時間ないのに読んじゃった 2013.8.17
2013年 08月 17日
あ~、時間ないのに読んでしまった。実家にあった百田直樹著「海賊と呼ばれた男(上・下)」。まだセミナー資料も作ってないけど、途中でやめられなかった。睡眠時間も削った。アポロマークの出光興産の創業者・出光佐三の伝記的小説で、細かい描写はともかく背景は完全に史実。ハイライトは下巻の「日章丸事件」でこんな話。
戦前に創業した石油会社・出光は国内の石油統制を嫌って海外に事業を広げていたのが、それが災いして終戦によりすべて没収。しかし残った社員1,000名のクビを切らずにやれること何でもやってたら、そのしぶとさから好機を呼び起こします。出光は消費者に安く直接売りたいとの信念を掲げており、国内外の寡占体制に常に反対。実際には一部の企業による寡占体制が石油の利権を牛耳っており、その他の企業はそこから決められた価格で買うしかないのが現状。当然、自由競争でないので価格はつり上がります。そんな状況に異を唱えたのは産油国イラン。しかし、イランの石油は自分のものだと言い張るイギリスは、イランに経済封鎖を仕掛けます。イランは石油を売りたい。安く買いたい企業もあるだろう。だけど、ペルシャ湾をイギリスの軍艦が見張ってるので簡単ではない。イランは経済封鎖によりどんどん苦しくなり、どっかの国・企業が石油を買ってくれるのを待つか、または、イギリスに再び利権を譲渡するかのギリギリの状況。
そこで立ち上がったが出光。終戦して8年。サンフランシスコ条約によって日本はようやく独立国になったばかり。出光はイランを、そして日本の産業、国民生活を救うべく、日章丸という巨大タンカーをイランに走らせたのです。国際司法的には問題ないものの(意見は分かれてたけど)、イギリス軍が待ち構えている。なので秘密裏にタンカーを走らせ、イランから石油を持ち運びます。船長の機転により、イギリス軍の手をかいくぐりどうにか日本に到着。イランの石油は自分のものだと主張するイギリスと司法で争うことになるのだけど、最終的には出光の完全勝利。時代は力道山がアメリカレスラーをバタバタと倒し、オリンピックでも日本人が活躍してる中、ついに出光がやった。連合国をギャフンと言わせたんだと国中が盛り上がります、、、みたいな話だけど、その前後も当然、熱い話が満載。
そう言えばイランって、1997年に旅行したんだけど、やたらと親日的。特に年配の方の親切さはハンパなかった。やたらと話しかけてくるのは、ぼってやろうとか、そんなやましい心じゃなくて、単純に役に立ちたいから。話しかけてこずとも、困った素振りをするのをジッと待ってる人もたくさん。そしてたいていの人が電話番号を手渡し、何か困ったことがあったら遠慮なくかけろ、と。奢ってもらったことも数知れず、私は行かなかったけど、家に呼ばれることもしばしば。日本と言うと、宿敵ロシアを打ち負かしたとか、いろんな理由はあるんでしょうが、このときの「日章丸」の印象も決して浅くないようです。日章丸がイランを救った。ただ、その数年後にアメリカが仕掛けたクーデターによって政権が変わり、再びイランの石油は先進国に奪われちゃうのだけど、それでも日本はラブリーな国なんでしょう。彼らにとって。
ま、それはともかくとしてですね、こんなすごい人の話を読むと、やっぱりザワザワするわけですよ。オレ、こんなんでいいのかな~と思ったりとか。正直な話、出光佐三のやったことに比べると、私を含む一般の人の困難なんて困難のうちに入らない。なんとグズグズした人生なんだろう、と思っています。確かに人それぞれではあるでしょう。だけど、佐三も私も誰もかれも、「同じ人間」なんですよね。何が違うのか。身体的には佐三は昔から虚弱体質で極度な弱視であり、まったく恵まれてなかった。目が悪いから本が読めない。だから、自分の頭で考えるんだ、と成功者に共通するポジティブシンキング。
おそらく佐三に比べたら、ほとんどの人は五体満足の健康体。高校だって、大学だって出て、教育の機会にも恵まれ、何より何不自由ない社会に生まれ育ってきた。そんな社会に感謝こそすれ、不満を思うってなんなんでしょうね。正直な話、生活なんてどうにでもなるでしょ。就職しようがしまいが、例えば月に100万円稼ぐとか、佐三がしたことに比べるとハナクソにもならない。ほんと、ぐずぐず言わないで動こうぜ、と思います。ほんと、胸熱な本でした。それが実話だけに、凡百の自己啓発書なんかがかすんでしまう。
