限界を超えた後 2013.7.24
2013年 07月 24日
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無事、帰宅しました。「無事」とあえて書いたのは、実は朝方までかなりフラフラだったのです。熱もあったし。昨晩、12名連続セッションが終わって、ホッとしたのか軽く飲みに行って、そのままホテルでバタンとなったのはいいものの、妙な悪夢に襲われましてね。いや、「悪夢」ってほどでもないのですが、寝てるのか寝てないのか、、、ようするにめちゃくちゃ疲れてたってこと。13日の大阪出張から休んだのは一日だけ。それも、足ぶつけて病院に行く暇ないほどスケジュールぎちぎちだったもので、これで疲れない方がおかしいですよね。
ただ、次回からもっとセーブするかと言うと、それがまたしないんですよね。ようは、「ここまではできる」ってことを確認しただけで、単純に私の基準を上げてしまったわけです。なので、もし次回も同じようなスケジュールを組んだところで、「今度はもっとうまくやろう」って考えてしまうもの。世の中には私なんかより忙しい人、ナンボでもいますもんね。って言うか、今回も楽しんでた方が大きいのですが。
ちなみに、です。今、「楽しんでた」と無意識に書いてしまいましたが、よくよく考えると、今回、お会いした人たちの中には「楽しんでた」とは必ずしも言えない人も少なからずいらっしゃいました。それこそ「存在してはいけない」なるコアなビリーフを持っている人も少なからずで。それでもあえて言います。私は最初から最後まで「楽しんでいた」と。もちろん、自分を不自由にしている、苦しめているビリーフがあることは理解できます。そんなビリーフに楽しめるはずがない。それもよくわかります。
しかし、私のアイデンティティは必ずしも「寄りそうこと」だけではありません。最終的には誰もが「楽しめる状況にあること」です。つまり、楽しめる状況へと「導くこと」以外にありません。そうだとすれば、そもそも寄り添うだけの「苦しい人」と、「楽しい人」とどちらがいいでしょうか。例えばお医者さんのお客さんは患者さんです。患者さんは多くは苦しんでいる方です。だとすれば、患者の苦しみをそのまま受け入れない医者は医者として失格か、と言えば決してそうではありません。もちろん理解はするし、何があっても夜中に駆けつけるほどの使命感も持っています。だけど、私の知る範囲でのお医者さんは、その多くが普段から楽しくされています。なぜならお医者さんのアイデンティティもまた患者さんをハッピーにすることだから。自分が楽しくなくて、他人を楽しくさせることはできません。
朝方、気持ちの悪いメールが来ていました。某コーチング講座の受講生だそうで、お会いしたことはあるようですが、顔も名前も憶えてないような人。コーチを付けて頑張ってるのに成果が出ない、なぜか、意見を聞かせて欲しい、なる一方的なメール。なぜ私に言うのかそもそも不可思議で、本来は「知らねーよ」の一言なのですが、あえて意見として「言い訳ばかりする人が成功するわけない」のような返信をしました。するとそれに対して、「それは違う」なるさらなる言い訳。成果が出ないのは、自分が悪いんじゃない。成果を導けないコーチが悪い、環境が悪いんだとの一点張り。そのマインドがすでに「原因」であるのに、自らを省みようとしない。すべては自分次第の原則を理解していない。それでは何やってもダメ。最終的には、私の物言いが気に食わなかったのか、不快に思うオレに問題があって、もっと器の大きな人間だと思ってた、残念です、の捨て台詞。
この手の話ってときどきあって、見も知らぬ人から相談だか何だかのメールをもらって、同じように感じたままに返信したら、意に反した返事だったのか、それに逆ギレして「器が小さい」って言われるパターン。それも、決まって「器が小さい」ってフレーズなんです。これはいったい何なんでしょう。私に何を期待してるのか。そもそも私はめちゃくちゃ器が小さい人間ですよ。だけど、別段、大きくする必要もないと思ってます。このままでいいと思ってるから。
ようするに、この人の本心は「わかって欲しい」だけなのです。もちろんメールを頂いた瞬間からその意図もわかりました。解決策が欲しいだけ、と後から行ってきましたが、解決策は学んだ中にすべてあるはず。それがわからないなら、すでに資質がないとあきらめるしかない。この手の「わかって欲しい」なる欲求はよくあること。以前、私がセラピーを始める前から、いろんな相談を受けてきました。その中で、今と同じように、感じたことをズバッと言ったら「あなたにはわからないんです!」とまたも逆ギレ。確かにわからない。言ってることは理解できるけど、真に共感することはできない。後日、棚田先生にその話をすると、「わからなくていい」と即答。そりゃそうだ。
