【地蔵菩薩】いじめられる方に問題があるんだよ!(怒) 2018.6.23

今日は午後から出版記念講演。14時にスタートしたのですが、ぱ~っと見渡すと、7割は知っている顔か。そして多くの人からこのような反応をいただきました。
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90分でしゃべり通し、30分で質疑応答。これまでのオレのセミナーとは異質の内容になったかもしれない。FBにはこのようなコメントもいただいた

お疲れ様でした!今日のセミナー、腑に落ちることばかりで最高に楽しかったです。
私の場合は今年3月末の講演会以来でしたが、今日の石田さんの雰囲気は落ち着いた中に熱量のある、この前とは全く違った石田さんでした。
楽しいお話ありがとうございました!今日の話を受けて、また本を読んでみたいと思います。



また、質疑の最後の方で、「3年前にセミナーに参加したのだけど、あの時はTシャツで叫びまくるあんちゃんって感じだったのが、今日は落ち着いた雰囲気で別人のようだ」とも。いったい何が起こっているのか。ここ1か月、いろんな人から言われまくるのだけど、それから表に姿を現すのは初めてのこと。実物もやはり別人のようになり、これが本来のオレなのかもしれない。


僕らの魂が地球に放り込まれた理由』なる本を書き、一番、影響を受けているのは自分自身かもしれない。2月の頭には書き終わり、それから編集作業などに入り4月頭には校了。ここ数日、感想のメールが熱い。ネットや書店で初めて見つけて、読んで、感動したなどの感想が多い。確実に読者さんの心に届いている。しかし一方で、今までの本以上に批判や誹謗中傷も多い。先ほどフェイスブックでこんな投稿をしました。

心打たれる記事だなあ。

これ読んで、俺も同感したのだけど、新刊『僕たま』について、ここ最近、ステキなご感想のメールが増えてきました。今日も立て続けに。俺も編集者さんも、とても喜んでいます。

しかし一方で、アマゾンを始め、ちょっと異様とも言える誹謗中傷をいただいています。ブログのコメントにも、承認はしませんが、なぜにここまで書けるのかと恐ろしくなるようなご意見をいただいています。

以前の本で、母親がたまたま批判レビューを見てしまい、ショックで寝込んだこともありました。昨日お会いした人は、アマゾンレビューを読んで具合が悪くなったと言われていました。俺も少しは慣れたとは言え、正直、見た瞬間はボディブローを食らったようにダメージがあります。

一昨日などは、私が人格障害で、統合失調症で、あんたの子どもが可哀想だみたいな辛辣な意見までいただきました。

今回の本は、特に酷いかもしれない。しかし一方で、ものすごく暖かい、喜びに溢れたメッセージもいただきます。

批判、誹謗中傷する人は、『僕たま』にも書いたように「正義」を盾にしています。このような本は精神疾患を増やす元だから、廃刊にすべき、本もブログもセミナーもやめなければ、世の中に病が蔓延るとまで言われます。

その人たちは「正義」のために戦ってるのでしょう。俺や俺の本、ブログを抹殺することが、その人たちにとって正義であり善である。本書ではその心を「善鬼」と名付けました。
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俺や俺の本が嫌いなら、スルーすればいいのに、深く深く読み込んで、矛盾点や気に食わない点をわざわざ探して徹底的に攻撃する。

もうさ、本当は言いたいのよ。このパン屋さんのように、

「もう、本もブログも読むな!頼むから立ち去ってくれ!」

と。それでも批判する側には「正義」がある。もちろんわかるんですよ。すごく心の貧しい、可愛そうな人たちだってことも。だから、させておけと思う一方、俺の本が好きな人だってたくさんいる。少なからず、それで救われた人もいる。

正直、俺がボコられるのはいい。慣れてるから。でも、俺の本やブログが好きで楽しみにしてる人だっていてさ、なんか申し訳ない気にもなるんですよね。もっとも、それは考え過ぎかもしれんけど。けど、俺だって好きな本や音楽のことをボロクソに言われたら腹立つもんね。

だからさ、俺は負けないよ。戦うつもりはない。ただ、そうやって誹謗中傷する人たちが、本当に幸せになるまで、書きつづけるよ。次から次へと、ゾンビゲームのようにやってくるかもしれんけどさ、負けないよ!