え~っと、何が違うのか。一言で言うと、やっぱり「信念」なんですよ。佐三の「信念」はどっから来るのか。そこまでは深掘りされてなかったけど、佐三にはすでに「自我」なんてものはない。国のため、社会のため、社員のため。常に「自分」は一番下にある。生涯、「稼げ」とは言わなかったそうですが、なんなんでしょうね、この精神は。私なんかまだまだ自分中心で恥ずかしい。だけど、です。感覚はわかります。例えば子どもや家族に対しては、常に自分は下。特に子どものためなら、自分なんてどうなってもいいし、どんなことでもできる。実際、私自身も結婚、長男誕生、次男誕生の段階を踏むにつれて、確かに収入も上がっている。どうにかせんとな~と思ったのも事実で、それがもし、私利私欲が優先だったら、今のような状況にはなってないはず。そう考えると、子ども家族の延長上に国や社会が置かれてるだけで、その感覚自体は普遍的なものかもしれません。
だからと言って、自分を粗末にすることとはまったく違う。自分を大切にできない人間が、他人のことを大切にできるはずはない。それも私の信念です。同時に自分を大切にする、決して「甘やかす」と言う意味ではなく。自分をどんどん「成長」させると言う意味で、大切にしていると、自然と他人を大切にする心も強化される。
あえてリンクは貼らないけど、最近、私の知人に対して腹立つことがあったのを思い出しました。彼は毎日、豆腐屋さんから豆乳を買って飲んでるんですが、ある日、それが発酵(腐敗)して、つまり腐ってしまったそうです。普通ならもったいないけど捨てますところ、30回に分けて吐きそうな思いをして頑張って飲み切ったとブログに書かれてました。それって、今の季節でちょっと間違えたら命にかかわります。しかも、彼はぎっくり腰で動けなかったと。まったく自分を大切にしていない。もし愛する人がいたら、そんな無謀なことできるはずない。そうコメントすると、ボクは大丈夫かどうか嗅覚でわかる、みたいな返事をしてましたが、そうであったとしても腐った豆乳を飲む必要はない。いじめっ子が弱い子に対して、無理やり腐った豆乳飲ませるようなシーンを思い出させて胸が痛んだ。自分か他人かのベクトルは違えども、やってることは同じ。
私は美味しいものが好き。だから、他人にも美味しいものを食べて欲しいと思う。楽しいことが好き。だから、他人にも楽しい思いをして欲しいと思う。自分がしたいと思うことは、他人にもして欲しい。むしろ、自分がしたいと思うことこそ、他人にもして欲しい。それを繰り返していると、いつの間にか仕事としても成立し、気が付けば収入も上がっていた。ナポレオン・ヒルの黄金律の通り。同時に、他人にやって欲しくないことは自分もしない。だから、私は絶対に腐った豆乳は飲まないし、自分を粗末にするようなことはしない。滝に打たれるのは、正直、機会あれば他の人にも打たれて欲しいと思っているから。インドやアイルランド、沖縄などのツアーを企画するのも、多くの人に行って欲しいと思ってるし、もちろん自分自身がすごく行きたいから。来週の河口湖もそう。絶対楽しいに決まってるし、人生の大きな思い出になるとわかってるから企画するだけ。
そう考えるとちょっとわかってきました。出光佐三のスケールからするとちっぽけのものですが、私の仕事の原点、信念は「自分が好きなことを他人にも与えたい」があるんです。自分がしたいと思わないことは他人にも絶対しない、させない。もちろん他人がしなくないであろうことも自分ではしない。そこに一貫性があるからこそ、プラスの動きが出てくるんでしょう。一部にはしつこいと思われてる「腐った豆乳事件」ですが、本人には悪いけど、あれだけは私の価値観には絶対にない。もう一度言いますが、自分がしたくないことは他人にもしない、他人がしたくないであろうことは自分もしない。自分が好きなことは積極的に他人にも与える。それが私の基本理念です。
話を戻しますが、この本はすごく良かったです。前から読みたいと思ってたけど、文庫になるまで待とう、なんて思ってたら実家にあったのでよかったです。ちょうどいいタイミングで読むことができました。さあ、これから何しようか。佐三のスケールから見ると、まだまだちっぽけな人間ですが、私にできる範囲で、いや、私にできる範囲をちょっとずつ超えながら、またちょっとワクワクしてきました。この本はまた何かの折に読み直そうと思います。ベストセラーながらも、流行とは関係なく、やっぱりいい本だと思いました。ありがとうございました。
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他人様の価値観に口出すつもりは無いのですが、やはり生命の危険に関わることは避けるべきですよね。
自分のためにも、そして、自分を大事に思ってくれる人のためにも。
Qさんのコメントを見て、本気で心配していることが伝わってきました。
とにかくご本人が無事で良かったですね。
もう、あまり構わないでおこうと思います。