「言的唯物論」について 2005.2.10

昨日は遅かったので夕飯を食べていません。しかし起きてみると、その方が体の調子がよいように思います。何より目覚めがいい。日本人というか先進国の健康な人は「食べる努力」よりも「食べない努力」をした方が身体に良いのではと思います。巷では「プチ断食」や「不食」というのまで流行っているようですし。極端な言い方をすると、「ご飯は食べるべき」から「ご飯は食べても(食べなくても)よい」くらいに考え方を代えた方がよいかもしれませんね。別にお腹がすいてなければ食べなくてもよいのです。時間だからと言って無理して食べるから太るのでしょう。滝を通してそんなことを改めて考えました。


今日はいろいろあってちょっと考えたことがありますのでそれを書きます。言葉には「ポジティブな言葉」「ネガティブな言葉」ってありますよね。例えば、前者には「ありがとう」とか「ツイてる」とか「やった~」とか、後者には「このやろう」とか「こんちくしょう」とか「ばか」とか。。。


考えてみると、人間って生まれてから「ポジティブ」「ネガティブ」のどちらの方を多く言ったり言われたりしてきたでしょうか。もちろん統計的な根拠はないのですが、ほとんどの人がネガティブな言葉に親しんでこられたのではないでしょうか。小さい頃から、家庭では「ああしなさい、こうしなさい」と言われ、学校では「勉強しろ、風紀を守れ」と言われ、会社に入れば上司や客先から何かと小言を言われたり叱られたり。


そして言われると、それに呼応するかのように「ネガティブ」な言葉を発してしまいますよね。そんなことで、(日本)社会全体の仕組みがネガティブな言葉にネガティブな言葉を重ねるといった、「ネガティブ雪だるま構造」になっているのです。


「よく生きる」というのは、その構造から何とか脱出することではないかと考えています。では、そのためにはどうすればよいのか。実は簡単なことで、「ポジティブ」な言葉を発しつづければよいのです。


私が考えた「説」の中に、『言的唯物論』というのがあります(斎藤一人さんや小林正観さんらが言うのと同じようなことですが)。「唯物論」とは言うまでもなく、「モノ」や「客体」が最初にありきで、その上に精神や文化が位置付けられるというものです。「唯物論」の反意語としては、いろいろあるのですが、とりあえず「精神論」とすると、ここでは精神や思いといったものが客観的世界(事象)を形成するといったものです。


つまり、世の中と言うのは、目に見えるこの世界が最初からあるのか(唯物論)、そうれはなくて、見ている人・思う人によって世界が形成されるものなのか(精神論)、という考え方の対立図式があり、これは哲学史上の最大のテーマである「主観-客観論争」そのものと言えます。


そこで私のような精神的な人間は「思いが現実化する」とか「世の中は人々の所作によっていかようにも変わる(例えば、プラスの思いが地震・台風を鎮めるなど)」など言い、当然、「精神論者」のように思われることでしょう。確かにそうかもしれません。


しかし、「言葉」については完全に「唯物論」の立場をとっています。どういうことかというと、「言葉」とは人の思いや、社会、文化、科学などと完全に独立して存在しており、「言葉」自体に最初から(アプリオリに)「意味・エネルギー・パワー・コンテンツなど」があると考えるのです。


具体的に言うと、「ありがとう」という言葉は最初から「ポジティブ」な言葉です。逆に「ばかやろう」という言葉は最初から「ネガティブ」な言葉です。では、ばかやろうという気持ちで「ありがとう」と言うのと、ありがとうという気持ちで「ばかやろう」と言うのでは、どちらが「良い」のでしょうか。「言的唯物論」の立場で、前者、「ばかやろうとう気持ちで『ありがとう』という」になります。もちろん、気持ちと言葉が一致するに越したことはありませんが(両方ネガティブなら最悪ですけど)、気持ちがどうであれ、「ありがとう」と言ってしまう方が良いのです。


聖書の有名な一節に「はじめに『言葉』ありき」というのがあります。神が「光あれ」と言うと光が生まれ、大地が生まれ、海が生まれ、人間が生まれます。そのように、「言葉」が「世界」に先立って存在し、「言葉」それ自体に意味があるのです。そして人間の思いは常に「言葉」に遅れるものなのです。


そう言う意味で、私は「言的唯物論」という立場をとっているのです。


そう考えると、世の中がいかに単純で優しいものなのかわかりますよね。例え、どんな腹立つこと、悲しいこと、不幸なことが起こったとしても、「ありがとう」と言っていれば、「良い」方向に反転するものなのだから。そしてとにかく、「ありがとう(ございます)」とか「ツイてる」を連発するだけで、「幸せ」になれるのですから。


