22年前のあの人の言葉で人生が狂った! 2018.4.9

4月になって、イベントの案内などが一気になくなりましたが、実は5月以降、ガンガンに入ってきておりまして、最大のが新刊になりますが、ますます面白くなりそうだ。4月は17日からまた出張ですが、明日から一週間、ようやくと滝行に入れます。


ところで、最近はジャズ関係の話が多くて、今日もまたそな話になるのですが、これ、初公開かと思いますが22年前の写真です。
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1996年7月21日。私は23歳で大学4年生なので今と風貌が違って当然ですよね…。それよりも重要なのが、両サイドのお二人。写真の左にいる外国の方は、「スメタナ弦楽四重奏団」の第二ヴァイオリン奏者、リュボミール・コステツキ氏(2002年没)。私は中3の時にモーツァルトにハマってしまい、それから高校卒業するくらいまでモーツァルトばかり聴いていて、当時はまだ新しかったCDもかなり買ってもらったものです。その中の特に大好きなCDが「弦楽五重奏曲第三番&第四番」でして、スメタナ弦楽四重奏団にヨセフ・スークがヴィオラで加わっているもの。モーツァルトの五重奏曲は一般的にポピュラーな四重奏曲よりも傑作が多くて、特に三番と四番が白眉。四番については小林秀雄の『モオツアルト』にも書かれるほど。


そもそもこの写真はどこかと言うと、チェコはプラハです。大学生の頃、昔から地域で活躍していたアマチュアのオーケストラがあったのですが、私は二年の時に誘われて入りました。管楽器が不足していて、私はクラリネットで、当時は楽器をかなりやっていたようだ。そのオーケストラはしばしば海外遠征をするところでして、数年前はカナダ、その数年後もアメリカかオーストラリアだかに行ってたと思います。そして運よく、私がいた頃にヨーロッパで演奏する機会があり、プラハとウィーンで演奏をしたのでした。


そのプラハでの演奏会の前日、レセプションパーティかなんかの場で出会ったのがコステツキ氏でした。スメタナ弦楽四重奏団はすでに解散しており、それぞれ後進の指導に入っていたようですが、ヴィオラのヨセフ・スーク氏(2011年没)も存命で、よく会っているとの話をされていました。


この時の会話はチェコ語ではなく英語。その通訳をしていただいたのが右に写っている方。顔を見ただけで分かる人は分かると思います。ジャズピアニストであり作家の山下洋輔氏。もちろん「通訳(笑)」ではなく、ピアニストとしてプラハで共演いただくためにご一緒したのです。これはすごすぎますよね。おそらくこのオーケストラでスメタナ弦楽四重奏団を知っており、しかもCDまで持っていて何度も聴いていたのは私くらいで、その感激をコステツキ氏に伝えるのに、山下さんが英語で通訳をしていただいたなんて。

この時、共演した曲の一つにガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」がありまして、冒頭のクラリネットは、なんと私。今では考えられないことですが、確かにそんな時代、そんな経験もしたわけだ。


そしてその「場」は、私の人生に大きな影響を及ぼしたのですが、そのことは以前に書いていた「旅行記」に記してありました。


(就職活動に失敗して)失意のまま、ある旅を経験することになった。それは当時、所属していた市民オーケストラでのヨーロッパ演奏旅行である。縁があり、その時、世界的ジャズピアニストである山下洋輔氏と共演させてもらった。チェコのプラハだった。夜のパーティは現地の人も交えて賑やかに行われた。その中に1人、異彩を放つある人物が混じっていた。それは、かのスメタナ弦楽四重奏団のヴァイオリニスト、ルボミール・コステツキ氏であった。スメタナ弦楽四重奏団というと、私はモーツアルトの弦楽五重奏曲の録音を何度も何度もレコードなら擦り切れるほどに聴いており、私の最も好きなアンサンブルの一つであった。私は、その時、コステツキ氏につたない英語で、

