【地蔵菩薩】なぜQさんは「変な奴」を相手にするのか? 2018.6.6

滝行8日目。昨日のブログで「21日滝行と大アルカナ」の対応が明らかになったわけだけど、もう一度、整理しますね。


○前日「0:愚者(初心、赤ん坊)」

○一週目「1~7・人間の世界」

○二週目「8~14・菩薩の世界」

○三週目「15~21・如来の世界」

○翌日「悟り・完成」



今朝、導師の元で滝行をしまひて、二週目に入りました。今日は雨が降っていました。
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二週目の1日目、大アルカナで言うと「8:力(Strength)」となります。ここでの力は、どちらかと言うと「女性的な力」で本能の象徴である獅子を優しく手なずけています。昨日の「戦車」のような勇ましい姿ではなく、ここではあくまで女性。

明日は「9:隠者(The Hermit)」なので、無意識に光を当てるって意味でしょうか。愚者(オレのこと)に対する精神的な指導者、潜在能力を引き出すスピリチュアルなガイド。そうやってこの21日間は「愚者」が一日一日「悟り・完成」に向かって、テーマをもって歩んでいくわけですね。非常に興味深い。なので、今は「菩薩の世界」で、今日は「力」がテーマでした。


確かに最初に一週間、特にその前半は滝の中でもずっと涙を流して、傷ついた心を浄化していた。だからなのか、多くの人から「Qさん、顔、変わった?」と言われまして、自分でもその自覚がある。ただ、身近な人の話によると、「変わった」のではなく「戻った」のだそうです。


今回の滝行のテーマである「赤ちゃんに戻る」とも一致する。どんどん戻るんです、自分に還るんです。そしていったん「0」になってから、新たな再生が始まる。浄化と再生、そして創造。ほんと、今回の21日行はすごいことになってるなあ。華厳経の善財童子が文殊菩薩に導かれて悟りに至る道。まさに、です。


ところで最近、いろんな人から「Qさんの最近のブログ、ヤバくないですか?」って言われます。自分でもそう思います。5月の自転車での四国・小豆島からの岡山で完全にスピモードに入り、もう、戻れなくなってしまった。同時に人間関係がガラガラと変わり、正直、一年前、二年前とはまったく状況が異なります。『ぼくたま』を書いたことも関係してか、独立して以来14年間で最大変化期を迎えているようです。結局、私は「あっちの世界(精神世界)」からスタートし、そこに戻っただけなんでしょうね。


物心ついた時から母方の祖母は朝晩、不動明王真言を唱えており、私はそれをしばしばマネしていた。うんたら~、とか言って。祖母は「マネすることはええことや」と言ってたし、兄と弟はそんなことはなく、私だけそっちに興味を示し、そして誰よりも祖母から可愛がられていた。小学4年か5年のある日、母と祖母が何らかの供養に行くのに、私だけ電車でついていって、黙って座っていた。ええ子やってことで、祖母から一番欲しかったゲームを買ってもらったら、家に帰って兄弟で取り合いになったもんだ。


『夢なに』などでも書いている通り、私にはずっと祖母(25年前に亡くなった)がそばにいる気がしてならない。だから、困ったことがあったら、すぐに助けてくれる。そして導いてくれる。怖いもの知らずで、ヤクザ屋さんにも因縁をつける、実に頼もしい祖母。この子ら(私たち孫)になんかする奴おったら、刺しに行くってよく言っていた。私が外に行くとき、必ず玄関で「変な奴、相手したらアカンで」と言っていた。


今思うとこのセリフ、めちゃくちゃ深い気がする。


「変な奴、相手したらアカンで」


最近、たとえば薄井先生など身近で私を導いてくれる人(特に女性)からしきりに同じことを言われるのが、「Qさんは孤高になりなさい」って。傷つきやすいくせにお節介で、さらに好戦的で。以前、2ちゃんに悪口書かれたら、その版に携帯の番号を張り付けて、「文句あるならかけてこいや!」って煽ったり、あからさまに批判してくる人をいじったり挑発したりなど、とにかくスルースキルがないと言われまくっていた。


