炊きたてのご飯を踏めるか! 2013.1.8
2013年 01月 09日
ところで、昨日は「夢」の話をしたと思いますが、「夢」にはつくづく「無意識」の情報が反映されてることを実感します。実際の話、夢のメカニズムについては諸説あって、いまだ明確な答えが出てないようですが、とりあえず「記憶の整理」という説が有力のようです。頭の中の情報の整理と言ってもいいと思いますが。確かに徹夜が続いたりすると、頭の働きが弱くなり、パソコンで言うと動作が鈍くなったりすることがよくあります。そこで定期的にデフラグやクリーニングをしたりすると、途端に動作が速くなります。つまり「睡眠」ってのは、頭の中のデフラグのようなもので、それが「夢」として整理されるのでしょう。
実は今回の「行」はまだ5日ほどしかたってませんが、エロい夢を一度も見ていません。前回の年末の行では、たった一週間だったにも関わらず、2~3回は見たと思います。そんな夢を見ると、行中であるにも関わらず、日中もついエロいことを考えてしまいます。それを処理するのは、もっぱらエロサイト。ネットにつないでると、こっちからアプローチしなくてもやってきます。普通の情報サイトからでも簡単に飛んでしまうので、青少年にとっては確かに有害。昔は道端に落ちてるカピカピのエロ本に興奮したものですが、今ではネットで簡単にアクセスできるので有害と言うより、ロマンがないな~と思うこともしばしば。それはともかく、今回の「行」に関しては初日に書いたように、エロサイトを見ないことを約束にしています。ぶっちゃけ、行中は性欲処理禁止になってるのですが、私もまだ若いつもりなので、あれこれ考えることはあります。そんなとき、物理的な処理をせずとも、エロサイトとか見て頭の中、つまり「情報空間」だけで処理できたりもします。だけど、よくよく考えると、それもまた「行」として手ぬるい気がするので、今回と言うか、今年からは一切のエロサイトは見ないことにしています。もちろん行中に限りですが。
で、そう決めるとどうなるか。意外と大丈夫なものです。しかも余計な情報が入ってこないので、頭と身体がモンモンすることもない。なので、夜に夢を見ることもない。ようは「夢」ってのは、「情報の整理」と言うより「感情の整理」のようなもので、日中に処理できないことを「夢」の中で果たしてしまえるのでしょう。昨日の日記で、怖い夢を見て唸り声を上げたって話をしましたが、私も知らずらずにいろんなストレスを溜めてることがわかります。特にフリーランスでいると、決まった給料がないわけですから、絶えず目に見えないプレッシャーがあり、それがちょっとずつストレスになってる感じ。それを発散するために、定期的に怖い夢を見てうなされるのでしょう。なので、怖い夢とかエロい夢を見たら、とりあえず「感情処理」したんだと肯定的に解釈するようにしています。
その意味で、今回の「行」ではエロサイトを見ないことを約束しているので、その点の欲求が溜まることも少ない。ゆえに夢を見ないようになってるのでしょうが、21日間あるのでどうなるかはわかりません。2006年にやった100日行のときは、最初の方はいろいろ不安でしたが、途中から気にならなくなり、もしもこのまま一年とか三年とか禁欲を続けていると、そっちの欲望はなくなりそうな感じ。だけど、そういうわけにもいかないので、100日行のラスト10日切ったあたりから「満行」を意識し始めて、途端に性欲が復活してきたものです。ようは「考えた」からでしょう。だけど自分では欲望をコントロールできる自信にはなりました。今回の「行」でも自分からはエロい情報を求めないようにしてるので、どんな満行になるかは楽しみです。
