自由の重圧に耐えた 2013.7.3
2013年 07月 03日

週末は出雲なんですが、それまでにすべきことがたくさんある。締切りのようなことに追われるのって久々かも。だけど、めちゃくちゃ楽しみです。出雲は初めてだし。ところで昨日アナウンスしました一連の「個人セッション」がどんどん埋まりつつあります。明日にはすべて締切ってるかな。21日の「マネービリーフ・グループセッション」はセッション枠は限られていますが、たくさんの人にご参加頂けます。いろいろ気になる方は、まずは様子見でもどうぞ。
それにしても7月に入って急に忙しくなって、週末はずっと出張です。子どもが幼稚園の夏休みに入るころには、とりあえず休憩をはさみ、滝行と執筆に専念できればと思います。8月末の合宿セミナ0(24日・25日)からアイルランドから帰国するまでずっと週末の休みがありませんし。私の部屋は三か月分のカレンダーを貼ってるのですが、ついに9月が張り出されました。そう、アイルランドが見えてきたのです。それにしても、私って好き勝手に生活してるな~、とつくづく。昨日のブログのコメント欄に「感じが悪い(けど読んでしまう)」のような感想を頂いています。すごくよくわかります。私が特にこの1~2か月で急激に収入が上がったのは事実ですが、良いも悪いも、潜在意識は「変化」を嫌いますから、そのような急な変化は心地悪いんですよね。だけど、ブログのアクセスはすごく上がっています。なぜか。確かに急な変化は居心地悪いですが、ブログを読んでいるだけなら危険はありません。潜在意識は逆説的ながら、「変化」を嫌うと同時に、「変化」に興味を持つもの。赤ちゃんを見ればわかります。本来であればじっとしておけばいいものの、珍しいものがあれば、すぐに手を出します。
その論点からすれば、私のここ数日の急激な「変化」は読んでて心地が良くないと同時に、「気になる」がまた正直なところ。「居心地悪い」は過去のパターン、一方で「気になる」は赤ちゃんのような純粋な未来に向けたパターン。どちらを選ぶかは本人次第。自分で言うのもなんですが、このブログは決して人を不幸にするようなことは書いていません。読み続けても特別な害はないし、むしろハッピーな方向に進んでいけます。ちなみに害になるブログとは「依存」をあおって、人の「自立心」を奪おうとするもの。私の基本は「自立」です。私が棚田式のセラピー手法を気に入ってるのは、「自立」を促すことが根底にあるから。私の言う通りにすれば幸せになれる、とは言いません。他人がどうであろうと、幸か不幸か、自由か不自由かを決めるのは、本人次第。セラピーでも最終的には本人の選択を迫ります。もちろん中には変化する準備、決断する準備ができていない方もいらっしゃいますので、準備を宿題にすることで終わることもあります。だけどいつかは、「あ、そうか、私が選んでたんだ・・・」と気が付けば、そこで自然とビリーフチェンジが起こる。それでいいと思っています。
例えば、職場に嫌な人がいたとしましょう。その人がいるから私は不幸。それもまた事実でしょうが、不幸なのもまた自分で選択してるのです。この考え方ってなかなか気づきにくいと思いますが、気づけば簡単。幸か不幸かは自分が決めている。この人がいたら私は幸せだけど、あの人がいたら私は不幸。それって自分に何の「選択権」もないことわかりますよね。美味しいものを食べたら幸せだけど、美味しくなったら不幸。これと同じ。重要なのは、何を食べようとも「美味しく食べる」ことが幸せなのです。それが本当の「自由」なのです。
嫌な人がいたら確かに嫌だ。それを「実はいい人」と思う必要もない。私なら避ける。もし仕事かなんかで避けることができなければどうか。少なくとも、「この人に振り回されない」と決意する。私は他人に振り回されません。他人がどうであろうと、私は「幸せ」を選んで生きていく。そう決断します。もし、その人を前にして、嫌な気分がやってきたら、それはまだ自分の選択権を他人に委ねている証拠。自分の人生は自分のためにある。他人にどうこう言われる筋合いもなければ、他人に幸不幸を決められるなんてまっぴらだ。それが私の基本スタンス。ビリーフチェンジセラピーの究極もここにあり、です。自分の人生を自分で「選択」する決断ができれば、それでOKなのです。
本来、人間は皆自由。だけど、育つ過程で、様々な「引き算」を受けて、自由がどんどん奪われてしまう。一生懸命に努力しなければ価値がない。そのように育てられると、「努力しない自由」を奪われてしまう。本来、努力なんかしてもしなくてもいい。したければすればいい。努力して楽しい場合もあるから、ならばすりゃいいじゃん。だけど、努力して楽しくなければ、する必要なし。私なんかもこの8年ほど、努力したことない。ブログは毎日書いてるけど、これは努力じゃなくて楽しんで書いてるだけ。滝行も真冬は過酷だろうけど、それも好きでやってるだけ。でなければ、続かないじゃん。
ようは、自分は何を選択して生きてるかってこと。お金がないのは、それを選択しているだけ。人間関係には「ラポール」があるので、お金がないのを選択している人は、そのような同士と手を組みたくなる。だけど、私はお金のある人生を選択している。いや、選択できるようになった。なぜならお金がある方が楽しいから。自由だから。だからこそ、お金のない人生を選択している人から見たら、すごく抵抗があるでしょう。だけど、私はそっちには合わさない。どちらが楽しいかを知ってるから。楽しい方がいいじゃん。

