人生は「玉」のごとし 2013.1.15
2013年 01月 15日
と言うことで、ちょっとごちゃごちゃしてた環境を一新している最中です。昨年はアメブロも毎日書いてましたが、もう少ししたらワードプレスの「公式ブログ」も復活させようと思います。iphoneのアプリもあるので、PCがなくとも更新できますし。とにかく消される心配とかもなく、気兼ねなくやれるのがいいですよね。私のミッションと言うか、「天命」は書いて書いて書きまくることしかないです。私から「書くこと」を取ったら何も残らないと言っても過言ではない。確かにこのブログだって、平均的にはそこそこアクセスはあると思いますが、いわゆる「アルファブロガー」などと比べるとまだまだ。今現在、月間のページビューが15万から20万くらい。やっぱり100万はないと「ブロガー」として胸を張れないのだけど、実はどうでもよかったりして。もちろん、そのうち100万とか普通に超えると思いますよ。ブログってのは書き続ける限り、アクセスが永遠に上がるものですから。だけど、私は何のために書いてるかというと、一番は自分のため。書きたいから書く。二番目は読者さんのため。読んで頂く人のために書く。自分が書きたいことが何か有益であれば一番いい。月間15万ビューだとしたら、一日5,000で、そのうちの7割をユニークとすれば訪問して頂いてるのは3,500人くらいでしょうか。月間100万ビューならば、一日20,000人が読んでる計算になります。その差は16,500人ですが、わかりますよね。私は3,500人のために書いてるのであって、読んでない16,500人のこととかどうでもいいってことが。
確かに目標値を20,000と置いて、現状が3,500ならばその差16,500を埋めなければ「目標達成」にはなりません。そこでその足りない16,500を埋めるために、その人たちに迎合して好かれる記事を書く。それはないよね。それよりも今読んで頂いている3,500人のために全力で書く方が楽しいじゃないですか。今日も「宇宙となかよし」が更新されてるぞ。今日も長いな。読むぞ。今日はなかなかいい記事だった。そう思って頂けるのが一番嬉しいのです。セミナーの受付とかすると、一言メッセージを頂くことが多いです。その中でブログの感想とかも頂けるのですが、今日なんか「7年間読んでます」ってメッセージを頂いて驚きですよ。7年前と言うと、おそらく今の10分の1もアクセスないと思うのですが、その頃から読んで頂いてるなんて恐縮の限り。いや、自分でも反省することがあるんですよ。7年前なんて、今とは考え方も書いてる内容も変わってて、ときには当時の自分の批判することだってあります。「ありがとう」が氷の結晶を美しくするなんて、どっかに書いてると思いますし。そんな自分を批判するってことは、その頃に読んで頂いてる人たちのことも批判することになりはしないか、とか。考え過ぎか。だけど、一時期、急に「満月に通帳をかざすのはクソ」とか言い出して、その手の話が好きな人たちから総すかん食らったこともありますから。マイミクとか一斉解除ですよ。
ただ、それでもずっと読んで頂いてる人がいらっしゃるなんて、ほんと嬉しい限り。その一方で、「今年に入ってから読むようになったけど、その濃さに驚いている」と言われる方もいて、それももちろん嬉しいですよね。だけど、一貫したスタンスとしては、「今日読んでくれる人のために書く」にしかありません。足りないところよりも、今あるところ。「何時どこ」ではなく「今ここ」。「足るを知る」って言葉がありますが、これの意味するところは、「欲を無くせ」とか「謙虚であれ」とかではなく、「今を生きろ」ってこと。今に全力を尽くす。そんな人生って素敵やないですか。

こんなのは現実的にはあり得ません。「完全」とはそもそもあり得ない話なんだけど、それでも私たちは「完全な玉」には違いありません。なぜなら、私たちは常に「接してるけど、接してない点」に生きているから。実際にはあるのだけど、実体のない存在。これをお釈迦様は「空」と呼んだんだけど、それがまさに「今ここ」なんです。「完全なる今」ってあるでしょうか。確かにありますよね。だけど、その「完全なる今」は「何秒」ですか。0.00000……1秒ですか。違いますよね。だって、最後に「1」ってついてる以上、そこに「長さ」が存在してるのですから。「完全なる今」には時間的な長さはありません。だけど、私たちは例外なく「完全ある今」にしか生きていません。同じように「完全なるここ」ってありますか。もしあるとすれば、それは「何平米」ですか。そんな定義できないですよね。つまり、「完全なるここ」の面積はゼロなんだけど、だけど私たちは例外なく「完全なるここ」にしか生きていません。だから私たちの人生ってのは「完全な玉」が転がってるようなもので、あり得ないけど、あるとしか言いようのない現実を生きてるわけで、つまり私たちは「完全」な存在なのです。
ブログのアクセスの話からやけに哲学的な話にシフトしちゃいましたが、私たちは例外なく「今ここ」を「完全」に生きてるのです。例えば目標20,000として、今は3,500だから「不完全」かと言うと、そう考えている限りは「不完全」に見えるでしょうね。もしかしたらいつか20,000になる日がくるかもしれない。それを目指すのもありだけど、じゃあ、20,000になったら「完全」かと言うと違うでしょ。仮にアクセスが70億になれば、地球上では「完全」に見えるけど、今生まれた赤ちゃんは読んでないからやっぱり不完全。つまり、「不完全」に目を向けている以上、永遠に「完全」を実感することはないのです。だけど今日、私は3,500人のためだけに書きました。「完全」じゃないですか。私は「明日」を生きていませんが、もし「明日」に「完全」を求めるなら、それは永遠に手にすることのできない幻です。だけど、私は「今日」を、いや、「今」を生きています。「完全」じゃないですか。「完全な玉」が転がるように、私たちは常に「完全」を生きてる「完全」な存在なのです。
だから何も恐れる必要はない。ただ、「今ここ」に永遠の喜びを感じながら、転がり続ければいいのです。ちなみに「完全な玉」を頭に思い描いて瞑想すると、、、いっちゃいそうです。だって、接点もなく、浮いてもいない「玉」が転がってるんですよ。こんなクールな物体はないでしょ。完全にキマりました。やっぱり私にはドラッグは不要のようです。そんなわけで、完全にトリップした状態で寝ようと思います。ありがとうございました。
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