まあ、なんのこっちゃと思うでしょうが、こんなとこにも「意識」と「無意識」のつながりがあって面白いです。一説によると、例えばパチンコ中毒みたいな人が、ちょっとパチンコに行かないだけで夢にまで出てくるそうな。それもやはり「パチンコに行けない」なるストレスを「夢」で解消してるのでしょう。私なんか、パチンコなどほとんど行ったことないので、夢にも見たことはありません。定期的に見ると自覚してるのは、まずはエロい夢もありますが、旅の夢とか、セミナーしてるとことか、たまに怖い夢とか。でも、印象に残る夢を見るのは月に一回あるかどうか。だけど、パチンコとか何らかの「依存症」みたいな人は、何度も何度も見るそうですね。そして見るとまた行きたくなる。そして行ってしまう。「夢」ってそうやって現実世界にも働きかける効果があるようで、これを活用する願望実現法も世の中にはあります。つまり「見たい夢を自由に見るための方法」ってのがあって、この話は今日はしませんが、いずれにせよ「夢」と「現実」は無関係ではありえないのです。
パチンコの話では、ちょっと行かなくなるだけで、その「行きたい」って欲求(ストレス)が「夢」の中に現れるのですが、それは昨日も書いたように「ストレス処理」の反応の一つ。だけど、夢によって意識化されるので「行きたい」なる欲求は高まります。だけど、そこで我慢すること。するとまた夢を見ると思いますが、それもストレス処理反応だと意識して我慢。夢を見ることで確実に辞める方向に進んでいるから。そしていつしか、夢を見なくなったとき、ようやくと「依存症」から解放されるのです。私の場合、今は必要ないですが、いつかは何もせずともエロい夢を見なくなるのでしょうか。それはそれでいいと思っていますが。
そう言えば、話変わりますが、先日、面白い話を聞きました。正月に録画してた「すべらない話」ですが、バカリズムの話が非常に示唆に富むものでした。彼はある日、自分の家でふと尿意をもよおしたそうです。普通なら立ってトイレに行くのですが、その日はなぜか冒険したくなって、トイレに行かずにこのまま漏らしたらどうなるだろうか、、、と思ったそうです。とりあえず誰もいないし、ズボンは洗えばいいのでリスクもない。そしていざ、ズボンをはいて座ったままおしっこをしようと思ったのですが、なぜか出ないんだそうです。つまり、これは完全なる条件付け。幼少期から、おしっこはトイレでするものと躾けられてますから、そうじゃない場所でしようにも「身体(潜在意識)」が言うことをきかないのです。なので、躾ければ犬だってトイレでしか用を足さなくなります。だけど、物理的にしようと思えばできることなので、バカリズムはついに漏らしてしまった。その瞬間、禁を破った解放感から、何とも言えない快感が押し寄せてきたそうなのです。
もちろんそのあとはズボンを履きかえてきちんと洗ったのでしょうが、その翌日もまたその「快感」を味わいたくなって、やってみたそうです。確かに出にくくはあったけど、初日ほど抵抗もなく、ほどなくして出てきた。だけど、その分、快感も減っていて、そこでもう漏らすのはやめたそうです。本当の問題はここから起きます。それからしばらく、、、寝小便をしまくるようになったと。つまり「ズボンを履いたままおしっこをしてはならない」という条件付けを破ったせいで、無意識(潜在意識)もその条件を破る、つまり漏らしてもいいなる情報を受け入れるようになり、寝ているときに反応するようになってしまったのです。
この話は示唆に富みます。確かに寝小便は困りますが、いわゆる「条件付け」を意識的に破ってしまえば、文字通り、寝てても達成できるようになるのです。つまり、やってみたらそうでもないことがわかる。ズボンを履いたままのおしっこは確かに「禁止」の「条件付け」されてますが、それ以外にもいろんな「禁断」がありますよね。例えば、、、「炊きたてのご飯を踏む」、「お札を破く」、「全裸で外を歩く」など。これらは法的・道徳的にNGなことなので、正面からお勧めできることではありませんが、だけど一度やってみてもいいかと思います。ご飯を踏む金銭コストは数十円でしょうか。お札を破くのは最低千円、最大一万円。全裸歩きは見つからなければOK。この中で私がやったことあるのは一つもないですが、全裸で泳いだことはあります。一回はエジプトのダハブで。もう一回は沖縄の伊平屋島で。それはもう、気持ちがよかったです。いつかは高級ホテルのプライベートプールでやってみたいものですが、そこに泊まってる人はみんなやってるそうですね。それだけ解放感を味わえるし、いつかはヌーディストビーチにも行ってみたいです。エロい意味じゃなくて、すごい解放感だそうです。そう言えば昔、女同士でキャンプに行って、みんなで森の中を全裸で歩いたって話をした友達がいました。めちゃくちゃ気持ちよかったそうです。