「え~、そんな眉唾な話があるかい?」と疑うのなら、実験をしてみるといいでしょう。お風呂場、車の運転中など一人でいるときに、「ありがとう」を1000回言ってみてください。これは15分ほどで言えます。そしてその翌日には「ばかやろう」を1000回言ってみてください。これも15分ほどで言えます(私はやったことありませんが理論上15分ですよね)。「そんなするのも馬鹿らしい」とおっしゃらずに、2日間それぞれ15分で実験が可能なのでやってみられてください。「必ず」何かがが起こると確信して言えます。
(ちなみに私は「ありがとう」の方は何度もやり、常にツイてることが起こってくるのですが、「ばかやろう」は10回ほど言っただけで、トイレに駆け込みゲロを吐いてしまいました)。


このように「言的唯物論」で言うと、闇雲に「何度も言う」ことにさえ価値が、効果があるのです。ついでに言うと、私は今、「滝行」に入っていますが、その中で「ご真言(マントラ)」というものを何度も唱えます。例えば、「のうまくさーまーんだーばーざらだんせんだんまーかろしゃーだーそわたやうんたらたーかんまん」とか「おんあぼきゃべいろしゃのうまかぼたらまにはんどばじんばらはらばりたやうん」とか「おんあらはしゃのう」とか、日本語としては全く意味不明な言葉を何度も唱えています。元はサンスクリット語ですが、この言葉は言語学を超えたそれ自体の素晴らしいエネルギーがあると言われています。


有名な話としては、空海(弘法大師)は19歳の時に、「虚空蔵求聞持法」というのを習得し、その後、超能力に近い頭脳や知恵を授けられたと史実に残されています。ここでは、50日間の間に「のうぼうあきゃしゃきゃらばやおんありきゃまりぼりそわか」という虚空蔵菩薩真言を100万回唱えるのです。これを100万回唱えたことによって、「言葉」を通して宇宙から力をもらい、ものすごい力を身につけたとされています。


話を最初に戻します。人間は生まれたからネガティブな言葉にさらされつづけ、「ネガティブ雪だるま構造」に組み込まれています。そこから脱出することが「よく生きる」方法なのだと言いました。そうです、脱出するにはひたすら「ポジティブ」な言葉を言いつづけるしかありません。「ありがとう」を一日1000回言うのも良いでしょうが、難しければ少なくとも日常においてネガティブな言葉を吐かずに、その都度ポジティブな言葉を発しつづけることが不可欠だと思います。そうやって、これまでのネガティブな言葉を清算し、心を浄化した上で、ポジティブな言葉を植えつけることが必要なのです。


事実を言います。私自身はこの一年、人の悪口などネガティブなことは言っていましたが(←「愚痴も言うがな、人間だもの」、なんちゃって、、、)、とにかく意識的にポジティブな言葉を言い続けて来ました。その結果、時間、天気など自然の事象にはことごとく恵まれ、健康を維持し、自分がやりたいと思ったことのほとんどが実現し、友達も増え、人生レベルでの素晴らしい出会いもいくつも経験し、仕事以外の臨時収入もなぜだか増え、とにかく「運」に恵まれ始めたのです。
 

もう一つ事実を。私の周りで、私に感化されてか、「なるほど」と思って上記のことを実行した人が何人かいますが、私の知るすべての人が、同じように「運」気が上昇し、なんと私に対してまで「ありがとう」を言ってこられるようになりました。


逆に今でも「ネガティブ」な言葉を発しつづけている人がいますが、例外なく「不幸」に見えます。金にも人にも運にも見放されているような人に見えます。具体的には書きませんが、お話する機会があれば、直接、例としてお話しますよ(笑)。


もう確信ですね。言的唯物論。今日はなんだかいつも以上に力の入った日記になりましたが、ちょっと考えが整理できましたので書かせて頂きました。


最後に。今日、とっても嬉しいメールを頂き、自慢したくなったので見せびらかさせて頂きます(爆)。


「(略)今日はあなたのサイトを読ませていただき(最初は日記からはいりました)私がここ数年、感じたり、ひとから学ばせていただいたことがすべて書かれてあり、言葉にならなかった胸のうちのことがきれいに整理されてとてもスッキリ元気になりました。(略)あなたの文章はとてもわかりやすく、そのうえ一言一言に愛情が感じられ、私はこれまでにない感動を覚えてしまいました。(略)今日はこの気持ちを伝えずにはいられませんでした。まったく初めてのことです。何より私はあなたが日記に書かれているようなことすべてに共感を持っています。本当に本当にありがとうございました。」


とても嬉しいメールですよね。見知らぬ人にここまで共感してもらえるなんて(涙)。今日の日記はこの方からのメールに触発されて書いたようなものかもしれません。その意味で私の方こそ感謝の気持ちでいっぱいです。


「行」も3分の1に差し掛かろうとしています。この一週間はとても充実した毎日を送ることができました。ありがとうございました。

(くうかい君)

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by katamich | 2005-02-10 23:51 | ■人生哲学 | Comments(0)