霊の正体 2013.1.4

 三箇日が終わり、今日から始業ですね。ブログのタイトルにはいつも日付を付けているのですが、思わず「2012」としてしまうのは毎年のこと。だけど今年はなお一層、年が明けた実感がわきません。明日から「21日滝行」に入りますので、徐々にモードに入っていくかな。昨年は2月に「21日」をやりましたが、それ以外はすべて「7日」で済ませていました。実感としては「7日」と「21日」とはまったく別物です。「7日」はそろそろ身体が慣れて、今から本格的な「行」に入ろうとするときに終わりになるので、ちょっと拍子抜け。物足りない。「21日」はいろんな意味で負荷も大きいので、それなりの達成感はあります。特に冬場は。今年で9年目の冬越しとなりますが、この一番過酷な時期にやらずして一年は始まらない感じですね。そんなこともあり、1~2月はなるべく出張を入れないようにしてきました。

 ところで「滝行」と言うと、それを肯定的に評価する人がいる一方で、批判的な意見を持つ人も一定数はいます。ネットで「滝行 危険」などで検索すると、そのような意見が読めたりするのですが、その理由のほとんどが「霊」のからみのようです。つまり「よからぬ霊に憑依される」ことの危険性を唱えているのですが、さてどうでしょう。まず「よからぬ霊」とは何か。それがハッキリしません。その前に、以前、ミクシィ上でちょっとした意見交換があったのですが、ある「滝行者」の方が滝のあれこれを述べておられました。その方は肯定的な方には違いないのですが、その中に「真冬の滝行は心臓麻痺の危険性があるので、初心者はなるべく夏場に始めるとよい」と書かれていました。そこで私は質問しました。「心臓麻痺の危険性があると言いますが、実際に心臓麻痺になった人を何人ご存知ですか?」と。返事は頂けませんでしたが、おそらく一人もご存知ないと思います。

 今までやってきた経験から言うと、真冬の滝行で心臓麻痺になることは、特別な疾患でもない限りほとんど不可能だと思われます。もちろん指導者がいるという前提での話。サウナに入って体温が上がった状態でいきなり氷点下の滝に入ると、確かに心臓麻痺とかなりそうですが、そんなことを許す指導者はまずいないし、サウナ併設の滝場も知りません。滝に入る前は夏であれ冬であれ、しっかり準備体操を行います。そして何度も身体に水をかけて、さらに入る直前も心臓の遠い右手右足から滝にひたし、そして左手左足を十分に水に馴らしてから入っていきます。つまり、何の準備もせずにいきなり入ることは絶対にありません。ただ、そのミクシィの書き込みが「危険」だと感じたのは、「初心者はなるべく夏場に始めるとよい」との記述。身体の負荷の面では確かに夏がいいでしょう。だけど、それは「夏は冬よりも安全」を意味するのではなく、むしろ逆だと思われるから。なぜなら、真冬は寒いは寒いですが、外気と水温の差はそこまで大きくないのに対して、夏は外気と水温の差は思ったより激しいからです。夏の暑い時期、気持ちがいいと思って油断していきなり滝に入ると、そっちの方が心臓麻痺の危険性があると思います。だけど、導師も言われてましたが、長年、滝行の指導をしてきて、心臓麻痺になった人は一人もいないとのこと。つまり、そのミクシィの書き込みの一番危険な点は、「経験もないことを、さも事実のように記述してること」に尽きるのです。ビジネスでもなんでも、推測で人を指導するほど危険なことはありません。まして滝行は身体に直接影響があることなので、憶測や類推で断定するのはものすごく危険なことなのです。

霊の正体 2013.1.4_b0002156_17275897.jpg 話を戻しますが、滝行すると「よからぬ霊」に憑依される点について。私は9年間やって、恐らく回数では千回は超えてると思うのですが、「よからぬ霊」が憑依した実感はありません。そして今まで何人も滝に入るのを見てきましたが、そのような人を一人も見たことがありません。だからこそ知りたい。実際に滝行をして「よからぬ霊」に憑依された人の実際の話を。なんとなく雰囲気的に滝場には「霊」っぽい存在がありそうですが、そもそもは単なる滝であり、上から下に水が流れている現象に過ぎません。人は昔ら「水」と親しんできましたが、その意味では、川や海で泳ぐのも、魚とりをするのも、そして滝行をするのも、本質的な違いはありません。もし滝に「霊」がいると言うなら、川にだって海にだって、そしてその辺にだっているし、目の前にもいるかもしれません。しかし、そもそも「霊」とは何か。「霊」の正体は。