みんなが幸せになるまで、誹謗しなくてもいいくらいに心が立ち直るまで、俺はしつこくしつこく書きつづける、進みつづける!

ブログではしつこく「神様との対話」しててさ、それにもものすごい批判が来るけど、俺はやめないのでよかったら諦めてくださいね。一人でも読んで救われる人がいる限り書きつづけるから。嫌なら読まないのが一番とは思うけど、「善鬼」が暴れてるから仕方ないのか。なかなか強敵とは思うけど、俺は負けません!書いて書いて書きまくりますんで、これからもよろしく!



今回の本、そのアフターストーリーとして「神様との対話」をブログにアップしていますし、これからもしばらくはずっと続けていきます。少なくとも100日は続けるので、9月くらいまでは「僕らの魂」のカテゴリーで書き続けます。このような本・ブログは普通に「読み物」として楽しんでいただければいいものを、なぜか過剰に反応する人たちがいる。害悪をまき散らすなと言う人もいる。


この地球に「完璧」はありません。本でも人間でも、不完全です。不完全だから面白いのであり、俺はそんな不完全を楽しいと思っています。いいところもあれば、悪いところもある。「いいところ」にフォーカスすれば人は幸せになれるが、「悪いところ」にばかりフォーカスし過ぎると可哀そうなことになる。


批判されるのは、あなたが悪いからだ、バカだからだ、障害があるからだ。本当にこのような口調で辛辣なご意見をいただきます。俺にも悪いところはあるし、バカかもしれないし、障害についてはわからないけど、そう思うのは勝手だろう。


しかしこれは「いじめられる方にも問題はある」との意見とまったく同じで、それは確かに100%正しい。しかし、問題のない人はこの世に誰一人としていないわけで、いじめの真の問題は「いじめられる方の問題をわざわざ探すいじめる側の問題」にあるのです。しかし、「いじめる側」はそれを「善」だと思っている、思おうとしている。きもいから、などの理由でいじめを正当化する。大人がそんなことだから、子どものいじめだってなくならないんだよ。


では、どうして「問題をわざわざ探すいじめる側の問題」が存在するのか。一言で言うと、ストレスがあるから。誰かを攻撃することでストレスを解消したい。ネット上の批判・誹謗中傷にしても、会ったこともないのに、会ったとしても直接の利害もないのに、ある種、病的なまで攻撃したくなる。たとえば自分が攻撃されそうになったら、それを守るために「怒り」の感情で応戦するのは適切な感情と言えるでしょう。


しかし、そうじゃない。まったく無関係で、お互いまったく面識もないのに、わざわざ攻撃対象を探して、執拗に誹謗中傷を繰り返す。それはまぎれもなく、誹謗中傷する人の中にあるストレスが原因。だけど、その人はそれに気づいていないのか、認めようともしない。攻撃するのは正義なのだ。あのような本やブログがこの世にあることが害悪なのだ。だから、自分はそれを成敗しているのだ。


もしも自分の中にいくばくかの悪意があるのを自覚していれば、少しは手を弱めるかもしれない。だけど、自分がやっていることは善であり、正義だから、その対象が完全に抹殺されるまで、手を止めない、その対象がちょっとでも調子に乗ってきたら、ますます加速する。ただし、自分は匿名など安全領域にいることを確認しつつ。


どうすればそのような問題はなくなるのか。学校でのいじめ問題につながる、大人の批判・誹謗中傷の類がなくなるのか。今日は子守神(こもがみ)くん、こと地蔵菩薩に聞いてみたいと思います。





僕らの魂が地球に放り込まれた理由


Qさん
子守神くん、ほんと、どうすればいいのかな。ネット上に限らず、職場とかでもいるじゃないですか。理不尽に部下や取引先など弱い立場にハラスメントを繰り返す人とか。学校のいじめもそう。あんなのをなくすにはどうすればいいのかな?


子守神
結論から言うと、全員が幸せになればいいんだよ。本当に幸せな人は、自分の中に誰かを攻撃したくなる理由が存在しないからね。人を攻撃したり、憎んでいたりするのは、完全に自分の問題なんだから。


Qさん
そうなんですよね、それはわかるのですが、でも、世の中の人、全員が幸せになるって可能なのかな?

