は誰も自分が「悪い」と思ってはやっていない。誰もが「正義・善」と思って、相手を「悪」だとみなすことで成立する。自分は正義で相手が悪。だから太平洋戦争でも、あれだけのことができたのよ。悲しい話だけど。


Qさん
あれだけのことって、大空襲や原爆とかですか。確かにあれは酷い話です。人類史上最大の虐殺なのに、あれも「戦争を終わらせるため」なんて美化されるところがある。あの時点でもう日本は負けることはわかっている。もっと早い段階で講和にでも入っていてれば、最後の一年の大空襲や原爆投下もなかったのに。結局、落としたかったんだと思うんです。けど、単に落とすだけだったら国際法にも反するから、「平和目的でやりました」って大義名分が必要。まさに「善のためにやった」ってことなんですよね。


叶女神
あの時、もしも敵国の側に「悪いことをしている」という気持ちがあれば、原爆なんて落とさなかったろうけど、善の心、つまり「善鬼」が増殖していて、徹底的にやってしまったのよね。「善」がある以上、「悪」がある。だからそこに戦争の原因が生まれる。


Qさん
ほんと、そう思います。結局、「勝てば官軍」って言われる通り、世の中の正義って最終的に「勝者」にあるわけでしょ。


叶女神
悲しいけど、それが現実ね。だからこそ、負けた人たちが必要なのよ。日本は戦争に負けた。その後は徹底した自虐史観に基づく教育をしかれ、「私たちは悪い」と洗脳されてきた。ドイツの場合は、あくまで「ナチスが悪いのであって、ドイツ国民は悪くない」と思っているから、日本ほど「悪い」の意識はない。だからこそ、これから先、真の平和を目指す上で、日本の存在が大きくなるのよ。

平和の一歩は「懺悔」にあるの。人間だってそう。自分で悪いことをしてるな~って自覚があれば、相手を思いやることができる。戦争に負けたからと言って日本が絶対的に悪いとは言わないわ。だけど、それでも、皮肉なことだけど、世界に先駆けて懺悔する心を持つことができた。いつまでも必要以上に「悪い」と思うことはないけど、それでも「自分は悪い」と思うことができる国民は、それだけ世界の平和にとって大切な存在なのよ。


Qさん
平和になるには懺悔。それは個人のレベルでも同じってことですか?


叶女神
そうよ。地球人、人間はね、誰だって悪いことをしている。赤信号を渡ることだって悪いことだし、そもそもネット上で人の悪口を書くことだって、悪いことには違いない。「悪口を書くことが正義」って思いたいのはわかるけど、やっぱりいいか悪いかで言うと、決して良いとは言わないわ。

罪悪感を持てとか、被害者意識でいろとかはまったく違う。人は生きていると、必ず悪いことをする。そもそも生まれつき、煩悩や原罪がある時点で悪いこと。そのことに気づくのが、その人の魂の救済につながり、相手を思いやることができて、良い世の中につながるのよ。


Qさん
具体的にどうすればいいんですか?


叶女神
神社でもお寺でもいいから、たとえばあたし、観音菩薩の元でもいいわ。「許してください」と思うだけで良い。具体的に何に対してじゃなくてもいい。ただ、「許してください」と思うだけ。それで意識が変わって、物事に感謝できるし、人のことを思いやることができる。そんな穏やかの心になれば、戦争も犯罪も少なくなるし、少なくともそう思っている人から幸せになるのよ。

「許してください」って言う人を、あたしたち神様は鞭打つことはないから。たとえ試練があったとしても、それは神々の愛なの。自分に素直になって。





今日の話、書こうかどうか迷ったのですが、結局、書きました。これからも時事ニュースなどを取り上げつつ、いろんな話、聞いていこうと思います。今日、叶女神さんから教えてもらった、幸せの一つは「許してください」と思うこと。観音様や神社でもいいから、神々の前で懺悔すること。心掛けたいと思います。ありがとうございますした。



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by katamich | 2018-06-24 23:39 | ■僕らの魂・観音菩薩 | Comments(0)