このメールの送り主の方はとにかく苦しいらしいのです。思ったように成果が出ないことに対してなのか、よくわかりませんが、「苦しい」のだそうです。では、この「苦しい」の根底にある感情は何か。「4つの基本的感情」に戻ると、「喜び」、「怒り」、「悲しみ」、「怖れ」のうちどれが強いか。「喜び」でないことは確かで、私が強く感じたのが「怒り」、「悲しみ」でした。つまり、認められないことに対する「怒り」と「悲しみ」が根底にある。そしてまずはこの「怒り」を誰かにわかって欲しい、受け取って欲しい、とおそらくは私以外の人に対しても矢を投げていることでしょう。だけど、他の方は知りませんが、私はその矢を直接受けることはない。当たり前に、返す。そこで自分の思ったように受け取ってくれないから、「器が小さい」なる紋切型フレーズで逆ギレ。いつものパターンです。
ここでもし、私がその方の思い通りに「承認」、つまり矢を受け続けていたらどうなるか。「そうですよね、わかりますよ、ひどいですよね」みたいな感じで、「怒り」を吸収していたらどうなるか。当然のこと、私の方がエネルギーを奪われてしまいます。そして何度も何度も承認し続け、矢を受け続けていたらどうなるか。そのうちエネルギーが枯渇してしまい、それ以上の承認さえできなくなる。そしてかなり面倒になり、冷たい態度が出たりする。そこで言われるのです。「やっぱり、わかってくれないんだ」、と。そう言われなくても、「もっと器の大きな人だと思っていたのに」、と。
こんなことの繰り返し。と言うか、私自身が過去に経験してきたこと。根底に自己否定(他者承認欲求)のある人を承認し続けると、次から次へと求め続けられちゃいますからね。特にこんなブログを書いていると、スピリチュアルに人格の高い人などと誤解されがちになったりして。私なんか、決して人格高くもないし、高くなろうと思わない。好き勝手にやりたいだけ。だけど、楽しくあろうとは思います。そして今、すごく楽しいです。だからこそ、人を楽しい状況に導く自信があるのです。もちろん瞬時にとは言いません。が、少なくとも、楽しい方向に導く方法を完璧に知ってるつもりだし、だからこそ嫌われても平気なんです。そして無限に承認し続けることがいかにアホらしいかも身にしみて知ってる。
結局、このメールを送ってきたよく知らない誰かさんの根底には「ありのままの自分であってはならない」なるビリーフがあって、だからこそ成果を得るために頑張るのだけど、それで得られればいいけど、そうでない場合は周囲のせいにしたくなるんです。そしてその根底にあるコアな感情が強い「怒り」と「悲しみ」。「頑張るから認めて~」って要求をし続け、認められない状況や人に対して怒りをぶつける。ただ、幾分、マシなのは、きちんと「怒り」をぶつけられること。それで根底にある感情を解放することにはならないけど、自分で自分を責め続けることの方が心身ともすごく不健康であるから。
![限界を超えた後 2013.7.24_b0002156_21582517.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201307/25/56/b0002156_21582517.jpg)
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今日の内容にあった方は少し前…いや、今の私ソックリです。
自分を認められず、他人から認められて安堵する、依存の高いタイプ。
書いててムズムズします(笑)
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Qさん、ヤバイです。Qさんの言ってる意味が本当にわかるようになってきました。
今までは、共感半分、たまに反発ドッカンって感じだったのに、それでもずーーっとブログや本を読んでいたら、私の身体に染み入ってきたんです。染み入ってきたというのも違うな。
今では、自分の「これ、ビリーフだな」という面も、そんなに深刻に考えなくなりました。だって、ビリーフがあったら物事がうまく行かないってのもまた、ビリーフだって気づいたから。
ビリーフチェンジは必要なことですが。
他人から認められて安堵するというのは、皆あると思うので、私は身近な人に対して意図的によく承認しています(笑)特に子どもや主人に。
でもいつまでもいつまでも承認が必要ってのは、ちょっとキツイですよね。
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”器が小さい”爆笑です。
このテーマは深いです。
心からの承認であれば不自然はないです。だからこそ厳しくできる部分もあるでしょうし。
やっかいなのは、セミナーで1~2度会ったくらいで、その人のことをわかって気になって、何でもかんでも承認したがる人。そしてそれを求める人たち。承認されないと逆ギレする。そんなエンドレスから脱出しないとですね、
「器が小さい」って今まで何度言われたことか。別に小さくてもいいし、そもそもオレにどんだけでかい器を期待してるのやら。