宇宙のシナリオって?? 2017.1.29
2017年 01月 29日
明日は打合せ2件、夜は著者さんたちとの飲み会。明後日は10時から18時までビリーフチェンジセラピーですが、今年は再びこの辺にも力を入れていきたい。31日のは満員になっていますが、3月13日(月)にも行う予定ですので、希望される方はチェックしておいてくださいね。私も3月から5か月間のとあるセミナーに参加しますので、今年もまた毎月東京は決まりです。本もたくさん出したいと思っています。
2月は今のところ東京出張はないですが、成田空港には行きます。そしていよいよインド。どんな旅になるのか、まったく想像できない。行ってみるまでわからない。なんだか、とてつもないことが起こりそうだけど、それが何かはもちろんわからない。まずは「楽しむ」をベースに、ありのままを体感しようと思います。
最近、「10年後はなにしてるかな~」って考えることがよくあります。2月のインドのこともわからないのが、10年後なんてわかるはずない。1年後もわからない。それでも、もしかしたら人生はすでに決まってるのかなって思うことがある。壮大な宇宙シナリオがって、私たちは単に演じさせられているだけ。「自由意思」など所詮はアドリブみたいなもので、結末とか着地点は同じなんだろう。ひょっとしたら、アドリブが素晴らしすぎて、その都度、宇宙がそれにあわせてシナリオを書き換えてるかもしれない。だけども、役者(つまり私たち人間)の能力も限られてるので、弁護士の役の人が、音楽家の役に鞍替えすることはなく、それくらいの縛りはあるんだろう。
では、私たちにはどんな「シナリオ」が与えられているのだろうか。それって、実は知ってるのかもしれない。儲かるとか、認めれるとか、そんな社会的、地球的、三次元的な制約を廃して、純粋に「やりたいこと」を見つめたとき、それが「シナリオ」なのかもしれない。
その意味では幼少期の夢がシナリオに近いのだろう。7歳の息子は物心付いたときから「ロボットを作る人になる」と言っている。好きな教科は図工と算数。ジャズやクラシックを聞かせてもなんの反応もないから、音楽家になることはなさそうだ。大人が読むようなゲームの本をボロボロになるまで何度も読む。借りてきて読む本も図鑑とか説明書のようなものばかり。同じマンションの同級生の女の子はすでに大の本好きのようで、700冊くらい読書カードに記入してるようだ。そのこは、将来、文章に関わる仕事をするのかもしれない。
私の幼少期を思い出してみても、本はあまり読まなかったけど(読書家の両親兄弟に比べて)、それでもどこか書くことは好きだった。小学校の文集でも、何度も面白いと周りから言われた。そして高校のある日、「オレは将来、人前に立つ仕事をするかもしれない」と言った記憶もある。部屋にいた同級生から「その顔でか!」と言われたのでよく覚えている。
純粋意識に戻ったとき、人々は「シナリオ」が見えている。たとえばやりたいことを100個くらい書いてみよう。普通の人は10個くらいならすぐかけるのだけど、当然のこと、段々と難しくなってくる。30個、40個、50個、書いているうちに「もう出ない!」となるときがくるだろう。そのとき、あらゆる条件や制約を廃した「純粋意識」に入り、そこにシナリオが現れるのかもしれない。今度のインドでは改めてシナリオを見つめ直す旅になるだろう。
そして今、新たなシナリオが見えている。それが何かはまだはハッキリと言えないけど、来年の今頃は今とまったく違うことをしていそうだ。たとえばツアーや合宿をしている姿がイメージできない。大きな講演会はたくさんやってるようだ。そんなこんな、実はある「予言者」からも言われている。オレはいったいどこに進むのだろうか。いずれにせよ、その辺のシナリオが、、、インドでまたハッキリしそうだ。そして3月の久高島。
私たちは宇宙のシナリオを演じているだけだ。自由意思はシナリオの中のアドリブに過ぎない。アドリブがよかったら多少はシナリオも変わるかもしれないけど、結末は決まっているし、書き変わっても微修正の程度だろう。
そのシナリオは、、、社会的条件を廃した「純粋意識」に入ったときに、フッと見える。
あなたが本当にやりたことは何ですか?
↑を見たて、0.2秒で思い浮かんだこと。それがシナリオだ。ありがとうございました。
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