不幸は犯罪 2012.1.13

不幸は犯罪 2012.1.13_b0002156_0541325.jpg 日曜日は朝から「トーマス」&「チャギントン」&「アンパンマン」があるので、ちびQは大忙し。まだ戦隊ものには興味を持ってないですが、そのうちさらにうるさくなるかなあ。私はさっさと滝行へ。気温は0度から5度あたりを動いていますが、一週間も続けると身体は慣れるもんです。気持ちはともかく。だけど、脳天に0度近い滝を浴びせかけるとき、第一チャクラがビビビビ~としびれるのはどうなんでしょう。決して気持ちのいい感覚じゃないですが、それで腹から声だすもんだから、その辺が活性化しているのを肌で感じます。ある人から「あとは、ハートチャクラだね」と言われたことありますが、ハートが開くとどうなるのか。やはり瞑想伝授ってことなのか!

 ま、それはともかくとして、今日は3月の沖縄の宿を予約しました。右写真みたいな広い4人部屋を一室。3人部屋を二室。2人部屋を三室予約して、計16名。このパターンだと男女数がどうなっても対応できます。昨年は2人部屋を八室予約して、運よく男女比が偶数になったけども、これが奇数になると面倒だったんですよね。これで部屋も準備万端。23日は正午に那覇空港に集合して、レンタカーで浜比嘉島へ。そこでしばらく時間をつぶして万座毛経由の恩納村のホテルへ。チェックイン後はしばらくゆっくりして、6時半頃から宴会。こんな日はやっぱり「肉」です。滝行中は肉を食べませんが、ハレの日は食べたいですもんね。そもそも肉ってそんな位置付けだったらしい。肉食って酒飲んで。不健康でいいじゃないですか。だけど、健康ってそもそも「気持ち」の要素が強いので、心が晴れていれば何食っても大丈夫。

不幸は犯罪 2012.1.13_b0002156_0545151.jpg まあ、ぶっちゃけ、藤子不二雄Aみたいに物心ついたときから肉が食べられないとか、気分的に苦手ってのでもない限り、食べれるもんは食べた方が健康な気がします。ただ、「牛肉」に関しては資源・環境的に今の5分の1くらいに減らしていいと思ってます。その代わりに値段を5倍にする。そもそもヒンズー教徒が牛肉を食べないのは、それが自然だからかな~と思ってます。それでもやっぱり、キングオブ肉は「牛肉」だと思うのです。あんな美味い食い物もないと個人的には思うのです。そして斎藤一人さんも言うように、焼き肉食って顔をテカらせてる人間は運が悪くなりようがないとか。私もそう思います。なので、沖縄の初日は「開運」的にも肉ですね。

 とにかくまあ、楽しいことしたいじゃないですか。どうせ死ぬんだし。この「どうせ死ぬんだし」ってのは、私の人生哲学においてかなり根底を流れています。肉食っても食わなくても、どうせ死ぬんですよ。セックスしてもしなくても、どうせ死ぬんですよ。滝に打たれても打たれなくても、どうせ死ぬんですよ。だからと言って、刹那的・退廃的に生きようってことじゃないですよ。つまりは、今を生きるってこと。自分がやりたいと思うことに素直になること。自由であること。ただし、「自由」は「一つ」なので、自分の自由を行使するために誰かを殺すとか傷つけるとか、他人の自由を奪う行為は「自由」に反することですからね。「真の自由」とは自分はもちろん誰をも自由を侵害しないこと。

 ただ、実際の話、まず「自分の自由」を犠牲に生きてる人が多いですもんね。中でも究極の不自由が「自分は生きてていいのかしら」みたいな思い込み。つまり、自分の作り出したビリーフに自由を奪われてる人が少なからずいて、他には「私みたいなのが幸せになっていいのかしら」とか「私みたいなのが結婚していいのかしら」、「私みたいなのがお金持ちになっていいのかしら」みたいなのってありますよね。もう言っちゃいますけど、幸せになることはすべての人の使命ですから。自分を幸せにしないほどの罪もありませんよ。「幸せになっていいのかしら」とか悲劇のヒロイン・ヒーローぶってる場合じゃないくて、幸せにならなければいけないのです。幸せになるのは義務なのです。世の中、「~なければならない」って義務など本来的に存在しないのだけど、幸せになることだけが唯一の例外です。幸せになることだけが義務であり、その義務を遂行しないのは、ま、正直言って犯罪に等しいですね。

