苦しみ・・だが、それがいい!! 2013.1.30

 2月2日・3日の「熱海ワークス」についてですが、現在、当初の定員24名のお申込みを頂いてるのですが、あと2名くらいは何とかなりそうってことで追加募集しています。参加したいと思ってたけど、ぐずぐずしてたら満員になった、今回は時期じゃなかったんだ、と思われた方、いらっしゃると思いますが、実は今回が「時期」だったのかもしれませんよ。同じように2月1日の夜のセミナーもまだ受付しています。で、今日はその日の資料を作っていました。2時間半のセミナーなので、あまり資料を増やしても大変なので、なんとか3枚でおさめました。今回のテーマも「コリをほぐす」ってことですが、何度も言うように、メンタルブロックの解除とか、ビリーフチェンジとかと同じ意味。ただ、「コリ」って言うと「身体」のことと関連付けやすくて、実際、「心と身体」ってのはつながってるどころか同じものを別の角度から見ただけと思ってるから、私にとっては「コリ」の方がしっくりくるんです。

 それに「メンタルブロックの解除」なんて言うと、どっからどこまで解除できたかわからないし、キリないですもんね。願望実現であったり、人生を豊かにすることであったりは、どう考えても「行動」が重要なんですが、それをせずしてなんもかんもメンタルブロックのせいにして、いつまでも前に進まない人っていますからね。そんなことばかりに費やすほど人生は長くもない。こういう言い方したらほんと、申し訳ないと思うのだけど、いわゆる「可能性」ってのは40代より30代、30代より20代、20代より10代の方が高いのは当たり前のこと。ただ、年とともに「可能性」が高まる人もいて、それはそれまでの蓄積によるとしか言いようがないのです。私は常々、33歳で人生の分岐を見て、44歳で人生逆転するなんてことと、いろんな人の意見を参考にしながら唱えてるのだけど、それまで何もしてこなかった人が「44歳で人生逆転」なんてあり得ませんからね。

 「44歳人生逆転説」を強く主張しているのが、栢野克己さんなんですが、栢野さんだって44歳までの人生はつまずきっぱなしだと言いながらも、それでもやることはやられてましたもんね。人生経験と言うことでは、間違いなく人一倍豊富。結局、33歳とか44歳とかのぞろ目の年ってのは(ぞろ目じゃなくてもいいですが)、それまでの積み重ねが開花するタイミングってことで、何もせずに花開くこともありませんから。例えば私は音楽が好きですが、自分の才能のなさもわかってるし、第一、ここ数年は楽器も触ってません。だけど、それでも、プロの演奏家になりたいなんて「夢」だけ見てても、44歳でいきなりプロになるなんてあり得ないですからね。とにかく「やりましょう」ってことなんです。私も44歳くらいには人生逆転したいと思ってます。もっとも、サラリーマン時代から比べると、今は随分と楽しいし、会社辞めたのが32歳なので、33歳には人生逆転したって言えなくもないけど、まだまだ「上」を見てますから。はい。

 ま、それはともかくてして、最近、思うんですよね。どうせいつか死ぬんだからって。最近、大阪に帰省するたびに誰それが死んだって話を聞くのです。小学生の頃、同じアパートに住んでた人とかが、普通に亡くなってたりする。うちの両親はまだ元気ですが、当然のことながら、いつか天国に行くでしょうね。でもまあ、孫の顔も見せることできたし、私は私なりに何とか上手に生きていくってことを見せれたと思うので、たぶん思い残すことはないだろうけど、あったとしてもそれはそれで仕方ない。死んでしまえば同じことですもん。ただ、生きている間は違う。そしてどう生きるかってのは、今の自分が選ぶことができる。だったら、せっかく生きてるんだから、墓場に入るときに後悔のない生き方したいな~って思ってるんです。そうやって考え出したのは、ここ2~3年のこと。それこそ子どもが生まれた辺りからだと思うのですが、背負うものが大きくなったからこそ、もっともっと自分の人生を大切にしたいと思うようにもなった。

