Qさんと行く奇跡のチャダルツアー五日目~ゴールは少し切ないの~ 2017.2.16
2017年 02月 16日
そう、昨晩はテント対岸の洞窟で一夜を過ごしたのであります。何にでも好奇心旺盛のうし君とポーターさん2人と狭い洞窟でギッシリ連なって寝たのです。
とてつもない経験でした。外なので寒いかと思いきや、テントより暖かい。むしろ暑い。なのですぐに靴下を脱ぎ、湯たんぽを外に出します。一晩中寒さで凍えるようなこともなく、狭いけどそもそも寝袋なので関係ない。むしろ快適かと思いきや、二点において非常に寝苦しい。
一つは頭が下になる傾斜にあること。寝てると頭に血が上るようで、慣れない自分としては少々不快。そこで湯たんぽとタオル類を枕にして、通常より頭を高くすることで何とかポジション確保。
もう一つは暖を保つためか、頭上で炭をおこしているため、息を吸うと肺が吸い込まれるような感じになる。つまり、空気の新鮮さがあまりない。しかし、これは火が消えるにつれ徐々に楽になる。
見ると、うし君も少々寝苦しいのがよく動いているし、メガネをかけて外をジッと見ている姿も。本当は語りたかったのだけど、すぐ横でポーターさんが寝てるので、さすがに悪いと思ってね。正直、寒さはともかく、この寝苦しさから眠れるものだろうかと思ったけど、断続的に夢を見ていたので、眠れてはいたようだ。4時半くらいに時計を見た記憶はあるけど、そっから7時前にヤンペルさんに起こされる前では熟睡していたようだ。
とにかく星がきれい。メガネをかけず見ると、星々がUFOのように見えたりも。そしてこれはなぜかわからないけど、夜空が星と月に照らされて縞々に見えていた。う~ん、なんだろうな。それにしても贅沢な夜だ。標高3,500m、マイナス20度以下を外で寝る。それも暖かくしてもらって。
大昔の人ってこうだったのかな。寝袋みたいなのはなくとも、もしかしたら動物の毛皮で寝てたのかもしれない。火は常に焚いておいて。そうか、洞窟なんだ。洞窟こそが「家」の原点かもしれない。石器時代、雨風をしのぐ洞窟に家族や一族が住み、そこで女たちは子育てと料理をしながら、狩りに出ている男たちを待つ。フェミニズムなんて概念すらナンセンス。
洞窟の入口では火を絶やさず、肉食動物がやって来るのを防ぎ、それとともに暖を取る。冬は重なるようにして寝、夏は開放的に。石器時代は栽培なんて概念もないから、男たちが獲ってくる野生の獲物(マンモスなど)とどんぐりや木の実でしのぐ。今と比べて圧倒的に炭水化物が不足しており、慢性的なエネルギー不足。平均余命も30年かそこらだったのかな。
それでも子どもだけはたくさんいる。その大半が新生児で亡くなってしまうのだろうけど、母親は常に妊娠状態で生理なんて概念もなかったに違いない。今と比べて圧倒的に悲惨な生活だったろうけど、何が楽しくて生きてたのだろうか。いや、「楽しみ」なんて概念すらなかったのかもしれない。あるとすれば「食べる」と「飲む」と「生殖行為」くらいだったのかな。
そんな洞窟に寝た。だからと言ってどうってこともなく、所詮は恵まれた先進国から単なる「余興」のためにやってきたに過ぎない。石器時代はともかく、ポーターさんなどザンスカールの人たちよりも圧倒的に恵まれた国から。月並みだけど「ありがたい」って言葉しかないよね。
今日で外の生活は最後だったけど、もしももう一度洞窟に寝たいかと言うと、そうじゃないと思う。やっぱりテントの方が快適だし、屋根のある部屋の方が、そして日本の方が快適。好き好んでエクスペリエンスのために無理を言って洞窟に寝させてもらったの過ぎない。だけど、なんか良かった。良かったとしか言いようがない。
テントに戻ると朝食の準備ができていた。熱いチャイで始まるいつもの朝食。おかゆと卵、揚げパンの他に、チーズの入ったパンまで出てきた。これがまた絶品で、知ってたらこれだけ食べたかったのにね。
さあ、帰るべ、帰るべ。
日陰から日なたに出る瞬間がたまらないのだよ。
松田優作よろしく「なんじゃこりゃ~!」と叫んでるオレがいた。そして「最高~!」とみんなで何度も叫んだ。本当に「最高」以外の言葉がない。本当に来てよかった。一生の財産となる旅には違いない。
ラダックではずっとこれを着ていた。着替えもあるのだけど、気温が低すぎるため、着替えなくても不快感はない。それ以上に外気に肌をさらす勇気がなくて、結局、ずっとこれ。素肌にヒートテック、その上に「夢なにTシャツ」、そしてユニクロパーカー、ダウン、ネックウォーマー、毛糸の帽子などで過ごした。
ああ、着いちゃった。ここでランチして、後は戻るだけ。だけどここでヤンペルさんから「バッドニュース」を聞かされる。
今、レー(正確にはチリン村)からザンスカール(正確にはザンラ村)まで70キロほどの道を通してるそうだ。レーからザンスカールまでは車でまともに行くと、ラマユル、カルギルを経由して400キロ以上かかるところ、この道ができれば100キロくらいで行けてしまう。レーから日帰りでザンスカールに行くことも可能だ。そうなったら、たくさんの人がザンスカールを訪れるようになり、もはや秘境ではなくなってしまうだろう。物流が豊かになり、生活様式も激変するだろう。それはそれで便利でいいのだけど、ちょっと寂しい気もする、、、なんて言うのは現地の人の気持ちを顧みない単なるエゴだろう。
ともかく、今、道を通すための工事が行われている。断崖絶壁にダイナマイトをしかけて岩を砕きながら道を作る。そうなると、一時的に道路がふさがれてしまう。ヤンペルさんの話によると、昨夜のうちに数か所、ダイナマイトで岩が破壊され土砂で道路が塞がれているとのこと。9時からその土砂を片付ける工事を始めたらしいが、いつ終わるかわからない。
ちょうど地元らしき人がやってきてヤンペルさんと何やら話をしている。チリン村の付近から6時間かけて歩いてきたのだと。車が通らないので。我々が進むべき道は一つしかない。チリンまで歩いていくことだ。工事がいつ終わるかわからない。そのうちに終わって車がやってくるのを待ちつつ、ひたすら歩くしかない。レーに到着するのは夜遅くになるだろう。それでも帰らないと明日の飛行機が。だからこそ、ヤンペルさんはもう一日日程を伸ばすように言ってたのか。けど、後の祭りだ。
とりあえず飯を食って、エネルギーを蓄え、歩き始めるしかないのだ。
最後のランチも豪華だった。チャイに始まり、お菓子、マカロニのスープ、そしてこれがインド料理のビリヤーニだ。
食い終わったので、車の発着点に向けて再び戻る。ちょっとした登り坂。
ここでラッキーなニュースが!オレたちの車が来た!!!!!