 私はこのことに関して、明確な意見を持っています。「霊」とは「感覚」のこと。もし、寝不足とか、仕事のしすぎとか、または人間関係とかで、かなりの「疲れ」を感じていたとしましょう。その「疲れ」の感覚が「霊」です。よく「生霊を飛ばす」って言い方を聞きますが、苦手な人のことを考えたら、確かに具合は悪くなりますよね。そこで、ちょっとスピリチュアルとかに関心のある人は、「あの人から怨念を飛ばされた」とか言いますが、「あの人」は飛ばしてませんって。例えば、私のことを嫌いな人がいたとしましょう。そして私のことを考えたり、またはこのブログを開いただけで、気分が悪くなることは考えられますが、私は今まで誰に対しても「怨念」を飛ばしたことはありません。そもそも飛ばし方さえ知りません。だけど、一方でこのブログを開くと気分がよくなるって話も聞いたことはあります。それはその人が単にこのブログを好きで読んでいるだけで、そこには何ら霊的な意味はありません。

 良しにつけ、悪しきにつけ、人は絶えず何らかの「感覚」を持ちながら生きています。そして生活していると、何かとストレスを受けることがありますが、それが過剰になったとき、その「感覚」が気になり始めます。単純にストレスと言えばそれでいいのですが、その原因がわからなかったりすると、人はどうにかして理由を探し出そうとします。そんなとき、目に見えない情報とか存在ってのは、すごくピタっとハマるのです。めちゃくちゃ大きなストレスがあって、その原因は単に仕事場に苦手な人がいるからだけであっても、その人が「生霊」を飛ばしてると言えば、それを信じたくなる人もいるのです。そこで「生霊」を憑依されないための除霊的なワークをする霊能者や拝み屋なる存在はいますが、やってることはNLPでいうサブモダリティチェンジに過ぎなかったりします。

 例とは感覚。感覚を分散化すると、それはサブモダリティ(五感の質感・クオリア)と呼ばれるものになります。それをNLP的にチェンジすると、すっきりして当然です。ただし、一時的なことが多いので、元に戻るとまたその霊能者にリピートして散財することになるのです。NLP創設者の一人であるリチャード・バンドラーはずっと前からシャーマン的なサイキック能力の研究をしてきたと聞くし、日本のNLP第一人者である北岡氏なども、目指していることはNLPとサイキックの融合だったりします。つまり、研ぎ澄まされたNLPワークは、そのまんまサイキックワークであり、つまり霊能力につながります。実はあまり大きな声では言いませんが、私は「除霊」ができます。おそらくその辺の職業霊能者よりも除霊の力は強いと思います。

 かなり前の話ですが、、、滝行を始めて一年目だったか、つまり会社を辞めた当時のことですが、サイキックパワーの開発に興味を持っている時期がありました。その頃、ヒーリングもやってましたし、マントラもよく使っていました。そしてその効果は自分で言うのもなんですが、それなりに高いと思います。ブログの過去記事を探せばまだあると思いますが、私がブログ上で「一斉ヒーリング」をする写真があると思います。単にカメラに向かって手かざししてる写真を貼り付けただけですが。後日、その写真を見たハワイのヒーラーさんからメールを頂きました。その写真を見ただけで、ある病気が治ったとか言われるのです。それを聞いて、私もその気になったりしましたが、そのカラクリは簡単。そのヒーラーさんは私のブログの愛読者だったから、「自分が好きなブログの著者のヒーリングは効かないはずがない」と自己了解してるだけのこと。私のことが嫌いだったら、決してそんなことはないでしょう。

 もう一つ暴露します。スピリチャル業界では知る人ぞ知るSKさんという男性がいます。私のブログにも2年ほど前登場してるので、探せばどなたかすぐにわかるでしょう。そのSKさんから直接聞いた話ですが、彼の仲間の一人にヒーラーの女性がいました。とりあえず完全に匿名でXさんとしておきましょう。Xさんはしばしば「遠隔ヒーリング」なるイベントをしていました。それも有料で、いくらか忘れましたが3,000円くらい取ってたと思います。ある日、そのXさんの「遠隔ヒーリング」の時間、SKさんとXさんは飲んでたそうです。夜の9時からのヒーリングとして、その案内はメールで発送済み。だけど、Xさんはそのことをすっかり忘れてて、一通のメールで思い出します。そのメールとは「Xさん、ヒーリング頂きました!すごくいい気分です!ありがとうございました!」なる内容。Xさんはハッとなったのですが、次に出た言葉が「うん、届いてる」、と。SKさんは「えー!」と内心思ったそうですが、当然ですよね。3,000円の遠隔ヒーリングに100名が受けていたとしたら、確かにそのマーケティング力はすごいと思いますが、忘れてても30万円が転がり込むのですからボロい商売です。だけど、所詮、そんなもの。それでも受けた人は実際に「いい気分」になってるのだから、どちらにも罪はありません。もっとも、その時間に飲んでいたことを知られるとマズいことになるでしょうが、それでも信者は「それでも届いてるんだ!すごい!」ってなるんでしょうね。

