人生は忍耐だよね 2013.10.20
2013年 10月 20日
と言うわけで、9月頭から、厳密には8月末の河口湖合宿セミナーから2か月に渡る怒涛のスケジュールも無事に終えることができました。アイルランドから帰ってしばらく抜け殻でしたが、その反動を宮古島で吸収できたようで、今はぼんやりはしていますが、抜け殻まではなってません。夜もよく眠れます。だけど、、、帰って来てから改めて気になり始めるのです。石庭。今回は家族と一緒だったのでゆっくりはできませんでしたが、どことなく呼ばれているような気がしなくもない。そして今はネットの時代。いろいろと調べていたら、ますます再訪したくなってきました。今回の家族旅行では、特にパワースポットとかそんなの関係なく、ただ、純粋にキレイな海を見て、美味しいものを食べることが目的。だけど、せっかくなので「石庭」には行ってみたいじゃないですか。二日目の宿から車で5分のところにありましたし。そしてこの図。
今回は池間島、インギャー、石庭には訪れてますが、もう一か所は行ってません。そう、大神島ですね。島民20名の観光施設もないもない離島の離島。ここは観光客はおろか、島民でさえも入ってはならない神聖な場所があるとか。沖縄自体がパワースポットで、中でも宮古島は白眉。その中でも大神島は異彩を放っているようで、今回は「まだ来る時期じゃない」と言われたように思います。つまり、私の中で完結してないってことは、「再訪」を意味するわけですね。ですので、来年か、再来年かわかりませんが、近々、行くと思います。また例によって同行者を募るかどうかはわかりませんが、要望があればそうするし、なくてもまた行くとは思います。
そう言えばこの石庭、どこかで見たことがあると思ってたら、フランスにある「シュヴァルの理想宮」じゃないですか。ある田舎の郵便局員が石に躓いて、何だろうと思って掘り起こしてみるとでっかい岩が出てきた。よし、ここにお城を作ろうと思い30年。今では多くの人が訪れる観光地(パワースポット)になっている。宮古島の石庭と物語も同じじゃないですか。そしてシュヴァルの石には様々なメッセージが刻み込まれている。
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「この岩を造ることによって、私は意志がなにをなしうるかを示そうと思った」
「目標に達するには、かたくなに仕事をしていかなければならない」
「絶望するな、望め!ある日太陽が出てきてくれる」
「金(宝)が欲しいなら、自分のヒジ(腕)を見ろ。そこには金(宝)がある(働くことによって宝が見つかる)」
「1分経つと、1分前には戻れない」
「一生懸命仕事をすれば、成功する」
「過去の仕事が、後の成功につながる」
「この理想宮は一人の村人によって建てられた(誰にでも出来たことだ)」
「もし自分(シュヴァル)よりやれると思ったら、いますぐ始めろ」
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そして宮古島の「石庭」にも同様にメッセージが刻み込まれている。
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「忍耐と努力は才能を産み育てる母である」
「天体と人間才能は無限大である」
「人間の知恵は泉の如く湧きいずるものである」
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シュヴァルのメッセージにも通じる、と言うか、ほとんど同じと言ってもいい。ちなみに斎藤一人さんも近頃は「私は愛と光と忍耐です」というアファメーションを大切にされている。いずれもキーワードは「忍耐」。そう、「忍耐」こそが、神に通じる道。「宇宙」との一体化を感じる道。
ここで、ある一定の人たちを絶望へと誘うコピペを二つほど紹介。
中学生くらいから嫌なこと面倒なことがあると、いかにしてラクしてやり過ごすかを考えてきた
受験もがんばっていいところを目指すんじゃなくて、勉強しなくてもなんとか入れる底辺高校へ
専門学校進学もとりあえず社会に出るのがイヤだったから、まだ学生でいたかったから
そして卒業後はバイト生活、そこでも頑張らなくてもまあまあやり過ごせる仕事
辛いことや苦しいことに直面しても、その壁を乗り越える努力をすることはなかった
そうしているうちに30代後半に突入
同年代ならかんたんに飛び越えられる壁も
底辺へ底辺へと沈んでいった俺にとってはるか高くそびえ立っていた
壁はどんどん高くなっていき、俺はただ絶望するだけだった
仕事がつまらない
俺じゃなくてもいい仕事 同期のあいつでさえ出来る仕事