やってくる人は単に構ってほしいだけで、なんら建設的な意図もないわけで、そこに波動を合わせる必要もまったくない。けど、合わせてしまう、相手にしてしまう。昨年1月の「対話篇」って記事なんか典型で、なんで知らない人と、あんな汚い論争しなければならなかったのだろうか。今にしてようやくわかった。私が出かけるたびに祖母が言っていた、


「変な奴、相手したらアカンで」


って言葉。もちろんそれは誰それ特定の人のことではなく、人格を否定するものでも決してなく、私にとって不要で、時として害悪でしかない「奴」のことを言う。そう、相手したらアカンのです。もっともっと付き合うべき大切な人がたくさんいる。男も女も、波長が合う、魂が共鳴する人はたくさんいる。なぜにまったく合わない、害悪でしかない「変な奴」に合わせなければならないのだろうか。


25年をへてようやくわかった。祖母の残したあの言葉。もっとも、あの時の祖母はそんな深い意味ではなく、南大阪はガラの悪い地域や、時として危険な人がいたりするので、そんなのに近づいたらロクなことないで、って意味だったのでしょうが、その辺が無関係になった今、それでも新たな「変な奴」はいるわけで、ほんと、合わせる必要もない。


とにかく自分の道を突き進む、自分に還る。それ以上に大切なことってあるのかな?あ、オレ今、すごくいいこと言った気がする。


「自分に還る、それ以上に大切なことはない」


具体的な言葉にすると陳腐になりそうだけど、これがある意味、人生の目的、唯一の意味かもしれない。人って生きてると、生活するためにいろんなことをしないといけないと思うようになる。たとえば親が開業医だったとして、親は自分に医院を継がせたいと思っている。けど、自分は医学にはまったく興味がなく、物心ついた時から工作や粘土、プラモデルの類が好きだった。学校では美術部に入ったけども、幼稚園の頃から塾には行かされ、高校2年生になったら美術部を辞めさせられ、放課後は予備校に通うようになる。おかげさまで九州大学医学部に合格し、そのまま順当に医者になり、医院を継ぐところまできた。


だけど、どうしても違和感がある。自分は本当に医者になりたかったのか。いや、なりたいなりたくない、ではなくそれしか道がなかった。自分で自分の道を選ぶなんて概念すらもない。世界中の人が、何らかの形で「道」を選んでもらっていて、その道をまっすぐ歩めば幸せになれるし、多くの人に喜ばれ、この地球上での「成功」を手にすることができる。


しかし、本当にこれでいいのだろうか。プロになれるなれないは別として、美大に行ってたらどんな人生だったろうか。今は親を継いだ医院で毎日、患者さんと向き合い、あっという間に一日、一年が過ぎてしまう。たまに学会に行く程度で、仕事と言えばこの病院でしかない。経済的には何の不自由もなく、社会的地域も高く、患者、製薬会社などから先生と言われ崇められる。


もしも美大に行っていたら、よっぽど才能がない限り、食べていくことも難しい。中高の美術の先生にでもなれれば御の字で、多くは美大で学んだ費用をまったく返せないままに、一般の会社やアルバイトで一生を終える。やっぱり親の言いつけ通り、医者になって正解だった。けど、どうしてこんなに空しいのだろう。気が付けば、ため息をついている。


美大で一つの作品を残す。そんなことより、目の前の患者さんの命を救う方が意義はある。理屈ではわかっている。だけど、ふと、一つの作品を一生懸命に作って、満足できるものができたときの笑顔。もしかしたら、あれが本当の自分じゃないのか、と思うことも。もちろん今でも趣味で作品を創ればいい。けど、もしも作品を作って、あの「笑顔」を見ることができなければ、自分はいなくなってしまうかもしれない。


だからこうやって、毎日、仕事をし、豊かな生活をし、美大にでも行ってたら、また別の世界があったかもな~と夢想することで満足すればいい。何不自由ない。自分は間違っていない。けど。


・・・以上は特定の誰かのことを書いたのではなく、まあ、ありがちなストーリー。この人は何をしているのか。今日は子守神(こもがみ)くん、こと地蔵菩薩がやってこられました。




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子守神
さっきのお医者さんの話?まあ、ありがちだね。人間は多かれ少なかれ、いろんな役割(ペルソナ)を持って生きているわけで、その方が便利だからね。


Qさん
そうなんだね。ってことは、そのお医者さん、やっぱこれでよかったんだ!


