美しい人生 2013.5.20



 今日は一日寝ていました。グループセッションって通常のセミナーの5倍はエネルギー消費しますね。金曜日から泊まっている両国のホテルにて、寝たり本読んだりネットしたり。「五体不満足」の乙武氏銀座の隠れ家的料理店で車いすを理由に入店拒否されたことに立腹し、店名をさらして大炎上させた事件にメラメラ来てツイッターで砲撃したり、橋下の話でいろいろあったり。すぐに時事ニュースに噛みついてしまうこの大人気なさ。老婆心ながら、と諭されることしばしばですが、すみません。これからもどんどん噛みついて、クソはクソと言い続けます。そんなスピリチュアルブログですが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

 それにしてもねえ、沖縄の基地の話ですよ。ことの本質をまったく理解せずに感情論だけで反対反対と騒ぎ立てる輩が多すぎる。橋下の「米軍も風俗を活用しろ」って発言は、確かに品はないものの、沖縄で頻発している米兵による性犯罪が発言のベース。ここでの風俗とは売春なんかでは決してなく、「合法的に性エネルギーを処理できる施設」のこと。確かに女性の人権云々の話は議論の余地がありますが、だとすれば橋下の発言以前に「風俗」の是非から問わねばならない。私個人的にはなくなっても一向に構いませんよ。だけど現実に存在してるってことは、社会的にそれが「必要」だからであって、戦時下の慰安婦についても同様だった。例えば日本には洗濯物を立って乾かすだけの職業は存在しません。それは日本には不必要だから。だけどインドには存在します。カーストの差別(区別)が依然と残っている社会では、そのような職業でも残しておく必要があるから。想像しにくいかもしれませんが、単純に濡れた衣服などを風に当てて乾かすだけ。あと、道端で耳かきをする職人も未だにたくさんいるし、体重計に乗せるだけの職業もある。いずれも日本にはありませんが、インドにはある。それは日本では不要だけどインドには必要だから。ようは、存在してるってことは必要だから。それが現実です。

 以前、マイラインの電話営業してるとき、福岡市天神のある通りの「ニューハーフヘルス」なる店を訪れたことがあります。ニューハーフ、つまり、性転換したのかどうか知りませんが、女性の格好をした(元)男性が、男性に対して性サービスをするお店のこと。ビックリしました。私個人は理解できないし、生理的にも受け付けない。それが5~6年前のことでしたが、先日もその通りを横切ったときまだありました。つぶれずに経営してるってことは、需要があるから。需要とは必要のこと。一個人としてどんなに不可解であっても、それが実在してる以上、必要だから。外野がどんなに「必要ない!」と騒ぎ立てても、存在してる以上、ニーズがある。ニーズがある限り存在する。ただし、ニーズがあっても安全や人権等の面から規制が必要な場合もある。それが法制度。そしてその法制度は各国、文化によって異なる。アフリカに「割礼」という風習がありますが、それ自体は女性の人権面から見て許されることじゃない。しかし、今でも存在する。先進国から見て遅れた文化であると判断されたとしても、「文化相対主義」の原則から見ると、非常に複雑な問題。

 ちなみに個人的には日本には風俗はなくていい。パチンコも競馬もなくていい。タバコもなくていい。なくてもまったく困らないどころか、ものすごく住みよい社会になると感じる。だけど、それを必要としている人がいるのもまた事実だから、そのことに対してそれ以上の口出しはできません。そもそも、私の根底的な哲学に「存在している以上、価値がある」というものがあります。それは人生観においても同様。グループセッションなどしていると、しばしば、「私は生きる価値がない」と思っている人と出会います。何をもって価値がないと感じるのか。それがまさにビリーフなんだけど、そもそも、です。そもそも「生まれてきたこと」そのものに価値があるんです。〇〇だから価値がある、××だから価値がない、ではない。○○も××も価値がある。唯一、私が「価値」を認められないのは、「価値」を侵害する自由についてのみ。例えば殺人や傷害。殺人は他人が存在する「価値」を否定する行為。傷害も同様。価値を否定する自由はない。そこがラインであるけど、そうでない限りにおいて、存在にはすべて価値があると考えています。

 橋下発言から深い話になってしまいましたが、いずれにせよ、今日であれ戦時下であれ、「存在」している以上、その社会では「必要」だった。これが客観的事実です。では、沖縄の基地はどうか。今の日本には必要です。しかし、明日の日本には不必要かもしれない。基地の必要性は絶対ではありません。常に議論の対象であり、なくなってもいいし、なくなることを望んでもいい。しかし、ここからが本質なんですが、「基地」とはすなわち「日米安保」のこと。沖縄や日本から基地をすべて撤退させることは日米安保からの脱退を意味します。そして、それはそれでいい、とも思います。しかし、そうなると憲法第9条を改正する必要がある。つまり、自分の身は自分で守らなければならない、という世界のスタンダードに日本も身を置くことになる。ただ、そうなると軍事費が増大し、場合によっては徴兵制を導入しなければならなくなる。フェイスブックである人が「日本もスイスの様な国を目指すべきだった」と議論してたのですが、実はとんでもない話。無知すぎる。「永世中立」を保つには条件があって、一つが「強大な軍事力を有すること」、一つが「資源的価値が乏しいこと」です。前者の代表がスイスであり、後者の代表がスウェーデン。中立宣言をしても、ベルギーのように攻め込まれた歴史はある。日本には資源的価値が大いにありますので、もし中立国になるならば、軍備を増強する必要があり、そうなると当然、9条が足かせになります。スイスなんかすごいですよ。一歩でも踏み入れてみろ、そのたびに兵士がひとり減ることになるがな、、、と強硬に言い張ってます。永世中立国に強度な軍事大国。

