新しい記憶 2013.9.30



 今日は何曜日だったっけ・・・、夜中に目が覚めて時計を見るとまだ12時前。小一時間ほど疲れて寝たけど、ダブリン時間ではまだ夕方。いわゆる時差ボケってやつかな。え~っと月曜日か。私のようなフリーなライフスタイルでは、かえって自分では軌道を戻すのが難しい。何より、今もなお、心はアイルランド。本当に素晴らしい旅だったね。ただ、確かにアイルランドは良かったのだけど、それ以上にメンバーにめちゃくちゃ助けられました。どんな素晴らしい場所に行ったとしても、同行するメンバー次第で楽しさがプラスにもマイナスにもなる。その点、今回は300%のメンバーでした。それ以上と言っていいほどで、ぶっちゃけ、もう一度、このメンバーで旅をしたいと思う。だけど、次回はまたそれはそれでベストメンバーが揃うとは思うのです。

 今だから言いますが、旅を最高なものにしようと、私が一番気を配ったのは「誰と行くか」です。例えばまったく知らない人、私のセミナーやツアーにも参加したことなく、ただブログを読んでいるだけとか、別のセミナーでたまたま知り合っただけの人から参加要請を受けたりもしましたが、そこはやんわりとお断りさせて頂きました。アイルランドやアラブに行きたいだけなら、旅行会社主催のツアーに参加するのがいい。今回のメンバーはすべて、過去にツアーやセミナー、飲み会等に参加し、私だけでなく、その場の人たちと心地よく居られる人のみ。なので、今後も「海外ツアー」に限っては、それ以前のセミナーや懇親会、国内ツアー、合宿等に参加してみて、場を共有することを「楽しい」と実感できることが条件。それプラス、自己責任であること。

 今から明言します。来年は9月に「アイスランド」に行きます。11月のインドはどうなったか。確かに行くつもりではありました。しかし、よくよく考えてみると、それは半分「義務」のような感覚。つまり、本当に行きたいかどうかについて、しっかりと腑に落ちてなかった。そして、現段階ではインドに行く「物語」がない。2008年はインドツアー開催そのものが物語だった。2011年はラダックのゲストハウスに著書を贈呈するなどの物語がいくつかあった。今回のアイルランドは、、、実は旅先では本当の「物語」を皆さんに語ったのだけど、それはブログには書けないこと。なぜ書けないかは、聞くとなるほどと思うだろうけど、ま、直接お話することはできます。そう、海外ツアーは私にとって「物語」そのものなのです。そして今回のアイルランドでもしっかりその「物語」を演じることができた。

 では、もし来年11月にバラナシやブッダガヤなどのインドに再訪するとなると、どんな「物語」が描けるだろうか。現段階では思いつかないのです。そしてもう一つ。もし行くとなると20名近くの大所帯になりそう。ラダックならば車をチャーターして完全にお任せで行くことができたけど、バラナシ、ブッダガヤとなると、電車に乗る必要がある。しかし、電車は指定席であり20名がまとまることはほぼなく、別車両になる可能性もある。実際、2008年に7人で行った時でさえバラバラになった。となると、人数の把握がものすごく大変になるし、ただでさえ決して治安の良い国でないだけに、正直、心配があります。もし、行くとなると、「はぐれても自力で目的地に着けること」が条件になるでしょう。そしてどんな理由であるにせよ、はぐれたら置いてけぼりの厳しさも必要。もちろん私ははぐれても余裕で目的地に到達できます。しかし、20名全員がそうだとは限りません。「連れてって」的な感覚の人もいるかもしれない。それでももし行くとなると、10名以下に絞る必要があり、私を含めてそれぞれが独自の「物語」を持ってることもまた条件。

 では、アイスランドにはどんな「物語」があるのか。人数も当然のこと、10名以下に絞ります。海外ツアーはあくまで「自分」のため。私自身の「物語」に賛同したい人と行くだけ。なので、参加費は取ってますが正直激安でしょう。おまけに細部まで詰めるので、一切の仲介が発生しない分、極限まで節約したツアー。それでいて濃い。さらに、、、これは書こうか迷ったけど、ま、別に支障もないので書きますが、今回のアイルランドでは多少の「足」が出てしまいました。一つは「1ユーロ=130円」で計算してたのが、実際は143円だったこと。そしてレンタカー代に保険と税を含まずに見積を作ってしまったこと。保険と税だけで車両代の倍。しかし、当然のこと、追加請求とか一切ありません。なぜなら今回のツアーは私の「物語」だから。もちろんメンバーそれぞれに参加理由があり、それぞれの物語があります。私の物語であり、全員の物語。その「物語」がここに完結し、それぞれが新たなゾーンに入って行ったから。ただ、今回のツアーは出費をはるかに上回る人生的な価値がありました。