教科書と参考書と過去問に大学合格の答えがすべてある。東大京大の一部の学科以外は。大学卒業したら次は就職。それもやることは決まっている。そして無事に就職。すると、ノルマやらなんやらやることがたくさん与えらえる。命令される。それをやっておけば生きていける。多少は苦しくても生きていける。だけど、その苦しさが極限まで達した、または会社の命令をこなすだけの能力が追い付かなくなった。するとどうなるか。自分から辞めようがリストラにあおうが、そこで初めてわかるんです。今前はどれだけ「不自由」に守られてきたかを。だけど、そんな不自由もまた自分が選択してきたこと。そこで晴れて自由になった。8年前の私のように。そこで私は選んだ。それまでの不自由に戻るのではなく、どこまで自由を追求できるかを。確かに怖い。だって、やることないから。滝に打たれるでもしなければ、とてもじゃないが、自由の重圧に耐えられない。だけど、オレはその重圧に耐えた。だから今、自由なんだ。
ただ、自由の重圧と言っても、どこかで何かを信頼している自分がいました。それは「宇宙」です。不自由だと、自分を守ってくれるのは仕事や組織、制度、法律、文化、慣習など自分を縛り付けるもの。もちろん法治国家としての最低限の縛りはあったとしても、その限りにおいて「自由」の身になったとき、何が自分を守ってくれるのか。それが「宇宙」であることに気がついたとき、「なんでもやっていいじゃん」と悟りを啓いた。人生は「考え方」で決まるんだから、じゃあ、この真っ白な「自由」のキャンパスに、好き勝手に「考え方」を描いていけばいい。描きました。それが「今」です。
心が自由だからこそ、宇宙はオレを守ってくれる。まさに絶対的な信頼。ひそかにためたハナクソをこんなボールにしたっていい。しないけど。汚いから。だけど、ボールにしない自由がオレにはある。宇宙サンキュー、宇宙ブラボー。と言うわけで、自由を選択しましょう、でした。お金ある方が楽しいからね。自由だし。さあ、どんどん進みますよ。ありがとうございました。
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かなり、ガンガンとくる内容です!
わたしも、受け取る選択していきたいです!
ブログ楽しみにしております。
(*^^*)

自縄自縛しちゃうのは自分の心
小生も近々人生初でっかい大決断します
前のコメントにも書きましたが
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%94%E3%82%81%E3%81%8B%E3%81%94%E3%82%81
小生もQさんみたいに篭の中の鳥から脱出したいのです!
篭の外はきっと「エデンの楽園」なのでしょう



Qさん、セラピスト養成講座はされないですか!?

他人に振り回されない、他人がどうであろうと幸せを私は幸せを選んでいく。
かなりガツンときました。
自分の選択権を他人に委ねてるなぁとも感じました。
たくさんの気付きをありがとうございます‼
コメントありがとうございます。これからもよろしくお願いします!
言ってることがよくわかりません。
描きまくれ~!!
将来的にはと思いますが、少なくともこの1~2年はないですかねえ。
すべては自分次第ですもんね。