「気づき」と「奇跡」のシンクロ 2005.4.4
2005年 04月 04日
会社のデスクに座って、ティッシュを一枚取ると、それは最後の一枚でした。ちょうどティッシュが必要なくなると同時に、最後の一枚が終わるなんて「偶然の一致(シンクロ)」とでも言うのでしょうか。ティッシュごときでシンクロなんて大げさかもしれませんが、実のところ、近頃は頻繁にシンクロを起こすようになってきました。
先日から言っている「会社を辞めていいか神社で聞いてみようと思って信号で止まったところが神社横だった」なんてのは、典型的なシンクロ現象ですよね。他にも、ちょっと思い出した昔の知り合いから突然メールがきたり、聴きたいなと思った音楽が突然車のラジオから流れてきたりなど、そういうのもシンクロって言いますよね。あと、外に出た瞬間に雨がやむなんてのも。でも、通常は良いことが重なる場合にシンクロって言うのであって、悪いことが重なる時はそうは言いませんよね。
近頃、ちょっと考えたんですが、上手くいく人ってのは、この「シンクロ」をどれだけ引き起こせるかによるのではないでしょうか。よく一代で財を成した人なんかが、自らの成功経験を語るとき、たいていは「実力ではなく運がよかっただけ」と言いますよね。これは決して謙遜でなく、ほとんどが本心で言っていると思います。松下幸之助さんや斎藤一人さんなどは声を大にして言っています。
ではこのシンクロを引き起こすにはどうすればよいのでしょうか。モノの本では瞑想したりマントラを唱えたり、などというエクササイズが紹介されていることがあります。私自身はそのようなエクササイズは決して軽視しないどころか、重要な要素であると考え実践するようにもしています(習慣化はまだですが)。例えば、私の守護仏である文殊菩薩の真言である「おんあらはしゃのう」を1000回言ったり、時には空海が唱えていた虚空蔵菩薩真言(のうぼうあきゃしゃきゃらばや・・・)を100回ほど唱えてみることもあります。般若心経は毎日唱えています。まあ、私がこうしているのは何もシンクロを起こそうなどと言うのでなく、唱えていると気分がいいからなんですが、実際にシンクロ効果もあるのではないかと思っています。
しかし、私のような「半お坊さん化」したような人間ならいざ知らず、普通に生活している人誰もがそのような真似をするとはあまり考えられません。では、どうすれば良いのか、初っ端のステップとしては、「シンクロしていることに気づく」ということではないかと思っています。
シンクロというのは実は誰もが経験していることです。例えば、一日車に引かれずに無事に家に帰ってきたという当たり前のことも、事故に合った人から見れば大きなシンクロです。事故に合った人は、もう一歩進むのが遅ければ(早ければ)事故に合うことはなかったことを考えると、実際に一歩進んだ人は事故に合わないというシンクロ現象を起こしているのですから。
まあ、こういう当たり前すぎて気づかないことも重要なんですが、日常的には「いいタイミング!!」なんてのはすべて小さなシンクロですよね。エレベーターの前につくとすぐに扉が開いたり、信号機に一回も捕まらずに家に帰れたりなど。
そのような小さなシンクロが溜まり溜まって大きくなると、時には「奇跡」と言うような大きなシンクロを起こすこともあります。諦めていたような試験を受ける時、たまたま試験5分前に見ていた参考書と同じ問題が試験に出て、わずか一点の差で合格した場合などは「奇跡」と呼ぶでしょうね。面接試験に行くのに電車に乗り遅れて、イライラしている時に同じ車両で高校生がおじいちゃんに絡もうとしているのを見て、イライラついでに高校生を怒鳴りつけたら、そのおじいちゃんが面接先の会社の社長だったなんて展開に対しては人は「奇跡」と呼ぶでしょうね。。。
話は変わりますが、最近、私のブログの熱心な読者(笑)から一通のメールが来ました。最愛の父親が癌で余命幾ばくもないと宣告されたのに対し、一瞬、「癌細胞が憎い」と思ってしまったのですが、ハッとなって癌細胞に「ありがとう」と言い直したという報告でした。私自身は最愛の人を蝕んでいく元凶に対して心から「ありがとう」と言えるかわかりませんが、そこで気づいて「ありがとう」と言い直したその方は、本当にすごいな~と思い、そのように返事もしました。
そうやって返事を書いていると、突然、キーボードが走り次ようなことを書いてしまいました。
「私の知っている人の中には、実際に医者から見放されたにも係わらず、「奇跡」を起こして今もピンピンしている人もいます。それは「奇跡」というよりも何かの「気づき」としか考えられないです。奇跡も気づきも一字の違いなので親戚みたいなもの。癌は何かの「気づき」と信じて、「奇跡」を待ちましょう。」、と。
なんだか知ったような偉そうなことを書いていますが、私は医者ではありませんので、こう書くしかなかったのです。しかし、癌というのも誰もがなるものではなく、語弊があるかもしれませんが、選ばれて癌になったと考えることができます。選ばれると言うことは、何がしかの「気づき」を促しているだと考えられます。
私がリスペクトする斎藤一人さんはお金の話でこんなことを言っています。
「1円は5円の子ども。5円は10円の子ども。10円は100円の子ども。100円は1,000円の子ども・・・・。だから1円を大切にしていると、その親の親の親たちがみんな『子どもを大事にしてくれてありがとう』ってお礼を言いに来てくれるんだよ。だから1円でも大切にしなきゃだめだよ。」、と。
「気づき」も同じと思います。日常の小さな「気づき」を大切にしていると(←つまり感謝していると)、その親のちょっと大きな「気づき」がやってきて、それに感謝しているとまたちょっと大きな「気づき」がやってくる。そうやって感謝しながらどんどん「気づき」を大きくして行くと、どこかで「奇跡」がやってくるのではないか、と。「きづき」と「きせき」は一字違い。親子のようなものです。なので「気づき」が膨らむと、どっかで「奇跡」がやってくるもの。
日常の小さなことに対する「気づき」と言うのは、しつこく言いますが、日常の小さなことでも「感謝」して生きること。自分にとって都合の悪いことでも何かの「気づき」と思い感謝すること。そうやって、いつかは「奇跡」と呼べるような大きなシンクロを引き起こすのではないでしょうか。
斎藤一人さんが「ツイてる」というと本当にツイてくる、と言いますが、実はこの「ツイてる」というは「気づいている」の子ども版なのではないでしょうか。だから、「ツイてる」と言いつづけることが、「気づき」を促し、それが感謝に変わり、結果として本当にツイてくる(運がいい、大きなシンクロを起こす)のでしょうね。
畳の部屋で座禅を組んでマントラを唱えるのもいいのでしょうが、やはり、普段から何事にも感謝して、ツイてるな~、運がいいな~、ありがたいな~、と言うのが一番いいのかもしれませんね。んで、話の最後はいつもと同じ結果になっちゃいました。
というわけで、花粉症の話が「気づき」と「奇跡」のシンクロという話に発展しちゃいました。
クリックして大きなシンクロを引き起こしましょう(笑)ブログランキング
(写真はシンクロ、安易だな~)
ミクシィの足跡から参りました。
いろいろと実践されているご様子で敬服いたします。
私も口先だけでなく、いいことは実行しなくてはと思いました。
また寄せていただきます。ありがとうございました。
お気に入りに入れて毎日見てますよ。
私は雪之介さんの日記からたどりました。
ジャズと密教なんて私の趣味そのものです(笑)。
これからも更新楽しみにしています。
「パーカーの曼荼羅」の話は笑った。。。