子守神
人生に良いも悪いもないよ。どんな人生だって、時期がくれば終わるし、そこに絶対的な意義や役割もないんだ。ただ、「いい人生」かどうかは自分で決めることができるんだ。


Qさん
だったら、あのお医者さんは「いい人生」だったの?


子守神
それはどうかな?その人に聞いてみないと。あなたはいい人生ですか?って。もしそこで「いい人生」だと迷わず即答できればそうだけど、そうじゃない人だっているからね。


Qさん
そうじゃない人?


子守神
素直な気持ちで質問と向き合ってみる。「いい人生」に定義はない。けど、「いい人生」かと聞かれたら、自分の人生に対してなんらかの検索を始める。そこで人は、歩みを少し止めて考えるんだ。たとえば、Qさんはどう?いい人生?


Qさん
そりゃ、いい人生ですよ。もう14年くらいこんな自由な生活していますし、家も買ったし、子どもも3人いて、皆、元気。時間も収入もある。本も定期的に出している。大好きな旅にしても、こないだも自転車やったし、2月はエジプト、3月は沖縄。まあ、好き勝手でいい人生なんじゃないかな?


子守神
いいね。なら、Qさんはどうしてそんなに悩んでいるの?


Qさん
え?悩みですか?ま、確かに漠然とした悩みがないと言えばウソになるけど、それでもきちんと仕事して、家族を養って、そこそこ満足な生活をしてるから、いいと思いますが。それこそ世間一般の人たちの悩みに比べたら、はるかに小さいと思いますよ。


子守神
だよね。Qさんは幸せかもしれない。だけどね、「幸せ」と思うと努力しているだけかもしれない。Qさんさ、奥さんのお義父さん見て、どう思う?


Qさん
どうでしょうね。野球見て、巨人が負けたら怒ってるし、車で追い抜かされてもまた怒ってる。僕はあんな感じにはなりたくないな~って思いますけど。どう思うかと言われたら、僕の方が幸せだし、悩みは薄いと思いますよ。


子守神
そうかなあ。けど、Qさん、Qさん眠れてる?


Qさん
最近はよく眠れます。


子守神
最近は、でしょ。ここ数年はどうだったの?


Qさん
う~ん、確かにそう言われると、どうでしょうね。思えば、2014年の7月くらいから睡眠の質が低下したのは自覚してますよ。それまでは割と早起きとかも得意だったし、10時か11時にはスコンと眠れましたし。でも、ここ4年ばかり、特に家にいる時はあまり眠れてなく、昼間にウトウトするような毎日が続いています。ただ、出張や旅の時は大丈夫なんですが。


子守神
何が起こったの?


Qさん
一度自覚したのが、本のランキングなんです。スマホですぐに見れるじゃないですか。『夢なに』が出たとき、そこそこ売れたのですが、なんかいつもアマゾンランキングを気にしてしまい、一時間に一回、順位が更新されるのを夜中も見てたりしていました。あと、レビューとかも付くじゃないですか。その辺からなんか夜更かしが増えて、睡眠の質が低下したかもしれないですね~。


子守神
一言で言うよ。それを「罪悪感」って言うんだ。Qさんの義父さんは、そんなことはない。野球を見て一喜一憂するかもしれないけど、そうやって素直な気持ちで生活し、夜もしっかり眠れている。そうやって、毎日を素直に過ごし、いつか僕たちの世界、つまり「三途の川」を渡りに来る。そこでスムーズに「三途の川」を渡ることができるのは、「罪悪感」の少ない素直な人たちなんだ。


Qさん
罪悪感?僕に罪悪感があるって言うの?