「あなたの演奏は何年も前から聴いています。ヨゼフ・スークが参加したモーツアルトのクインテットは私の愛してやまないレコードです。」

と言った。すると、ものすごく喜んでくれて、

「ありがとうございます。私はもう引退していますが、そのレコードは私も気に入っています。スークとは今でも時々会っています。」

と返答をしてくれた。その時に、コステツキ氏の英語を通訳してくれたのが、山下洋輔氏である。大感激の場が去り、山下氏が私に言ってくれた言葉がこうである。
 
「石田君、旅をしているといろいろと信じられない素敵な経験をするものだよ。」

と。その瞬間、就職活動を中断することを考えた。



帰国したらまた就職活動を再開するつもりでいたのだけど、その瞬間からずっと考えてしまったのです。そしてすべての旅程が終わり、パリから日本に帰る飛行機の中で決心しました。卒業後は就職しないで旅に出よう。ただ、その時に思っていたのはアメリカだけだったのですが、最終的にはアメリカから世界一周になりました。


帰国した翌日かその次の日か、大学の学生課にアルバイトの募集があり、それはいわゆる工場での作業でした。時給800円で、その手のバイトとしてはよかったと思います。一日7時間くらい働いて日給6,000円前後。ほぼ毎日入ってたので、月に14万円くらいの収入があり、夜は家庭教師もしていたので、卒業までの半年で80万円ほど貯めることができ、旅の資金になりました。


そして翌年1997年5月から1998年1月まで本当に世界一周(北半球)をしてしまい、あれこれあれこれあって今に至ります。あのプラハの夜まで「卒業して旅に出よう」なんて発想はまったくなかった。本当にあの日にすべてが変わったのです。


あれから22年になりますので、人生の半分は経過したわけだ。山下洋輔氏は今もジャズ界で活躍されています。山下さんはタモリを芸能界に引きずり込んだことでも知られ、その現場にいたのがサックスの中村誠一氏。


なんでも福岡のあるコンサートの日の夜、ホテルの部屋でどんちゃん騒ぎをしていて、中村誠一さんがごみ箱をかぶって歌舞伎のマネをしてる時、突然、タモリが入ってきた。誠一さんは見たことない男がいきなり入ってきたので、インチキの韓国語でタモリに因縁を付けたところ、その数倍面白いインチキの外国語で返すものだから、周りが笑い転げて、そっからタモリの独壇場となって山下さんも腹がよじれるほど笑ったそうな。

ただ、その男がいなくなってわかったのが、結局、誰の知り合いでもなかった。山下さんは「ジャズの関係者」だと推理し、博多のジャズ屋に訪ねて回ったら、おそらくあの男だろうと再び紹介され、それがきっかけで芸能界に入ったのはかなり有名なエピソード。


中村誠一さんもまだまだ現役で、最近はピアノの吉岡秀晃さんと一緒にやってることが多いようです。これは割と最近に出したCDなんでしょう。右が誠一さん、左が吉岡さん。
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その吉岡さんは30年前から今津雅仁さんのバンドでずっと演奏していて、そこで知られるようになったそうだ。そしてつい最近、吉岡さんと今津さんはデュオでライブをした。それがこれ。左が吉岡さん、中央が今津さん、そして右は、、、オレだ!
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22年前に山下洋輔さんの言葉で人生が狂い、あれから旅して、旅して、旅して、いつの間にか作家になっていた。音楽は演奏こそしないけど、本を書いたり、ライブを企画したりする(7月にも今津・吉岡デュオやります)。それが今。一人の「言葉」がきっかけとは言え、どこか見えない力に導かれているのも否定できない。


そしてこれから、オレはどこに行ってしまうのだろうか。それもすべては「見えない力=神様」の導きによって決まっているのだろう。とにかくも、今、やることをしっかりやる。その結果、思いを超えた世界へと誘ってくれるのだ。来年、オレは何をしているだろうか。想定外の状況になっていることだけは確かだ。ありがとうございました。


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by katamich | 2018-04-09 23:39 | ■音楽 | Comments(0)