 社会学なんか勉強すると、デュルケムの「自殺論」などを読むことになるんだけど、それによると既婚者よりも未婚者の方が自殺率は高くなるらしい。未婚者ってのは、単純にまだ若いのに何で、、、と思ってた時期もありましたが、今ならよくわかる。もちろん子ども残して死ねないってのもあるけど、だからこそ自分の人生が大切になるんですよね。ときどき、若いのに「生に未練がない」なんて悟ったこと言う人いるけど、正直、虫唾が走りますね。もっとも、そんな人に限って、いざ死ぬような状況になると泣きわめきそうな気もしますが、オレはやっぱり「自分自身の人生を大切にしてる人」の方が好き。悲しいことに、アルジェリアでテロに殺害された日本人の皆さんがいらっしゃいますが、その現場にいた他国籍の人によると、日本人だけは泣きもわめきもせずに静かに現状を受け入れていたとの報道が入っています。そこに武士道を見た、などとも。でも、すごく生きたかったと思いますよ。それこそ日本に残してきた家族のこととか考えると、もう、やりきれない。私なら気が狂いそう。

 だけどどうなのかな。自分で選んだ仕事。国が国だけに、テロに捕まるリスクだってある。少なくとも日本で仕事してるよりは、そんな漫画みたいなことが起こる可能性があるのは事実。当然、家族だって心配してるでしょう。もし自分や自分の家族があんな立場におかれたら、当然のこと、テロを憎んで憎んで憎み倒すけど、でも、同時に自分が選んだ人生に対しては何の未練もないような気がするんです。口に出しては言わずとも。そしてできればオレも、、、万一にもあのような状況におかれたとき、静かに現状を受け入れられるような生き方をしたいと思うのです。今はできるかどうかわかりません。だけど、だからこそなお一層、私は「生きる」ことに執着したいのです。

 今日という日は、昨日、亡くなった人がなんとしても生きたいと思ってた日なんだ。最初に誰が言ったのかわかりませんが、ほんとにそうだと思いますね。今日こうやってブログ書いてる、そして読んでくださってる人がいる。それは生きているからこそ。でも、その日は、アルジェリアのテロに殺害された日揮の社員さんがたちが何を引き替えにしてでも欲しかった「今日」なんでしょうね。別に日揮の社員さんたちにために生きようなんて言いませんけど、自分のために、自分ために、自分のために、今日と言う日を精一杯生きたいと思うのです。

 誰に向けてこの文章書いてんだい、って聞かれたら困るのですが、誰でもなく、もしかしたら自分自身のために書いてるんだと思います。だからですよ、まだまだ「上」を目指していいんです。行けるとこまで行ってみたい。この先に何があるのかわからないけど、もっともっと生きることに執着して、そしてブルブル感動して死んでいきたいのですよ。生きるとは皮肉なことに、それ自体が「死」に近づくことでもあります。もちろんそれがいつになるかはわからないけども、50年後のこともあれば、5秒後のことだってあります。ま、5秒はさすがにないとしても、5分後とかはあるかもしれません。頭上に突然1トンの隕石が落ちてきたら、まず助からないでしょう。でも、そんなギャグマンガのようなことだって、可能性はゼロじゃないです。

 実は今日、セミナー資料作ってたら、突然、降ってきた言葉があります。そうだよな、そうだよ。これは宇宙のメッセージだよな、って思ったのですが、それはセミナー終わってからこのブログにも書きたいと思います。じらすようだけど、ちゃんと書きますので待っててくださいね。ま、自分でこんなこと言っていいかわかりませんが、2月1日のセミナーなんて、情報としてはその前後のブログでほとんどすべてさらけ出すでしょう。だからもし、セミナーの「情報」だけを知りたいのなら、このブログで十分。と言うか、わたしって隠し通せない性格なので、セミナーだけの極秘の話とかほとんどないです。ブログに書くと、いろいろまずいことなどあって(特定の人をdisったりとか、、、いや、それでも書いてるかも)、その辺は良識の範囲で伏せたりはしますけど、それくらいのこと。書いてもまずくないことはすべて書きます。

 ときどき、私のセミナーに来られた人が、その感想を自分のブログで書こうとするんだけど、その内容をめちゃめちゃ詳しく「宇宙となかよし」に書かれてあったりするので、リンクして終わりになるんです、ってことがあるようですが、すみません。やっぱり書かずにいられない。セミナーで言わなかったことも、あとから気が付いて書き加えたりすることもあって、いったい何のためのセミナーだったんだ、、、と言われることはないけど、自分でそう思うこともあります。でもいいです。もったいぶってばかりいるクソみたいな文章よりはその方がいいでしょうから。

