部分と全体 2005.3.19

 先ずはこれを聞いてみて下さい。新しいドラえもんの声です。どうですか。「思ったより違和感なかった」という人もいるようですが、私としては「違和感ありあり!」です。トラウマになりそうな声です。私が子どもだったら「泣く」に匹敵する声です。う~ん。。。

 話は変わりますが、昨日の日記はちょっと長く、また内容も固かったので読み飛ばした人も多いことでしょう。しかし、アクセスはいつも通りありました(開くのと読むのは違いますが)。それでも、きちんと読んで下さり、なおかつ示唆的なコメントをして頂いた人もいます。新潟で事業をされている「宮さん」です。この方とはネット上で知り合ったのですが、感性がとても通じる、魂が響きあう方です。私がホームページを始めてよかったな、と思うのは、遠くにながらもこのような素晴らしい感覚の持ち主と知り合うことができることです。

 そこでコメントのままにしていてはもったいない内容ですので、ここで返信に代えたいと思います(昨日の日記のコメントからそのまま転用しています)。

(ここから)
 新しいスタート切られんですね!おめでとうございます。大いなる共感を持って読ませていただきました。

 私も以前肝臓をやられ死の宣告を受けたのですが、自然食品店を始めるに際して、東洋的な発想・情報を受け入れ始めていたころでしたので、入院せず、自分を病人扱いせず、絶食からはじめ、玄米粥と大根おろしのスープとヤンノー(塩味の汁粉)などで回復したという経験をしました。
 その時の西洋医学を学んできた総合病院の先生との手に汗握るやり取りはまさに命がけでした。(以降、陰陽・マクロビオティックなどを本格的に学びました。)

 私はどちらかというと文系なのですが、もう何年も前になりますが、書店で偶然手にした「タオ自然学」フリッチョフ・カプラ著、量子物理学の先端分野と仏教は実は同じものを見ているのでは・・という着想から執筆された本で、当然西欧科学の中では物議をかもしたそうです。

 その本から学んだのは、「部分は全体である」という視点です。西欧近代科学の祖はそれこそ写真にもあるように「デカルト」なのでしょうが、彼は「方法序説」の中で、神からの独立を目指していました。宇宙は目に見えないものと目に見えるものとで成り立っている、見えない世界はまだ神の領域かもしれないが、とりあえず我々人間は、目に見える世界、測定できる世界を研究しよう!でもその思想の根幹は「部分は部分」だから人間も自然もばらばらにして各部を分析的に研究してそれを総合すれば研究対象は理解できる、という発想です。この発想が20世紀まで延々続いてきたのでしょうね。

 総合病院なのに総合課は見当たらない。(西洋・東洋両方の視点を含んだ上での患者の扱い)
「どうせ、俺なんか会社の歯車さ!」
「自分ひとりが、いまさら何をやっても社会は変わらない」
「誰も見ていなければ何をやってもかまわない」
 こんな思いの背景には「部分は部分」という近代合理主義・個人主義のにおいがしま す。全体と繋がっていない孤独な自分!

 しかし、「部分は全体」という視点は私にとってはまさにターニング・ピントでした。大げさに言えば「私が社会そのものである」「私が宇宙そのものである」宇宙に責任を取る生き方!

 私は、マザー・テレサ、宮崎駿などにそれを感じます(他にもたくさんそれを体現した生き方をされている人間はもちろんいっぱいいますが・・・)

 マザー・テレサは下手な政治家のように大向こうをうならせようとする底の浅いスピーチやパフォーマンスをしたわけではなく、ご存知のように、目の前の行き倒れた人をその人の所属する宗教に沿って介護し、見取る、淡々と地味にその活動を続けただけです。それなのに全世界に共感を呼び(呼ばなくてもかまわないのですが・・)ともに歩きたいというシスターが増え、援助しようとする人達が増えていく・・最後はノーベル平和賞・・(それが目的では、もちろんありませんが・・)

 宮崎駿、どこかのインタビューを見てしびれたのですが、映画の製作動機が、友人夫婦に小さい女の子がいる、その子に喜んでもらいたくて!
 でも結果的に大勢の人の心をつかんだものになりました。こんなところに「部分は全体」の事例を見てとっております。そして自分の進む道、前例のない道なき道を歩む勇気をいただきました。
 
 自灯明、心を静かに澄ませ、魂を羅針盤として進んでおられるQさんもまたその一員なんだなーと心からそう思います。
 
 人生を深く味わいたいものですね、お互いに!
(ここまで)