 言い方厳しいですが、あえて言ってます。そもそも考えてみたら、不幸になるのはその人の勝手かと思うかもしれませんが、決してそうじゃないですから。なぜ世界から武器がなくならないのか。それは不幸な人がいるから。自分で「不幸」だと思ってるから、その穴を埋めようとして、他人の自由を奪うのが戦争じゃないですか。世界史を勉強するとつくづく「イギリス」が嫌いになると言われますが、もしイギリスとかイギリス人全員が心からハッピーだと思っていたら侵略戦争なんて起こさないですもんね。それどころか、アジアにわざわざ出向いて「お前ら遅れてて不幸そうだから植民地にして幸せにしてやるよ」みたいな言い訳して横暴の限りを尽くす。挙句の果てがアヘン戦争。旧連合軍が日本に太平洋戦争の総括を求めるのなら、その前にアヘン戦争の落とし前はどこで付けたんですかって問いたい。世界史ってそんな理不尽の連続ですもんね。

そう考えると、何だかんだ言ってまともな世の中にはなってるんじゃないですか。あくまで過去との比較の上で。問題はゼロじゃないけど、そもそもゼロになど絶対になりませんものね。もしこの世の中からまったく問題がなくなったら、それはこの文化の終焉を意味するくらい。それは人生も同じこと。完全はなくて、人間はどこまでいっても不完全。だからこそ人間なんだけど、だけど世の中がましになって、昔よりは幸せを感じられる人が増えているように、人間だって問題だらけでも幸せを感じていいはず。そして幸せだったら武器を持つ必要もなくなるし、だからこ幸せでないことは犯罪なのです。

もちろんどっかのサヨクが言うように、武器を捨てたら平和になるわけじゃない。もしも日本が日米安保と自衛隊を放棄したら、オレの大好きな沖縄は3日以内に中国に侵略されるでしょう。そして一週間以内に首都陥落。竹島の実効支配を許してしまったのは、日本に自衛隊がない一瞬のこと。私は決してウヨクでもタカ派でもないけど、やっぱり現実見るとそうなんです。武器を捨てたら平和になるなんて幻想。だけど、一人ひとりがもし本当に幸せに平和になったら武器は自然となくなるはず。目指すとしたらそっちでしょ。まだまだ長い時間はかかるかもしれないけど、一人ひとりが幸せになればいいし、声を上げるのはそっちから。

 だからまずはここで吠えておきます。幸せになろう。ただそれだけ。肉食いたかったら肉食おう。酒飲みたかったら酒飲もう。エロサイト見たかったら見よう。オレは滝行中は見ないことにしてるけど、行が終わったらきちんと見るつもりです。どうせいつか死ぬんだし、やりたいことやって死にたいじゃないですか。幸せなままに死にたいじゃないですか。死ぬときに、もうこの世の中に戻るのはゴメンだ~って言いながら去っていくんじゃなくて、もう一回くらいやっていいかなくらいには思いたい。決して未練じゃないけど、不自由な三次元だったけども、なんか楽しかったよね、、、くらいに思って死にたいわけですよ。だから幸せになろう。ただそれだけ。

 と言うことで、今日も楽しい一日でした。ありがとうございました。

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Commented by みっちょりーな at 2013-01-15 22:03
まったくQさんのおっしゃる通りだと思います。私達は幸せになるのは義務だと思います!!
Commented by katamich at 2013-01-17 20:57
■みっちょりーなさん!
ほんと、そうですね!
by katamich | 2013-01-13 23:39 | ■人生哲学 | Comments(2)