それと、確か苫米地英人さんが「一万円札を破けるか」なる本を書いてましたね。読んでなかったので今、アマゾンで注文しました。一万円札なんて単なる「紙切れ」のはずなのに、いざ破ろうとすると手が止まりますよね。私もいつか挑戦してみたいとは思いますが、今はちょっと考えられないです。「ご飯を踏む」、「お札を破く」、「全裸で歩く」などは、社会的にはどれも「禁止」の「条件付け」を受けたことで、それを受けていない赤ちゃんは平気でやることでしょう。だから、親が「ダメ」と条件付けするのでしょうが、実はこのような例はほかにもたくさんあります。そうです。これはビリーフの話なんですよね。
バカリズムは「ズボンを履いたままおしっこをしてはいけない」なるビリーフを破ったことで、「寝ててもおしっこできる」なる願望を実現してしまった。現実的には何の得にもなりませんが、だけど、自分の中の一つの「禁止令」を解くことができたのは大きな収穫だと思います。結局、「ズボンのままおしっこするな」も「成功するな」もそれが「条件付け」である意味で同じこと。この「成功するな」なるビリーフは言うまでもなく「両親」の言葉によって植えつけられるのですが、それを破ってしまえばビリーフチェンジできる。では、どうすれば破れるのかと言うと、親の言うことをきかなければいいだけ。これは反抗しろとか、馬鹿にしろって意味じゃありません。多くの人は無意識に条件付けされた「親は絶対に正しい」なるベースのビリーフを持ってるのですが、それを覆すこと。私も親になってわかりますが、子どもに対して私は正しいか。そんなことわかりません。そもそも正しいかどうかなんて時代や文化によって違うことですし。だけど、少なくとも今の時代に安全に生きていくだけの知恵はあるつもり。それでもそれが「正しい」とは断定できません。正確に言うと、「親は部分的に便利な知識を持っていはいるけど、正しいかどうかはわからず不完全な存在」に過ぎません。まず、そのことをしっかり理解すること。
その上で自分にとって都合のよいビリーフへと書き換えればいい。「成功するな」なる禁止令があれば、「成功する」にすればいい。「結婚するな」なる禁止令があれば、「結婚する」にすればいい。その辺のプロセスはビリーフチェンジセラピーや今度のセミナー等でお見せしたいと思いますが、どっかで「禁断」に触れるのもまた、「自分の人生」を生きる上で大切なことがあります。なのでまずはいろいろやってみるのもいいかな。直接役には立たないけど、ご飯を踏んでもいいし、お札を破ってもいい。道徳的にはNGだけど、キレイごといいません。まずはやってみてはと思います。私も近々、、、試してみようかな。
で、そんな儀式によって何がどう変わるかわかりませんが、少なくとも必ず何かは変わります。自分の都合のいいように変わるかもわかりませんが、変わることは事実。禁を破れるのも事実。そしてそこに大きな「ストレスの解放」があるのもまた事実。もしそれらを実践してみたとき、、、果たしてどんな「夢」を見ることになるのか。実際、ビリーフチェンジセラピーやNLPセミナーを受けただけで、いつもと違う印象的な「夢」を見る話をよく聞きます。とりあえず見る「夢」に少し注目してみると何か面白い発見があるかもしれませんね。それでは今日はこの辺で。ありがとうございました。
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