オレの魚釣り 2013.1.2
2013年 01月 02日
我が家にとっての正月は先月の大阪帰省ですべて済ませてきた感じで、今年はただダラダラしているだけ。それが正月と言えばそうですが、年始の「目標」はしっかりと立てました。ただ、例年よりは力が抜けてる感はあります。私自身、いわゆる「物欲」と呼ばれるものがあまりないので、余計な買い物とかはほとんどしませんし、ブランド物なんかにも興味がありません。昔は「一億稼ぐぞ!」とか力んでることもありましたが、最近は今よりももうちょっと収入があればいいかな程度の感じ。その「もうちょっと」と言っても、個人事業でやってるので年商2000万円は欲しいかな、と言ったところでしょうか。そのうち3000万円もあれば十分だし、このまま進めば行けそうな気もします。
例えばもし今、10億円を自由に使っていいと言われたら何に使うでしょうか。それくらいあれば一生働かなくても食っていけるし、しかもそれなりに贅沢だってできちゃいます。本格的な宇宙旅行はまだ難しいけど、ヴァージンアトランティックが募集しているちょっとした旅行なら可能。2000万円で大気圏外に行く程度ですが、10億あれば楽勝でしょう。あとは、世界中の行きたいところに行く。そして勉強する。それくらいかな。高級車とか別荘とかも興味ないし、セレブな社交界に進出しようとも思わない。結局、俺は漁師でいいのかな。つまり、次の有名な寓話のような。
メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。
その魚はなんとも生きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねた。
すると漁師は
「そんなに長い時間じゃないよ」
と答えた。旅行者が
「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
と言うと、
漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」
と旅行者が聞くと、漁師は、
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、
女房とシエスタして。 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、
歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」
すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、
きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、
漁をするべきだ。 それであまった魚は売る。
お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。
その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。
そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。
自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。
その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、
ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。
きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」
漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」
と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、
日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、
子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、
夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、
歌をうたって過ごすんだ。 どうだい。すばらしいだろう」
ふと思うと、、、オレ、このままやん、、、と思うことがあります。毎日ブログ書いて、本読んで、しゃべって、滝に打たれて、ときどき出張という名の旅行に出かけ、さらに年に数回、本当の旅行に出かけ。セミナーやツアーなんかも、まずは自分が楽しいからやってるだけ。どんなに人から喜ばれても、自分が楽しくなければやらないし、逆に人から嫌われても自分が楽しかったらやるだけ。今は幸いにも、自分が楽しいと思うことと、他人が楽しいと思うことがある程度一致しているので不都合は起きてないですが、仕事って究極、こんなもんなのでしょう。
だけど、年に数回は、自分に負荷を与えてガンガン頑張るときもある。自分でもその勢いに驚くことがあって、この状態が365日続けば孫正義を抜くぜ!とまでは思わないけども、それに迫る勢いのこともあります。だけど、その頑張りたい時期もまた、自分で楽しんでやってるのだから、結局、楽しいことしかしてません。今年はさっそく1月5日から26日まで「21日滝行」をやる予定ですが、その間はちょっと頑張ってみようかと思っています。朝5時に起きて滝に行って写経。それから執筆、執筆、執筆。ビジネスの仕掛け。企画。営業なども。ただ、何度も言うけども、それもまた私にとっては魚釣りのようなもの。楽しいからやってるだけだもんね。
結局、私にとって譲れないものがあるとすれば、家族の幸せは基本中の基本だけども、最終的には「感動」ってことになるのかな。何のために生きているのか。感動するため。その意味じゃあ、来月2日3日は熱海合宿で24名もの方々と交流できること、これは大きな感動につながります。夜中にお酒飲みながら、人生に関する「ええ話」をする。それで胸を熱くする。今年もやりますが、昨年ならば3月の沖縄ツアーもめちゃくちゃな感動がありました。あまり人を神格化するのは好きじゃないけども、久高島の神人と呼ばれる女性は、、、そこにただいるだけで何とも言えない安らぎと感動があったものです。そしてあの場所。今年はアイルランドにも行くし、セミナーなどでも出没する機会は多いと思いますが、最終的な目的は「感動の共有」にあることは間違いない。私がセミナーで提供するコンテンツは、大きくは「変化」を促すことにあるのでしょうが、「最も大きな変化は感動を伴わずしては不可能」だと考えています。
何度も言うように「潜在意識」は「変化」を嫌い抑制します。そして「潜在意識」は身体であり感覚、感情のこと。そこで「感動」とは何か。まさに鳥肌が立ち、涙が出て、全身が震えるような「感(=潜在意識)」が動くことに真髄があるのです。ビリーフチェンジのセッションなども、そこで多くの人が涙を流し、何らかの変化が起こるのは、大きな意味で「感動」となるのでしょう。だからやっぱりそう。感動することしかしない。独立してからずっとその気持ちでいたし、今はさらにその思いも強くなっています。私にとっての「魚釣り」とはまさに「感動」を得るためだけのこと。一億稼ごうが「感動」がなければ意味がない。今はまだまだ稼ぎも十分じゃないかもしれないけど、日々、感動があるのは事実。だけど、2000万から3000万くらいあれば、もっと感動できそうな気がするので、そこまでは数字を重ねてみようと思います。そのプロセスもまた感動が得られそうだしね。
そんなとこで、今年もガンガンに「感動」を求めて、そして心震わせ、涙を流しながら過ごしていこうと思います。ありがとうございました。
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