思ったより早く工事が終わっていたようで、11時に車が着くはずのところ、1~2時間は遅れてしまったけど、ここから4~6時間も歩くことを考えたらありがたい限りだ!この道を歩いてきたのだよ。
車に次々と荷物が運び込まれる。ポーターさん16名(1人につき2名)、ガイドさん3名、コックさん1名の総勢20名、それにヤンペルさんと、我々8名の合計29名のチャダルが終わった。
ただ、我々の車はここまでは来れず、ポーターさんたちが乗ってきたトラックに8名が乗って車のところまで行くことになった。と言うことは、8名のポーターさんは歩いて行くことになる。オレたちは車に乗っている。歩くポーターさんたちは追い越す車に手を振った。もう、どう言ったらいいのかわからない。涙するメンバーもいた。「お客さんだ!」と割り切るほどドライな性格ではないようだ、オレたちは。
我々の3台の車がある地点まで到着。この狭く危険な道を切り返すには、ドライバーだけでは困難。多くの人の手を借り、安全を確保しながらゆっくりと切る。ヒヤッとする場面は何度も何度もあった。無事に切り返せてよかった。
ところどころ工事の土砂でストップがかかる。ダイナマイトの爆破で出た土砂をブルドーザーが片付ける。こんな作業が帰り道に3~4か所あり、その都度、待たされるわけだ。それでもこれが「行き」でなくてよかった。「行き」に引っかかっていたら、スムーズにチャダルができなかったわけであり。
車を降りて歩かされる。場合によっては、車を押すこともあるが、我々はそこまではさせられなかった。
こんな経験も貴重だ。
ユンボも登場。あと少しなのに。
結局、予定より3時間ほど遅れたのであり、本当だったら2時にレーに着き、宿に荷物を置いて休憩。買物や街歩きをした後、ヤンペルさん、サチさんのお家にゆっくり向かうところだった。それが結局5時前にレーの到着となり、そのままラダックを代表するゴンパ(お寺)である「ティクセゴンパ」に向かった。レーから30分ほどで、ここに来るのは3度目だ。
12年前は一人で来た。なぜか「お坊さん」と思われたようで、ゴンパの僧侶がいろいろ案内してくれた。鍵がないと入れない部屋もあり。ティクセゴンパからの景色。
なつかしい。
圧巻の弥勒菩薩(マイトレーヤ)。一階二階と吹き抜けになっており、上半身の二階から。
弥勒菩薩は釈迦入滅後56億7千年後に衆生をお救い下さる未来の仏様。今回のチャダルが全員自己なく無事に終わったことに感謝。しばらくここで過ごす。
いよいよヤンペルさん、サチさんのご自宅へ。前回2011年にはまだなかったのが、あの直後に建設されたそうだ。本来は旅行代理店さんのご自宅に行くことなどないのだけど、真冬のオフシーズンだし、前回も来たQさんだしってことで特別にご訪問。
サチさんがご飯を用意してくださっていて、蒸したモモと揚げたモモ。ビールにすごく合う。おつまみもたくさん。
カレー。お米もカレーもインドと日本をミックスしたそうで、これはあまりにも美味すぎた。何より部屋が暖かいのがありがたい。
なぜかカラオケまであり、メンバー熱唱。私はお酒で朦朧となっており、夢を見ているようだった。
チャダルで取ってきた天然の氷。ザンスカール川の氷だ。不純物もなく、最高の贅沢にオンザロック。インドではインドのウィスキーが美味いよね。夢だ、夢だ、夢だ。そんな心地になっていた。
結局、このままホテルには戻らず、サチさんのお家に8名が泊まることになった。寝袋はチャダルで使ったやつ。シャワーは明日までの辛抱だけど、やっぱり屋根っていいな、暖っていいな。そんなことを噛みしめながら、私は先に寝袋に入るのでありました。ありがとうございました。
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