 話を戻しますが、ようするに、生きてるって素晴らしいことだよな~って言いたかっただけなのかもしれません。前も書いたと思うけど、苦しいこととかまったくなくなったら、それはそれで楽しくないと思いますしね。「ゼビウス」の無敵モードがどれだけしょうもないか。小学生ながらに思いました。玉に当たっても爆破されないソルバルウのような人生はクソだってことを。だけど「スぺランカー」のような人生も勘弁して欲しいとは思います。わからない人はすみません。スぺランカーってのは、ファミコン史上最高の虚弱体質のキャラでして、そのあまりの弱さに、必ずクソゲーのトップにランクされるゲーム。幸い私は「スぺランカー」は買ってはませんが、「バンゲリングベイ」はCMにあおられて見事に買ってしまいました。クソ~。

苦しみ・・だが、それがいい!! 2013.1.30_b0002156_16252823.jpg ようは、願望実現って言うけど、実現したいともがける状況って素晴らしいと思うんです。苦しいですよ。だが、それがいい。苦しみのない人生なんてクソですから。今日は「クソ」って言ったの何度目かな。スピリチュアルな人が言う言葉とは思えませんね。滝行する人が言う言葉とは思えませんね。だけど、私はこれからも言い続けます。自分の人生を大切にしない人間なんてクソだってね。待ってたら誰かが苦しみを取り除いてくれると思ってる人生もまたクソだってね。すべては自分次第。幸せになるも、不幸になるも、すべては「自分」で選べるんです。だったら、ハッピーになる方を選ぼうやないかって。わざわざ自分で自分を不幸にしてしまう人生なんて、やっぱりクソですから。

 そんとこで、一月ももう終わり。2月からまためっちゃ楽しいことばかりやな~と思いながら、とりあえず東京と熱海で皆さんとお会いすることを楽しみにしています。ここ数日、インフルエンザが流行ってるこってことで、人一倍、うがい手洗いに励んでる私ですが、喉も順調に良くなっていますし、最高の三日間になること間違いない。それでは今日はこの辺で。ありがとうございました。

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【東京】2月1日(金):「心のコリ」のほぐし方実践セミナー(宇宙となかよし塾)(増員しました)

【福岡】2月23日(土):「心のコリ」をほぐして願望を実現する「引き寄せの法則」実践セミナー
Commented by ねこじたゴリラ at 2013-01-31 17:24 x
読んでたらテンション上がってきました。(笑) 明日のセミナー楽しみにしております。
Commented by sachio at 2013-02-04 21:19 x
>若いのに「生に未練がない」なんて悟ったこと言う人いるけど、

何となく分かるところが有ります。いえ、その若者の気持ちのほうにですが。
これは、言ってる本人に自覚があるかは分かりませんが、もちろん本意で言っているのではなくて、寧ろ強がりと言うか、そういうことでも言わないと(自分に言い聞かせでもしないと)、やりきれない部分があるのではないかと思うんです。
自分が本当にしたいこと、人生の目的のようなものが分からない。自分の気持ちが分からないというか。
かと言って世間的に、「自分は何がしたいのか分からない、やりたいことが分からない、人生の生きがいがない」なんて、
なんか、恥ずかしいと言うか引け目のようなものも感じて正直にも言えない。
だから、その引け目の部分を、あえてカッコつけて肯定的に表現するんではないかと思います。
まあ、もしかしたら全く見当外れなのかもしれないですが。
Commented by katamich at 2013-02-07 13:26
■ねこじたゴリラさん!
ブログでのレビューありがとうございました!
ぜひまたお会いできるのを楽しみにしています!
Commented by katamich at 2013-02-07 13:28
■sachioさん!
実はおっしゃる通りです。よくわかります。
「生に未練がない」なんて悟ってるわけでもなんでもなくて、単なるやりきれなさの表れ。おっしゃる通りです。
by katamich | 2013-01-30 23:39 | ■人生哲学 | Comments(4)