モーツァルトのインスピレーション 2015.2.10

 最近、また何冊かモーツァルト本を買ったりしてますが、何だか、あの中学生の純粋な頃を思い出してます。

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モーツァルトは大器晩成
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 モーツァルトの音楽をあえて一言で言うと、それは「純粋」。本当に飾りっ気もなく、ただ、天から降りてきたそのままを楽譜に書き写すだけ。まさに「天才」のゆえんなんでしょうが、一方で「神童」としてのモーツァルトを神格化し過ぎてる評価は、専門家の中では少なくない。メンデルスゾーン、「結婚行進曲」で知られる「真夏の夜の夢」が作曲されたのが17歳。モーツァルトならば、「交響曲第25番ト短調」という傑作はあるものの、楽曲の完成度で言えばメンデルスゾーンの方がはるかに早熟。

 モーツァルトは35歳の、一般的に言えばまだまだ働き盛りで亡くなってしまったので、永遠に「若い」と思われがちだけど、だけど実のところ、モーツァルトの本当の傑作は晩年に集中してるんですよね。ピアノ協奏曲は27曲残していますが、20番ニ短調を作曲したのが29歳。それ以前と以降とでは現代では演奏回数が桁違いです。モーツァルトが円熟したのは、実は30歳を超えてからで、もし仮にそれ以前に亡くなっていたら、ここまで後世に名を残さなかったのかなと思われます。つまり、モーツァルトは「大器晩成」だったのです。

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モーツァルトと松本人志
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 もちろん幼少期から才能は秀でるものがあったけど、その上に父親レオポルドにより厳しい教育があり、旅を通して多くの機会を得たことなどが、後世に名を残すモーツァルトを作ったのは間違いない。そして彼は手紙魔でもあり、それが後のモーツァルト研究に大いに役立っているのですが、しばしば「ボク以上に音楽のことを考えている人はいない」とこぼしていました。松本人志が「オレ以上に笑いのことを考えてる奴はおらん!(放送室より)」と言ったのと、思わずかぶさってしまうのですが、これがまさに「天才」のゆえんなんでしょうね。

 その意味で言うと、私はどうか。モーツァルトや松本には遠く及ばないものの、やはりブログや本のことは考えてる気がします。成功しているビジネスマンもまず例外なくビジネスのことを考えている。だけど、ハッキリ言って私はまだまだ甘い。もし、モーツァルトをモデリングするならば、それこそ「文章漬」になってなければならないけど、そんなことはない。と言いながら、やっぱり考えてるかな~と思うこともある。だって、夢にまで出てくるんですからね、それも頻繁に。だからこそ、一瞬のインスピレーションを感じることができる。

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思考の闇に身を置け
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 モーツァルトは確かにインスピレーションの泉のようだけど、それは「常に考えてる」って土壌があってこそ。スピリチュアルの世界ではとかく「思考を止めろ」とか「考えないで~」とか「Don't think. Feel!」とかって力説しようとする。
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 特に三つ目のはブルース・リーの「燃えよドラゴン」で有名なフレーズで、やたらと引用される、そして「感じる」と言うより、「考えない」ことの重要性を権威付けるような文脈で使われます。確かにそれも大切だけど、いわゆるスピ系の多くの人は「考える」ことがどうも苦手のようで、だからこそ「考えるな」って言葉を安易に受け入れてしまうのか。

 感じることは何より重要だし、インスピレーションも「思考」からは生まれません。しかし、思考の土壌なきインスピレーションもありません。いわば、インスピレーションとは「思考の狭間にさす光」のようなものであり、それが「光」であることは知るには、「思考の闇」に身を置くことがまずは重要なんです。とにかく考えて考えて考えまくる。もうダメだ~と思ったときに、一寸の光が差し込んでくる。これがインスピレーションなんです。考えないことの重要性は、実は考えることと表裏なのです。