子守神
可能だよ。少なくともそのような方向に進んでいるのは事実。地球の人たちだって成長するんだ。昔に比べるとずっとずっといい世の中になっているんじゃない!


Qさん
そうなんですか。でも、最近でもいろんな事件ってあるじゃないですか。新幹線の事件もそうだし、いまだにいじめとかだってなくならない。


子守神
もちろんゼロにはなってないけど、数自体は70年前と比べ物にならないくらい減ったんだよ。そんなのはデータを見れば明らかだし、もっともっと昔、たとえば稲作が始まる以前の縄文時代、石器時代なんかはもっともっとひどかったからね。


Qさん
え、そうなの?縄文の人たちは「所有」の概念がなくて、競争もなく、すごく牧歌的な平和な時代だったって言う人もいるけど。


子守神
それはそうかもしれないけど、そもそも長く生きられないし、天災などがあると、それを避けるために小さい子を殺して生贄にするような風潮もあったわけで、今はそんなこと、ないでしょ?


Qさん
それは、そうだけどね。つまり、確実にこの世は誰もが幸せになる方向に進んでいるってこと?


子守神
そうだよ。だけど、まだまだ完全ではないから、少しずつでも「幸せ」を広げていくことは大切だね。


Qさん
それはどうすれば?


子守神
誰もが自分で自分のことを認められる世の中になればいいんだよ。なぜ、人を攻撃したくなる心が芽生えるのか。それは、自分が人や社会から無条件に認めてもらっていない「寂しさ」があるからなんだ。「寂しさ」は「悲しみ」と「恐怖」がミックスされたもの。

誰かを攻撃したくなる時、その根っこにあるのは「寂しさ」なんだ。それを認めず、正義・善を盾に攻撃の手を緩めない。「怒り」の感情にあるんだけど、根底の「寂しさ」に気づかないから、どんなに人を攻撃しても、それは止まることはないんだ。


Qさん
どうすれば「寂しさ」に気づけるのかなあ?


子守神
そもそも「寂しさ」が生まれる大きな原因は「両親からの無条件の愛の不足」にあるんだ。人は認められることで、この社会の一員であることを自覚する。その大元にあったのが、最初にあったのが、両親からの愛なんだ。幼少期にそれが不足すると、ストレスがたまっていき、大人になって誰かを攻撃することで解消を試みようとする。


Qさん
でも、それが本当だったとしても、今から両親から無条件の愛をもらうのは難しいんじゃない? 亡くなってる人もいるかもしれないし、そうでなくても今さらだし。


子守神
そうだよ。だから大切なのは「気づき」なんだ。人を攻撃するって、その時はスッキリした気分になるかもしれないけど、ちょっとするとまたイライラして、そのイライラが自分を不幸にしたりもする。不幸な人の共通点は必ず誰かを憎んでいることなんだ。その「誰か」の大元にあったのが両親や、本当に愛を欲していた人なんだけど、思ったように十分に愛をもらうことができなかった。

だからその憎しみを社会に向けるんだ。特定であれ、不特定であれ、誰かの問題を探して、それを徹底的に攻撃することで、解消しようとするんだ。だけど、その根底にある「寂しさ」の感情が残ったままだから、いつまでたっても攻撃は消えない。だから、幸せにもなれない。


Qさん
どうすればいいのかなあ。


子守神
Qさんは「気づき」を促すんだよ。これからもいろんな批判はあるだろうけど、書いて書いて書きまくることで、多くの人に「気づき」を促すしかない。人は一つの「気づき」によって、大きく人生をシフトすることができて、少しずつでも幸せな人が増えるようになるから。頑張ってね!





と言うわけで、子守神くんにも励ましてもらったのが頑張ります。このような投稿に対しても、いろんんな批判が来るだろうけど、ご自由にどうぞ。オレは批判されたら、その人が幸せになるよう、一生懸命に祈るしかないから。オレでよかったらどんどん批判してください。その代わり、これからも多くの人に「気づき」を促さるよう、こりずに書きまくりますので、どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。



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by katamich | 2018-06-23 23:39 | ■僕らの魂・地蔵菩薩 | Comments(0)