子守神
罪悪感は誰にでもあるよ。それは文字通りの罪や罰のことじゃない。罪悪感の正体は「本当はこれじゃない」という感情なんだ。さっきのお医者さんもいつか僕たちの世界に来るけど、その時、もしも「本当はこれじゃない」という感情が残っていたら、きっと「三途の川」は渡れない。河原(賽の河原)で石を積み上げて、「本当はこれじゃない」のいう感情を処理する必要があるんだ。

だけど、「本当はこれじゃない」からと言って、別の何かがあるわけじゃない。「これでいい」と気づくまで、ただ、石を積み上げることに没頭する。地球にも似たようなことがあって、それを「禅」と呼ぶのだけどね。

「禅」にもいろいろあるけど、別にただ座って瞑想するだけが「禅」じゃない。ご飯を食べる、仕事をする、寝る、トイレに入る、その一つひとつに「これでいい」との確信を積み上げることが「禅」の目的なんだ。


Qさん
へ~、ってことは、僕ももしかしたら「三途の川」を渡れないかもしれないってこと?


子守神
どうだろう。来てみないとわからない。けどね、Qさんはなぜ眠れなくなるくらい、ランキングを気にするの?レビューを気にするの?批判に耳を傾けるの?合わない人に合わせようとするの?「変な奴」を相手にしようとするの?

それはQさんが「これでいい」と確信を持っていないからだよ。持っていないから、どうでもいいところに波動を合わせてしまうんだよ。「これでいい」と思っていないから、コノヤローで頑張って、「幸せ」になろうとするんだ。

「幸せ」はいつも自分の心にしかないのに、どうして求めようとするの?「これじゃない」と思っているから、求めるんだよね。Qさんの義父さんは、少なくとも「これじゃない」と思って過ごしてはいない。巨人が負けたら、腹の底から悔しがって、それを態度に表して、そしてビールを飲んで朝までぐっすり寝る。巨人が負けたら悔しい。とてもシンプルな感情に従って生きている。巨人が負けて悔しがるなんて、「大人としてこれじゃない」とは思っていない。素直なんだ。だから僕は義父さんが来たら、すぐに「三途の川」を渡ってもらうよ。


Qさん
確かに僕は巨人は負けたくらいで怒るのは「大人してこれじゃない」と思っていた。僕は人生に「これじゃない」と思って過ごしてるのかな?


子守神
睡眠時間を犠牲にしてまで、気にする。「これでいい」と思っていたら、何も気にせず、違和感にも耳を傾けず、もちろん「変な奴」を相手にすることはない。

僕は今、菩薩だけど、修行を積み重ねるといずれ如来になる。如来のことをインドの昔の言葉で「バキャバン(婆伽梵)」って呼ぶのだど、バキャバン、Qさんたちはもしかしたら「バカボン」って発音してるかもしれないけど、結局ね、宇宙はすべて「これでいいのだ」に落ち着くんだよ。

「これでいいのだ」と思った瞬間、ランキングも気にしない、批判にも耳を傾けない、お金があってもなくても気にならない、もちろん「変な奴」に合わせることもない。「これでいいのだ」だから、これでいいんだよ。そこに本当の意味での「幸せ」があるんだよ。





ああ、子守神くん(地蔵菩薩)、ありがとう。なんか、また分かった気がする。私は何かと気にする人間。忖度もする人間で、今までの私はどこか自分以外の何かに答えがあると思っていた。何も足す必要がない。「これでいいのだ」に向かって戻るだけ。戻った時に、また新しい価値ある人生が始まり、言い換えると、「三途の川」を渡ることができるのかな。
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『ぼくたま』の神様に登場してもらって、アフターストーリーを展開しているのですが、どんどん本(お経)よりも濃くなっているような気がする。こちらもでいろんな話ができると思います。

■6月23日(土)/東京/出版記念講演~神様に応援されて、思い通りの人生を掴む7つの方法

今日のブログとか面白かったな~と思われたら、よろしければぜひお待ちしております。ありがとうございました。

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第5回「ぼくたまライブ」
本日の一曲:Bill Evans「My foolish heat」

Commented by なり at 2018-06-08 03:46 x
しかたないからの、これでいいのだ。Qさんとおんなじことをかんがえていました。どんどん次回作が出来上がっていますね。
by katamich | 2018-06-06 23:39 | ■僕らの魂 | Comments(1)