 結局、モーツァルトの音楽にしても、松本人志の笑いにしても、なんであんなに素晴らしいかって、普段から考えに考えまくってるから。エジソンの「天才は1%のひらめきと99%の努力(汗)からなる」って有名な言葉を残しましたが、ここで重視されるのは実は「1%のひらめき」の方であって、それがなければ「99%の努力」なんて無駄だってことを言ってるのです。それほど「ひらめき=インスピレーション」につながることは素晴らしく、そして快感なんです。だけども、残念ながらそのエジソンをしても「99%のひらめき」で生きてるわけじゃなかった。やはり、「1%のひらめき」を得るには、それ以外の99%の努力が重要だってことを裏付ける言葉になってしまった。皮肉にも。

 そしてメカニズム的には、とにかく考えて考え考えまくることで「ストレス」を取り入れる。すると、どこかで自然と「リラックス」がやってくる瞬間があり、そこに光が刺すんです。モーツァルトの音楽はその「光=インスピレーション」そのものであるから、聞く人の潜在意識を刺激するのも確かなこと。

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モーツァルトを聴いてるとき、何が起こっているのか?
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 そう言えば脳科学者(?)の苫米地英人さんは、いわゆる「天才」と周囲から言われてるそうで、確かにめちゃくちゃ頭はいい。いろんな分野の本を書いているし、世の中のすべてを知ってるような口ぶりで話をする。そこまでいくと、「苫米地先生は何が楽しくて生きてるんですか~?」などと水道橋博士から聞かれたりするんですが、そのとき、苫米地氏はこう答えてました。

「ん?モーツァルトを聴いてるとき」

 モーツァルトはIQを高める音楽と言われ、そこには高度な抽象世界があるんだそうです。私も以前、完全に宇宙空間に投げ出された話は書きましたが、ときとしてあり得ないビジョンをそこに見ることができます。

 「死後の世界」ってのは、どんなに科学や医学が発展しても永遠に解明できない世界。臨死体験者のどんな証言があったとしても、そこにどれほど有意味な共通性があったとしても、本当に死んだ人は何も言えません。臨死と言っても、それは生か死で言うと「生」ですから。しかし、それでも「死後の世界」を垣間見ることは出来る。例えばモーツァルトの「クラリネット協奏曲イ長調K622」の第二楽章などは、完全に死後の世界であり、それが「天国」であることを証明するような音楽です。もちろんそれを科学的に証明することはできませんが、私にはそう思えて、感じられてならないのです。だから死そのものは怖くありません。こんなに祝福された世界があるのだから。

 ただし、だったらモーツァルトを聴けば頭良くなる、悟りに近づける、、、などと考える人がいたら、それは間違いです。よく言われるように「モーツァルト効果」はあると思います。が、同じくモーツァルトマニアであり脳科学者の茂木健一郎氏が言うには、「好きでないと効果はない」とのこと。そしてそれはどんな音楽でも同じだ、と。モーツァルトが好きで好きでたまらない。だからこそ、モーツァルトの本当に世界を理解できるのであり、「頭良くなる」的な動機で聴いても、単なるBGMにしかならないってことでしょう。

 そんなわけで、またモーツァルトについて語ってしまい、これで三日連続なりましたが、そろそろ別の話題をとも思ってます。が、また書きたくなったら書くかもね。だって、これは私の自由なブログですから。ただ、この手の話、、、とても好きな人も多いようで、プロの音楽家の方からいくつかメッセージもいただいています。ありがたいですね。てなわけで、私は私で執筆を進めるのでありました。インスピレーションを降ろしながら。ありがとうございました。


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Commented by y at 2015-02-11 17:55 x
考えることはいいことなんですね。
考えると感覚から遠ざかってしまうのかと
思って、考えない方がいいのかと思っていました。

モーツァルトも聴きたくなりました!
Commented by katamich at 2015-02-11 18:15
■yさん!
考えても考えなくても、どっちでもいいのですが、目標があるときはまずはとことん考えないと進みませんものね。当たり前の話ですが。
by katamich | 2015-02-10 23:39 | ■音楽 | Comments(2)