 ようは、私のヒーリングの写真なり、Xさんの詐欺ヒーリングであり、受け手が満足すればそれで成立するんです。それがスピリチュアル業界の真実(の一側面)。その時、受け手に何が起こってるかと言うと、まさにそれが「感覚」の変容、つまりサブモダリティチェンジなのです。そのような変化を起こすには、直接的なパワーと言うより、それを支える「物語」があればいい。もっと言うと、その「物語」はウソでもいい。ネット上に顔も名前も素性も一切出さず、例えば「霊との交信」のような記事を、いろんな本を参考に書くだけで、ある程度の文章力があればそれなりの「物語」ができてしまいます。そんな「物語」の背景がある人がヒーリングなどしたら、、、居酒屋で飲んでいても、それなりに効くのです。

 だから言いましょう。私が「滝行」してるのも、一つの「物語」づくりには役立ってるかも知れませんが、それ自体、何の霊的パワーとも関係ありません。もちろん続ける力とか、滝行によるリラックスとか、やればやってるだけの効果はありますが、「霊」とは一切関係ありません。だから、そこには「物語」もありません。こんなこと書くと、私に何らかの目に見えないパワーを期待している人には失望かもしれませんが、今さらそんな人もほとんどいないだろうし、いたとしてもすいません。失望してください。「滝行」の話に戻しますが、もしそれで何らかの「憑依」のような感覚があれば、それぞまさに「物語」の作用であって、その本質はストレスに他なりません。誰だって冷たい水をいきなり浴びるとビックリするでしょ。そのビックリが血管の収縮をもたらして、身体に大きなストレスが生じれば確かに苦しいでしょう。吐き気だってありますよ。だけど、もう一度言いますが、それはいわゆる実体としての「霊」とは関係なく、そもそも実体としての「霊」など存在しないし、あるとすれば、それは「物語」が作ったものに過ぎません。そのような「物語」を持たない人、例えば私のような人間には、「霊」は存在しないのです。

 私が「滝行」をする理由は、それがライフワークだからでもありますが、もっと詳しく言うと、「ストレス下でリラックスするトレーニング」となります。そしてその本質は「呼吸」にあります。滝行で一番苦しいのは、寒さや冷たさではなく、呼吸の苦しさ。それは水が口に入るとかじゃなくて(実際には入らない)、緊張状態が無意識に呼吸を止めてしまうから。そこで意識的に深い呼吸を取れば自然と身体がリラックスしてきます。滝行に限らず、仕事でも人間関係でも、人は何かとストレス下に置かれることが多いですが、そのとき、呼吸に意識を向けてください。例外なく止まってますから。私は「滝行」でリラックスの訓練をしていますが、そうじゃない人は、普段の生活のストレス下でリラックスの訓練をすればいいと思います。ポイントは呼吸です。

 そんなとこでしょうか。あ、そうそう、もう一つ面白い話をしましょう。棚田克彦さんの「プロセラピスト養成講座」のテキストの中に「存在否定のビリーフセッションをすると、霊的能力を失う可能性がある」との記述があります。ですので、もしも霊能者みたいな人が「生きにくいんです・・・」みたいなテーマでセッションに来たら、「霊能力を失う可能性がありますよ」と断っておきましょうって話になるのですが、面白い話ではあれ、これは不思議でもなんでもない。「霊」とは「感覚」のこと。とりわけ「嫌な感覚」のことを霊と呼ぶことが多いようですが、「存在否定」のビリーフがあれば、生きてるだけで「嫌な感覚」だらけです。その極めて強い「嫌な感覚」に対して、視覚優位の人は姿として霊が見えるし、聴覚優位の人は声が聞こえる。体感覚優位の人は文字通り身体で感じます。普通は「目に見えるほどの嫌な感覚」まではなかなかないですが、「存在否定」のビリーフが強ければそんなことは大いにあるでしょう。そこでビリーフセッションなどしてしまえば、「存在否定」が取り除かれ、「嫌な感覚」まで消えてしまうじゃないですか。つまり、「霊」が見えなくなる。感じなくなる。

 と言うことで、明日から滝行に入りますが、私の目的はとことんリラックスすることであって、だからこそフリーランスであるプレッシャー(ストレス)にも負けないでいられると思います。実際、私などIQは低いし、仕事もできない人間です。それでも何とかなってるのは、やっぱり「ストレス」への耐性を普段から身に着けているからだと思います。その手段がたまたま「滝行」なだけ。それでは明日から頑張ります。ありがとうございました。

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by katamich | 2013-01-04 23:39 | ■精神世界 | Comments(0)