被害者はクソ 2013.8.31

被害者はクソ 2013.8.31_b0002156_14384884.jpg 8月最後の日ですね。今年も残り4か月かあ。そしていよいよ実りの秋かな。9月はアイルランド&アラブですが、今日、アブダビから連絡が来ました。21日の早朝にホテルにチェックインして、22日の夜中にチェックアウトなので、丸々二日間はあるのだけど、これがまた豪華なスケジュールなんです。21日は市内観光とデザートサファリ。4WDで砂漠に行ってベリーダンス見たり、バーベキューしたり、砂漠の星を見たり。そして翌日。なんと地元にお住まいの方が私たちを案内してくれることになり、しかも、アブダビから40キロ離れた遊牧民のご家庭訪問。私たちのために羊を一匹潰して伝統料理をふるまってくれるとのこと。う~ん、、、素晴らしい。エティハド空港を使うトランジット、つまり「ついで」のはずだったのが、想定を超えて面白いことに。オレの旅はこうでなくちゃね。

 おそらく、アラブでの素敵な体験や出会いに感動して、アイルランに発つ空港ですでに涙もろくなってるとき、「ちょっと待ってくれや、今からが本番やで」と言ってるオレが想像できるね。アイルランドではレンタカーで自由に周遊するのだけど、パブでの音楽ナイトとか、古城での中世晩餐会とか、楽しそうなアクティヴィティが用意されながらも、同時に何が起こるかもわからない。きっと面白いことがたくさん起こるんだろうなあ。そうやって行くとこ行くとこで面白いことが起こるのも毎度のこと。運がいい、と言ってしまえばそうだけど、今なら別の説明をします。

 つまり、すでにある「喜びの感情」が「喜びの現実」を引き寄せているだけ。何度も言うけど、怒りには怒り、悲しみには悲しみ、恐れには恐れの現実が引き寄せられるのだから、それらは確かに生きるために必要ではあれ、処理せずに持ち続けていると、それにふさわしい現実が引き寄せられる。だけど、「喜び」だけは使えば使うほど雪だるま式にその現実が引き寄せられるんだもんね。だから私が行くところ、企画すること、そして出会うところには「楽しいこと」が満載なんです。だからどこ行っても自信ありますね。最高になるってことで。当然のこと、一緒に行く人も最高になるし、そもそも最高でないければご一緒できない思ってますから。マジで最高ですね。

 ところで今日はセミナーに参加。昨年、東京で参加してた「プロセラピスト養成講座」の再受講にて。福岡一期がスタートするので、私も復習とブラッシュアップのために参加。10日間あるのだけど、今回はおそらく半分も参加できない。2~5日目はすでに欠席が決定。残りも微妙。だけどまあ、別の日程か場所にゲリラ参加しますけどね。最近は福岡、大阪、東京であれば、どこでも同じ感じだし。そのうち枠が広がって、上海やソウル、台北、バンコクなら同じ感じ。デリー、ニューヨーク、シンガポールも同じ感じ、とか言うようになるのでしょう。ここに書くと間違いなくそうなりますもんね。で、今日は完全に復習の日でした。ビリーフとは何か、とかいろいろ。その中で棚田先生が言ってたことが印象的でした。

 それは「責任者」と「被害者」って話。つまり自分にとってのこの「現実」は誰が作ったのかって話。例えば自分にとって嫌なことが起こったとします。最近の話で言うと、私の事例じゃないですが、コーチング等のクライアントを獲得するための契約活動について。セミナーに出てやり方を学んだ。周囲は次々と結果を出している。それに対して自分は思ったように成果を上げられない。ここで「被害者」の人は、コーチが悪い、ノウハウが悪い、自分は被害者なんだ、どうにかして欲しいと訴えかける。実際にあった話です。正直な話、これでは上手くいくはずがない。この場合は極端な被害者意識で、人生の選択肢を自分以外に委ねてしまっている。上手くいくもいかないもすべては自分次第。これが原則ですよね。

 このケースはわかりやすいと思いますが、では、小さい頃から親から虐待を受けてきたなどにより、心に問題を抱えたまま大人になったケースはどうか。子どもは親を選べないため(スピ的観点を別として)、子どもはどう考えても被害者であり犠牲者ですよね。悪いのは親であって、子どもは悪くない。それはわかります。だからと言って、過去には戻れないし、親を変えることはできない。親に土下座させれば気が済むかもしれないけど、それも難しいし、それで人生逆転するわけじゃない。

 もっと身近な例で言うと、「イジメられっこ」っていますよね。大人になってわかったけど、決して一般するわけでもないけど、私が知る限り、どちらかと言うと「イジメっ子」と「イジメられっ子」がどこにもいたわけで、今、フェイスブックなどで近況を知れる人には、後者の人がほとんどいない。どう考えても「イジメっ子」やろ~と思う人などが、割と仕事で成功してたり、幸せな家庭を築いたりしている。ネットでも同様のことがよく言われている。なぜだ。理不尽だ。神がいるなら、悪いことをして人には天罰が下り、犠牲になって人には褒美が与えられるはずだ。童話でもドラマでもそうなってるじゃないですか。だけど現実は、、、その限りではない。