 そのことを帰りの飛行機でずっと考えていました。寝るか、飯食うか、考えるか。本も読めない。ただひたすら考える。ダブリンからアブダビ、アブダビから成田。それでおよそ20時間。そこから3時間後に福岡に2時間かけて帰る。また、例によって目を瞑ると睡魔が襲ってきます。やはり最後まで本は読めなかった。その時、寝てるか起きてるか、夢を見てるかわからないその瞬間、

「新しい記憶」

なるメッセージが降りてきたのです。なんてことない言葉。古い記憶があれば、最近の新しい記憶もある。普通じゃん。しかし、よく考えるとおかしな言葉です。「記憶」とは須らく過去のこと。すでに起こったこと。「新しい」は未来にあること。まだ起こってないこと。言うなれば「未来の過去」だったり「まだ起こってない起こったこと」となる。何の変哲もない日常語だけど、ものすごい矛盾をはらんだ言葉。そうか、今回の旅はこの言葉に出会うためにあったのか。福岡行のANAに乗りながら小躍り。メモしとこうとも思ったけど、忘れることできない言葉だからそれは不要。

 もう少し説明しましょう。ツアーメンバーの皆さんはご存知と思いますが、私はこの旅で「完璧な流れや」と何回言ったでしょうか。おそらく100回以上言ってると思います。もう、アブダビに着いたときから言ってます。細かく言えばキリがないけど、本当に完璧なんですよ。あえて二つほど例をあげると、当初、アブダビでのスケジュールは初日に砂漠ツアーに行って、二日目に遊牧民家庭訪問のはずでした。しかし、イスラムの休日は金曜と土曜。となると、家庭訪問は土曜日、つまり初日の方が都合がいい。それだけでスケジュールがガラガラと変わって少し面倒ではあったのだけど、実際、もし二日目に家庭訪問があったらどうなるか。ホテルのチェックアウトが10時半。となると、9時にはホテル着で、家庭を出るのが8時になっていた。しかし実際はスローな遊牧民生活のこと、ディナーが出てきたのが9時。ホテルに着いたのが夜中12時。二日目ならほとんど何もできなかったことになります。男女別の食事なんだけど、男子部屋のあの何もない、ただ時間が流れるだけの空間。あんな贅沢も味わえない。もちろん羊も食えない。それ以外もすべてがすべてが完璧な流れだったのです。

 アイルランドでももちろん完璧の連続。ダブリンに着いてから、私が乗ったタクシーの運ちゃんが、翌日早朝の空港バンを手配してくれたなんて流れもそうだけど、天気から、タイミングからすべてが完璧。そしてわかったのです。そもそもこの世はすべて「完璧」だってことを。もう一度言うけど、すべては寸分たがわず「完璧」なんです。

 今回、私の見事な段取りにメンバーは驚かれたことでしょう。それは事前準備も含めて、すべて決まったことを自然にやってただけのこと。つまり「記憶」の通り。「記憶」ってのは普通に考えると「過去」のことのよう。しかし実際は違うのです。記憶は記憶。過去も未来もない。すべて完璧に決まったこと。「1+1」が「2」だとわかるのは、過去の記憶に基づく経験的結果でしかない。「1」の意味、「+」の意味、「2」の意味をすべて過去に学習したから導けるのであって、すべては過去の積み重ねで今がある、、、と錯覚している。しかし、実際には記憶は未来にもあって、未来の記憶、つまり「新しい記憶」を思い出しながら、私たちは生きてるんです。今回の旅で、メンバーの何名かが「デジャブった!」と言ってました。カフェで並んでサンドイッチを取る瞬間、知ってる、とか言うのです。おいおい、知らないはずでしょ。イニシュモア島とか初めて来たんだし。デジャブをして、「脳の誤動作」と科学的には説明され、確かにそうなんだろうけど、本当の意味は違う。元々ある、「新しい記憶」を思い出しただけのこと。
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 普通はその「新しい記憶」を0コンマの単位で思い出しながら次の一手を打ってるのだけど、たまに誤動作があって、その0コンマが2秒くらいに間延びすることがある。それがデジャブなんです。思い出そうが思い出すまいが、私たちはすべて「記憶」の通りに生きてるんです。もちろんその記憶は「意識(思考・言葉)」で認識できるものとは限らないけども、無意識ではすべて知ってること。その「無意識」を信じたとき、「完璧な流れや」って言葉が出てくるんです。すべては完璧。だから、そこに不平や不満など挟むのは流れから完全に逸脱している。つまる、すべてが「感謝」なんです。何が起こっても「記憶」の通りのことが起こってるだけ。感謝しかないでしょ。そして今回のツアーのメンバーは誰もが「そのこと」を知って参加してきた。言うなれば、知らないと参加できなかった。