テレビの中の成功者たちは輝いていた
あの人たちは自分で企画して売りこんで評価されて そして成功して
俺もああなりたいと思った 俺ならなれると思った
俺のセンスは社会に通用すると思った 俺のセンスを買ってくれる人は必ずいると思った
「―自分の個性を活かしたやりがいのある仕事がある」
だからクソつまんない仕事を辞めてやった
でもあの人たちがなぜ成功したかというと なぜ輝いているのかというと
若い時にクソつまんない仕事をこなして 経験と人脈と信頼を培ってきたからなんだ
それに比べて俺は クソつまんない仕事もこなせないただの無能だった
少なくとも上の人間からはそういう烙印を押されたということに 40歳になった今、気付いた
あのまま社員として残っていれば 今頃は結婚して子供もいてマイホームを買って
贅沢はできなかったただろうけど ささやかな幸せと安定した生活は手に入れられたはずだった
俺のかわりにそのクソつまんない仕事をしていた同期のあいつは 俺が配送のアルバイトをしているデパートに
奥さんとこの春小学校に入学する娘を連れてランドセルと学習机を買いに来ていた
幸せそうだった
あの時 気づいていれば
あの時 仕事を続けていれば
あの時 もう少し我慢していれば
この手のコピペはネット上にたくさんあります。よくある話。以前、カンボジアに旅行に行ったのだけど、シェムリアップの有名な日本人宿でたむろしてたら、30代前半と思しきお兄さんが、いきなり机に伏して泣き出したんです。それまでビール飲んで笑ってたのに。要するに、現実逃避でカンボジアに来てるだけで、日本に帰るとまた絶望の日々が始まることに嗚咽したらしい。当時の私は26歳。実は他人事ではなかったわけで、27歳で見事なニート。だけどその時、「このままじゃダメだ」と危機感を感じて、恥も外聞も捨てて知人に片っ端から手紙。どこか拾ってくれと。すると私の恩師が「とりあえず会おう」と言ってくれて、所長をやってる会社に頼んでみることに。理系じゃないからダメだと言われたけど、そこで「タダでいいから使ってください!」と言えたことが人生の「分岐点」だったな~と思います。そこまで言うなら、と650円のバイトで使ってもらい(実際、雑用でも欲しかった時期)、その半年後に契約社員に登用。月収12万円。そしてそこからが「忍耐」の日々。
話がそれましたが、人の生き様って結局のところ「忍耐」にこそあり。「気楽にね」、「楽にいこうよ」、「そのままでいいんだよ」、「努力は奴隷のすることだよ」、「頑張るとガンになるよ」、「宇宙にお任せしておけばいいんだよ」、、、などなど、スピリチュアル界には「いい言葉」がたくさん転がっていますが、言わんとすることわかりますよね。そのような言葉にただすがるだけの人生がどうなるかは。
もちろん忍耐だけでいいってことでもなく、ようするにバランス。「気楽」ばかりを求めてる人には「忍耐」を、「忍耐」ばかり重んじてる人には多少は「気楽」を。何事も「だけ」じゃダメ。つまりは「忍耐=ストレス」、「気楽=リラックス」のバランスが大切で、だけれども、人間って生れた時点で「忍耐=ストレス」が始まってるわけで、それなくしては人間とは言わない。結局は忍耐ってわけ。一人さんもいいこと言いますね。「ツイてる」だけじゃダメってこと。
昨日の話とかぶりますが、今回、宮古島に来た個人的な「意味」は、「忍耐」の大切さを再認識することなのかな、と。別に自分を追い込むとか苦しめるってことじゃなく、生きてると、何かと「忍耐」を必要とすることってあるじゃないですか。子育てなどまさにそう。夫婦関係だって、元はアカの他人同士が共同生活するわけだから、お互いが忍耐を知らなければ続かない。仕事もそう。ワクワクしないからって簡単に辞めてしまっては何も身に付かない。夢や目標があっても、宇宙がそれを実現するわけじゃなくて、あくまでやるのは自分。「人事を尽くして天命を待つ」のごとし、まずは忍耐強くやることやってから宇宙にお任せ。うん、改めて頑張ろう。11月は執筆月間だけど、頑張って書こう。忍耐強く書こう。
と言うわけで、話を戻しますが、宮古島にはまたいずれ行かないとね。シュヴァルも行くよ。世界には行きたいところがまだまだたくさんありますから。行きたいところ、全部行く。やりたいこと、全部やる。だけど、そのためには「忍耐」もまた大切。人生は忍耐です。だからこそ人生は楽しいのです。ありがとうございました。
基本的に楽しくって姿勢は崩しませんが、忍耐から逃げてては、ことを為さないのもよく知ってますしね。。。
ご質問ありがとうございます。「忍耐」には笑いがあるけど、「我慢」にはない、ってことです。
自分を苦しめる方向にしかならない我慢は禁物ですもんね。