【恋愛結婚】何もしない罪
2018年 02月 17日
人って基本的に「何か嫌なことをされる」よりも、「何もされない」の方がはるかに怒りが大きいようです。たとえば悪口を言われたとか、批判されたとか、ハラスメントを受けたとか、明らかに見てわかるような危害については、「怒り」の対象がはっきりしているから、何らかの形で発散することができます。そしてそれは健全な「怒り」だとも言えます。
しかし厄介なのが、それも双方にとって厄介なのが、よくわからないけど「何もされない」ことから生じる「怒り」があって、それはどう発散したらいいのかわからず、どんどんその「怒り」が膨らんでしまいます。
ここで一つ整理しますが、「怒り」の感情自体は決して悪いものではなく、自分にとって大切なものを守るために絶対に必要な感情。たとえば「腹の立つことを言われた」とき、それは「自尊心」という大切なものを傷つけられるわけですから、「怒り」が生じて当然だし、何らかの形で適切に「怒り」を出すことで収まります。
ここでもし、「怒りを出してはいけない」などの制限がかかっていて、出さずにいると、内側にどんどん向かっていき、自分自身を傷つける結果になりやすいのです。病気だったり、予期せぬケガだったりして、自分自身に怒りの矛先を向けることで、結果、自分が被害にあってしまう。なので、まずは「怒り」は外に向ける許可を自分に出すことが重要。
話を戻しますと、「何か嫌なことをされる」と「怒り」が湧き出てくるので、過度にアンチネガティブ教に陥らず、文句の一つも言ったり、または身体を動かしてストレス発散することで解消できます。
ただ、しばしば具体的に何か嫌なことをされたわけじゃないのに、烈火のごとく怒り狂っている人がいます。その多くは、むしろ「何もされない」ことが「怒り」の発火点になっており、その前提として相手に対する過度な「期待」があるのです。
たとえば普段からとても面倒見がよく、ややもするとお節介なまでの人がいたとして、実際、その人から日ごろ世話になっていたり、自分自身を認めてもらっていたとしましょう。その人が今まで通りに自分に対して世話焼きで承認してくれている限りは、その人のことがむしろ大好きでいられるのですが、いつの間にか、世話や承認が自分の思った「期待」の通りでなくなることがあります。
そんなのは当然のことで、いつまでも特定の人にばかり構っているわけにはいきません。そして、いろんな方法で世話や承認を引き出そうとするのですが、そのうちに反応がどんどん鈍くなってきて、いよいよ「期待」の通りのリアクションが得られないとわかると、ドカ~ンと「怒り」に変わって爆発してしまいます。
しかし、その人に対しては何か目に見える嫌がらせをされたわけじゃないので、「怒り」の向けどころがわからず、どんどんイライラがたまってきます。そんなのは自分が勝手に期待しただけなんですが、それを認めたくないばかりに、いかにその人が悪いかを粗探しし始めます。そしてその対象が自分の中で明らかな「悪」だと決まった時、自分は「善」の立場から批判を開始し始めます。
しかし、それで怒りを向けられる当人からすると、その人が勝手に期待して、期待通りでなかった、何もしなかっただけなので、どうにも対応に困ってしまう。
もしもその人に罪があるとすれば、「何もしない罪」か、「期待させる罪」としか言いようのないものですが、その人にも生活や自由があるため、いつでも期待通りのアクションを保証できるものではありません。
恋愛・結婚なども同じで、どちらか一方が相手に「過度な期待」をしていた場合、相手はだんだんと疲れてきて、結果、離れてしまうことが多い。相手に対して「言わなくてもわかるはずだ」などの謎の論理を突きつけ、勝手に期待して、勝手に怒って、勝手に消滅させてします。
期待させる方も悪いなどの理屈もあるのでしょうが、人付き合いしていると、何らかの形で常に「期待」を交換し合うのが普通だから、「期待」そのものを責めるわけにはいかないでしょう。
やっぱりこの場合で言うなら「期待する側」、それも「過度に期待する側」がもう少し自覚的である方が余計な問題に発展せずに済むのかな~と思います。
つまり、相手がどうであれ自分は自分。最初から「期待」などしなければ腹も立たない。お世話になったり、褒められたりしたら、それはラッキーなことだと思って、それ以上を求めたり、期待したりしな方が健全な精神状態にいられるでしょう。
「気にしない、期待しない、すべては自分次第!」
これがストレスのない人間関係を築き、自分自身の幸せをキープするためのマントラです。ありがとうございました。
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