 ちなみに、今回のメンバーとしては、一人を除いて、私のツアーやセミナー、飲み会に何度も参加された人ばかり。あ、正確に言うと、しんちゃんはそうじゃないけど、奥さんがそうだから同じこと。その一人ってのは、ジュン君です。彼は私のセミナーには一度参加しただけ。それもグループセッションのオブザーバーで。つまり、それだけの人間関係なので、本来は10日間も同行する海外ツアーは浮く可能性があって当然。それは完全に杞憂。そして、彼は最初から最後まで「楽しい、楽しい」って言い続けてました。何より、フルートを持って来てて、しかもジャズ研出身だから楽譜がなくてもセッションできる。それ以前に音感が人一倍鋭い。だから、メロディと簡単なアドリブしか吹けない私とも、それなりにセッションが楽しめた。そんな「人選」は今までなかったこと。セミナーの回数とか関係ない。私も直感で誘った感じ。フルートのこととか知らずに。それも含めてやっぱり「記憶」の通りなんだよなあ。

 完璧な流れ。私はどうやら、少しずつ「新しい記憶」を思い出してるようなんです。だからこそ、完璧な流れ、宇宙の流れに乗ることができた。そして今もなお、次々と「新しい記憶」が呼び覚まされています。なるようになる、なんてレベルの話ではなく、すべては「記憶」の通りにしかならない。もうわかったのですよ。すべてが。もちろん、いつどこで何が起こるなんて、予言めいた細かいことまでは言語化できません。だけど、起こってしまえば、やっぱりな、と納得できる。なぜなら「記憶」の通りだから。「記憶」の通りなのに「そんなはずはない」と抗うのか、「やっぱりな」と受け入れるのか。違いはそこだけ。もちろん記憶がどうであれ、嬉しいときには笑うし、悲しいときには泣く、腹立つときには怒ります。なぜなら、人間だから。それでもなお、「新しい記憶」を知ってる人は、すべてを「やっぱりな」と受け入れる準備がすでにある。そしてそこにこそ「悟り」があるんです。

 「思い」と「現実」との間の「差」が「取」れている。最初から「記憶」の通りで、「思い」と「現実」とは完全に一致している。差取り、ゆえに、悟り。もう怖いものはない。ただ、ただ、生きるだけ。人生を楽しむだけ。それ以上でも以下でもない、今ここに生きるだけ。

 今日のフェイスブック記事。

実はまだ誰にも言ってないのだけど、成田から福岡に帰る飛行機の中で、神秘体験が起こりました。なんかまたわかった感じ。あー、そうだったのかって。とにかく深い気付きがやってきたわけですよ。なんかもう、怖いもんなに一つなくなったね。もともとないけど、いや、ミクロではありますよ。当たり前に。だけど人生レベルでは完全になくなったね。改めて言うけど。あー、伝えたい!ブログに書きたい。時差ぼけつらい。再来週、東京行くけど、連休はホテルない!久々にカプセルや!そんなんも含めてオッケーだね。楽しいね。


 と言うことです。ありがとうございました。

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Commented by joy at 2013-10-02 11:03 x
完璧な流れ^^ですか。
フルートとのセッションなんて素敵!
私も妖精さんに会いたいです。
Commented by 麻生琴 at 2013-10-03 02:43 x
Qさん、先日はレスありがとうございました。新しい記憶の記事面白かったです。小林正観氏も人はシナリオ通りに生きていると言われましたね差取りが悟りとは、はづき虹映氏が言われています
Commented by 麻生琴 at 2013-10-03 02:48 x
阿部敏郎さんとQさんの繋がりというか関係が知りたいです
気が向いたら教えてくださいm(_ _)m
Commented by katamich at 2013-10-09 16:34
■joyさん!
とにかく、完璧でした!
Commented by katamich at 2013-10-09 16:35
■麻生琴さん!
ちなみに「悟り=差取り」ってのは、どっかに新興宗教が最初に言い始めたと記憶しています。

私と阿部さんと関係??
なんでしょうね。スタンスを同じくする知人といったところでしょうか。
by katamich | 2013-09-30 23:39 | ■精神世界 | Comments(5)