 話を戻すと、基地を撤退させるには、軍拡と9条改正が必要となる。その一方で9条を守れ、と言う。9条を守るには、誰かが日本を守ってなければならない。それが今は日米安保。つまり、基地撤退を叫びながら、9条を守れと言うのは、超えられない矛盾があるんです。しかし、ここで矛盾しない方法が一つだけあります。9条を守りながら、日米安保から脱退する。すると必然的にまず中国が尖閣を実効支配します。今の憲法では「やられる前にやる」は許されてませんから、中国が「ヒット&アウェー」で攻めてきたら、仮に引き分けはあっても勝つことはない。そしてそのうち勝ち点(中国の)が増えると、必然的に尖閣は中国のモノに。そして今も現実に中国には「沖縄は中国のもの」と言ってる人もいますから、その洗脳が進むと、沖縄も中国のものになる。さらに「日本も中国の一部」など言うに決まってるから、よって将来的に「日本」という国がなくなってしまいます。

 ついでに言うと、保守系の人がしばしば中国のことを「支那」と言いますが、一般的に「支那」は中国に対する差別語と理解されています。実は逆。世界的には中国は「CHINA(シナ・支那)」と呼ばれてるのはご存知の通りですが、それが世界の正式名称です。だけど、日本に対しては「中国」と呼べと言うのは、実は日本に対する差別でしかありません。中国にとって日本は「東夷」です。東の夷。「夷」は「大きな弓」と書き、好戦的な野蛮人という意味です。中国から見れば周辺国は「東夷・南蛮・北狄・西戎」であり、字のごとく、すべて侮蔑的な意味があります。つまり、中国が日本に中国(中心の国)と呼べ、と言う裏には、「日本は野蛮な国だ」と意味が内包されてることになるんです。ようは、日本人が「CHINA」のことを「中国」と呼んだ瞬間に、「我が国は野蛮です」と言ってるようなもの。それが元々の意味なんですが、だけど、今では「中国」が日本では一般名称になっています。既成事実になっています。だからと言って、私が今から「支那」と呼ぶことは、軋轢の懸念によりしません。それでも、「中国」の根底にはそんな思想があることを知っておいていいと思います。

 話を戻しますが、9条を守り、日米安保から脱退すると、近い将来、日本は「中国の一部」になります。天皇は抹殺され、私たちも中国人となります。そしてチベットやウイグルのように「野蛮人」として迫害される可能性も高い。しかし、です。その昔、2500年続いた「日本」という美しい国があった。今は中国の一部になってるけど、欧米列強と戦ってアジアの植民地解放に尽力した、そんな勇敢で美しい国があったのだ、、、という歴史の美談にはなることでしょう。そしてそのことを日本国民は選択してもいい。あくまで選択権は国民にあり。平和憲法を遵守し、そして戦わずして散って行った。それを選んでもいい。国民がそれを選ぶなら、もう、従うしかありません。しかし、私は反対です。なぜなら、子どもたちに強く美しい日本を引き継いで欲しいから。そしてこの日本で豊かに幸せに暮らして欲しいから。ただ、それだけです。

美しい人生 2013.5.20_b0002156_950397.jpg と言う感じで、ま、いろいろありますが、夕方は新宿に出かけました。昨年のQ州ツアーで出会った二人が今月、めでたくご入籍されますので、その証人のサイン。その後は主にツアー参加者9名で焼肉へ。盛り上がりました。隣に「たまごちゃん」と呼ばれる、白くてつるつるした可愛い女性がいて、キャーキャー言うので、思わず乗せられちゃいます。

「人生は『考え方』で決まるんだよ」×50回
「言葉にならないよ」×30回
「なんやろ、なんやろ、なんで涙出るんやろ」×10回


くらいは連発してしまいました。要約すると、人生は「考え方」だけで決まり、そして感動的にいれば最高ってこと。そんな素晴らしい人生、美しい人生をこれからも送っていきたい。そんな思いを強くする一日でした。明日、福岡に戻ります。ありがとうございます。

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■5月31日(金)/名古屋/「心のコリ」のほぐし方実践セミナー(宇宙となかよし塾)
Commented by naomin at 2013-05-21 11:08 x
私は支那の代わりに唐土(モロコシ)と言ってるんですが歴史マニアじゃないとわかりづらいかも。一般向けには国際標準語の「チャイナ」、「チャイニーズ」でいいですね。
Commented by katamich at 2013-05-22 10:14
■naominさん!
チャイナがいいですよね。
by katamich | 2013-05-20 23:39 | ■時事問題 | Comments(2)