 もちろん、いわゆるイジメっ子が死んだり消息不明になってるケースも多いし、イジメられっ子っぽかった人がハッピーになってることもよくある。あくまで印象と傾向って話であって、一般的な話では決してありません。しかし、「人生脚本」って側面から見ると、やはりそれなりの相関関係はあるんじゃないかとも思うのです。つまり、「自分は犠牲者だ、被害者だ」って脚本を持ってる人は、大人になってもずっとその役割を演じてしまうもの。「イジメっ子=幸せ、イジメられっ子=不幸」では決してなくて、もっと正確に言えば「犠牲者・被害者の脚本を持ってる人=イジメられっ子に多い=不幸」って図式は成り立ってしまうのです。

 だけど、何度も言うけど、悪いのはイジメっ子であって、イジメられっ子は何一つ悪くありません。危害を加える方が絶対に悪くて、それはゆるぎない真実です。だけど、悲しいかな、その「悪い」と、その人の幸不幸の関係も、実はそんなに強くない。悪いから不幸で、正しいから幸せってことはない。斎藤一人さんが、「強いの時代から正しいの時代へ、今は『楽しい』の時代だ」と言ってますが、その論理で言うなら、確かに「楽しい=幸せ、楽しくない=不幸」はあるでしょう。だけど、もう一度言うけど、「強い=幸せ、弱い=不幸」でなければ、「正しい=幸せ、悪い=不幸」でも決してない。正しいも正しくないも、社会が決めた価値判断。一方で、「楽しい」は自分の中にあるもの。

 つまり、すべては自分次第なんです。「不幸な人は必ず誰かを憎んでいる」とは斎藤一人さんも石井裕之さんも言われてますが、まったくの同感。だからと言って、すぐにでも「赦せ」と言うことはできないし、そのつもりもない。一つだけ言えるのは、自分が「被害者」だと思って、加害者のことをどんなに憎んでも、自分の人生はよくならないし、加害者の人生が悪くなることもない。加害者のことはよくわからないけど、誰かを憎めば憎むほどに自分を不幸にするのが現実であり真実なんです。

 では、どうすればハッピーになれるのか。確かに危害を加えられてきた事実があったとしても、自分を「被害者」にしてしまうのは、自分の決断です。自分ことを「被害者」だと思っていたら、その先もずっと「被害者」を実現してしまう出来事が引き寄せられます。そして「被害者」という脚本がどんどん強化され、ますます不幸になるだけ。「被害者」なんてのは実は単なる思い込み。危害を加えられた現実はあり、危害を加えたのが悪いのもわかります。だからと言って、加害者の不幸を一心に念じたところで、自分が幸せになれますか。もしも、特定の加害者の人生を台無しにすることが、人生のミッションであると言うのなら、それはそれで止めません。それが自分の決断であるなら。

 だけど、普通は違うと思います。誰がどうであろうと、自分の「幸せ」を求めるのが自然なあり方であり、もっと言うと、人生の意味だと思のです。自分を幸せにするのも、不幸にするのも、すべて自分次第です。被害者ではなく、「責任者」としての生き方を選択する。どんなことがあっても、自分の人生は自分で「責任」を取る。

 昔、イジメられていた。だから、これからもイジメられっ子としての人生を歩んでいこう。昔、イジメられていた。だけど、これからは他人がどうだろうと、幸せな人生を歩んでいこう。

 この選択ができるのは「自分」しかいないのです。その意味での「責任」の話。「被害者」の軸は常に自分以外にあります。いいんですかね、そんな加害者にいつまでも振り回されて。実のところ、加害者の人たちは何も覚えてませんよ。少なくとも自分が思ってるほどには何も思ってない。加害者が不幸になれば自分が幸せになれる。仮にそれが事実だとしても、軸はいつまでも加害者にある。それよりも、

「(誰がどうであろうと)自分が幸せになれば、自分が幸せになれる」

という人生の方がいいと思いますけどね。私だって過去に良いこと悪いことあったと思いますが、それはそれとして、今は自分や家族、周囲の好きな人達が「幸せ」になることしか考えてませんものね。だけど、ちょっと嫌なことがあっても、それもまた自分次第。どうとでもなるんですよ。自分に軸があれば。私がセラピーやる着地点もそこであって、すべて「自分」でどうにでもなる「自由」と「責任」。それがハッピーってやつなんです

 てなとこで、今日で8月も終わり。9月もハッピーに過ごしましょう。ありがとうございました。
Commented by joy at 2013-09-01 19:19 x
>「(誰がどうであろうと)自分が幸せになれば、自分が幸せになれる』

昔からなぜか『憎まれっ子世にはばかる』と。

確かに自分が幸せじゃないと、いつまでもいじめっ子を恨んじゃいます。それは結局は,損ですよね。。
Commented by katamich at 2013-09-01 22:20
■joyさん!
まずは自分が幸せに!
Commented by ななし at 2019-01-04 02:19 x
で、被害者はクソって言うのがあなたの本音なのですね。
by katamich | 2013-08-31 23:39 | ■人生哲学 | Comments(3)