 ありがとうございます。これに対するコメントの必要がないほどに、素晴らしい文章であると思います。私が漠然と感じていたことを、「言葉」にして頂いたようです。

「部分は全体である」
「私は社会そのものである」
「私は宇宙そのものである」

 日本社会は、欧米における個人主義と比較して、「集団主義」や「全体主義」であるように考えられています。しかしそれは、自らが所属する会社や組織においての話であり、「社会全体」や「宇宙」に生きる「私」として「全体」を感じてはいません。人は「会社」においては徹底的に従属し、会社にそむくことは人生を台無しにすることだと考えられてきました(少なくとも20世紀後半は)。その一方で、会社という組織は談合や各種の不祥事に見られるように、「社会」にそむく行為を繰り返し、また、産業廃棄物の排出など「宇宙」にそむく行為を繰り返してきました。つまりは、「会社」の言うことさえ聞いていれば個人の行き方が完結でき、社会に対する有り方が正当化できていた一方、それ以上のことについては全く感心を払うことがありませんでした。

 しかし、昨今は、その「会社」という「求心力」が薄くなり、個人が投げ出された時に行き場を失い、ややもすると「中高年の自殺者3万人」という結果につながってしまうのです。しかし、日本人は本来、地域の、土地の神様を奉り、自然と一体となって生きてきました。その意味で、本来的な意味での「全体主義(←右翼的な意味ではなく、社会や宇宙の一員としての全体を意味する)」が人々の心にあったと思われます。しかしながら、近代合理的な意味での集団、つまり最も効率的に経済を発展させる媒体である「会社」や「組織」が日本経済に導入されることによって、本来的な意味での「全体主義」が、経済合理的な意味での「会社主義」に取って代わられてしまったのです。

 今の日本は「会社」という求心力が弱くなった結果、一説では欧米的な「個人主義」がますます様相を呈してくると論じられています。しかし、私はそうは思いません。欧米的な意味での「個人主義」とはキリスト教的世界観、つまり「個人」と「神」とが対置している背景においてなし得るものです。日本はそもそも農耕民族であり、その土地の神様や自然の力によって生かされているというマインドがあります。なので、会社から投げ出された個人は、欧米的な意味での「個人主義」に移行するのではなく、土地や自然を大切にする、日本特有の自然信仰、土地の神様や自然を通して全体とつながるという考えに移行するものだと思います。いや、すべきだと思います。

 先日話に出した「一億円プレイヤー」をはじめ、会社の経営者などは、会社に従属していない分、神社やお寺、精神的な世界に拠り所を求めるものです。それは狭義の意味での「宗教」ではなく、社会や自然、宇宙の一員としての思想に基づいているものなのです。

 話がずい分それてしまいましたが、今までの日本社会は「部分A(個人)は部分B(会社)」であり、決して「部分(個人)は全体(社会・宇宙)」ではありませんでした。しかし、経済社会環境が激変する中で、日本もどうやら本来的な意味での「部分は全体」の重要さに気付いている人が多くなってきたように思います。それは単に神社に手を合わせればよいという訳ではなく、宇宙の一員として、宇宙の法則に則りながら生きようとすることに他なりません。そのような生き方によって、人や財、幸せは自然と集まってくるものです。

 話を元に戻すと、身体を健康成さしめるためには、問題部位を部分的に対処するのではなく、身体全体を考えた上での健康が重要です。それと同様に、個人が幸せでいられるためには、個人や会社・組織のことばかりを考えるのではなく、全体(社会や宇宙)のことを考え、全体とつながっている、まさしく「部分は全体」「私は社会」「私は宇宙」という考えに基づき、生きていくことが重要なのです。

 結局昨日と同じような内容になってしまいましたが、健康においても、経済においても、生活全般においても、「部分は部分」と言う考えから「部分は全体」という考えに移行すべき時期がまさに到来していると思われます。時代は変化しています。

 そんなところで、宮さん、コメントありがとうございました。

今日も長い文章にお付き合い下さりありがとうございました。クリックしていただければ幸いです。
Commented by at 2005-03-20 18:27 x
宇宙のはずれがあった、という報告がまだどこからも届いていないのであれば、自分のいるここが宇宙の中心です、といってもまだ間違いではなく、その横にいる人も自分もそう、といっても未だ矛盾したことにはならず、宇宙のハズレが未だ発見されず、とりあえず無限だということであれば、夢の大小に何も違いはなく、一見目の前の”ささやかな”営みは、国同士の大きな問題と何も変わらないということになると思うのですが・・・

コメントを取り上げていただきありがとうございました。
Commented by katamich at 2005-03-21 11:46
その通りですね。全ての人が宇宙の中心。いい言葉です。でも自分だけが中心ではない、みんな中心なんだよ、という意識を持つことが大切ですよね。いつもありがとうございます。
by katamich | 2005-03-19 23:52 | ■人生哲学 | Comments(2)