2012年12月21日の過ごし方 2012.12.21
2012年 12月 21日
そしてついにこの日がやってきました。2012年12月21日。正直に告白すると、今日は一日、とても「無気力」に過ごしました。2012年に入って、ここまで無気力だったのは初めてかも。今年のセミナーはすべて終わったし、楽しみにしていた飲み会も終わった。いつも「楽しいこと」を楽しみに生きているからか、それらがとりあえず終わった今、とても無気力でした。昨日の飲み会でラブラブビームを出しまくっていた人たちは、これからクリスマスとかお正月とかいろんなイベントがあって羨ましいなあ。あ、そうか。私はこの後一週間、滝行を残しているのでした。ただ、滝行って限りなくブルーなんですよね。だけどやらずにいるのはもっとブルー。記念すべき2012年の有終の美を飾るためにも、最後の「滝行」はしっかり満行しましょう。初日から雪が降るらしいので、ますますブルーですね。
そんなわけで、今日は一日、無気力に過ごしたのですが、これはもしかしたらアセンションの兆候か、、、と思うことはなく、ただ単に寝不足、疲れ、二日酔いだっただけでしょう。その一方で、これから先、「アセンション」なる言葉がほとんど使われなくなることに一抹の寂しさもあり。もっとも、私などはとっくに無関係でいたつもりだったのですが、周辺のブロガーさんとか講演家の皆さんの中には、まさにこの「一大イベント」に向けて進めてきた人もいるでしょうから、いろいろと寂しくなるな~って気持ちもあります。私がこの2012年のことを初めて知ったのは2004年3月だったのですが、元を辿れば、1999年の「大予言」の騒動が落ち着いて、何か「仕掛け」をしたいと思っていたオーストラリアだったかのスピリチュアルプロモーター(主婦の説あり)が、「マヤ歴終焉」に目を付けて「作った話」だったのです。それに付随して「フォトンベルト」だとか「ニビル」だとかが出てきて、しかも一時的にせよNASAが発表したなどのデマが広がったりして、「2012年12月」が大きくクローズアップされたわけです。それがちょうど2003年~2004年の頃だと言うので、私が食いついた時期に当てはまりますね。その当時はまだほとんど知られておらず、当時の私は「周りが知らないことを知っている」などと優越感に浸る材料となってて、そっから関心持ちだしたのもまた事実。
今日はテレビで「マヤ歴終焉」のニュースを見たけども、驚くほどに盛り上がっていない。この話は今日で終わりでしょうか。ただ、外国ではそれなりに盛り上がってる地域もあるようで、ロシアなどは人類滅亡に備えて食糧備蓄する人も多かったとか。共産主義時代の名残でしょうか。政府が大きいと、いきなり何言いだすかわからない。今、安倍政権に移ろうとして、どちらかと言うと「大きな政府路線」なのですが、文革時代や北朝鮮に比べるとまだまだ小さい。政府の役割は究極的には国民の「生命」と「財産」を守ること。前者は警察と国防。後者は各制度。それが過剰になりすぎると共産主義のように人々の「自由」に制限をかけるようになる。言うまでもなく、「自由」は人間が生来持っている基本的な生き方のこと。それを政府が侵害することがあってはならないけど、だけど、生命と財産を守る使命がある。つまりバランス。イデオロギーが立ちすぎるとそのバランスを損なうようになるけど、そこはやはり国民一人ひとりが賢くならないとですね。
ちなみに私は2009年の選挙は民主党に入れましたが、いろいろ叩かれた政権であったものの、結果的にはよかったと思っています。確かに震災など大変なことがありましたが、もし、ずっと自民党だったら、それはもう鬼の首取ったように責めまくるでしょうね。特に原発問題など。そんなとき、「じゃあ、やってみろ!」って気持ちになるところ、すでにその立場だったからやるしかない。だけど、結局はできなかった。自民党ならやったかと言うと、それも難しい。もし2009年に政権交代ならなくても、次の選挙で自民党は間違いなく負けていた。ようは、一度は政権を受け渡してみる必要があり、それが早いか遅いかの違いだけだったのです。だとすれば、今の状況見たら早い方がよくて、ようやくとちょっとは「マシ」な状況に戻っただけのこと。2013年の流行語大賞は「アベノミクス」で決まったようなものですが、願わくば表彰式に安倍総理が来るような状況であればいいですね。「アベノミクス」が成功すれば来るだろうし、失敗すれば来ない。
ご存知と思いますが、「アベノミクス」とはレーガン政権がやった「レーガノミクス」に由来する言葉。今までの自民党、橋本、小泉のときは緊縮財政で政府の赤字を減らすことにプライオリティが置かれ、その代わりに民間投資による経済の活性化を主としたもの。ただ、これまでの日本経済を支えてきた家電メーカーを見てもわかる通り、今の日本企業に大胆に「需要」を喚起するだけの製品は登場していません。スマホ連動の洗濯機など作ってどうするのか。家電など10年は寿命があるのに、今のスマホのOSがそこまで続くとは考えられない。そんなこともわからないくらい、日本のメーカーは創造力を失っており、日本が守ってきた「ガラパコス」でさえもアップルやサムソンに崩されようとしている。今の日本に必要なのは「ジョブズ」のような人材なんでしょうが、それを待つのと、日本経済が崩壊するのとどちらが先か。結局のところ、日本経済の崩壊を防ぎながらジョブズを待つしかない。その「崩壊防止」を実行するのが「アベノミクス」であって、骨子は大胆な金融緩和と公共投資。確かに財政赤字は増えるでしょうが、日本がギリシャのようになることはないでしょ。普通に考えたら、日本がギリシャ化したら世界経済が傾くことで、そうなる前に世界が手を打ってくるけど、その前に日本だってどうにかする。でも、ギリシャ化を心配する前に、日本国民の雇用対策、安全保障をしっかり考えるべき。今回の選挙結果、それも予想以上の「大勝」による政権奪回は、その辺の民意の現れだとは感じます。
とにかく飯食えないとね。アセンションだなんだと言っても、飯食えないことには。その意味でも、今回の選挙、それも2012年12月と言う、ある意味象徴的な時期に「飯食わす政権」が取ったのは、ロマンは乏しいけども一つの明確な「意思」を感じさせます。民主党は共産党ほどでないにせよ、かなりの理想主義。自民党対民主党とは、つまり「現実対理想」のこと。これはこれで必要なことだけど、2009年に一度は「理想」を見て、だけど「現実」的には届かなかった。そこでとりあえずもう一度「現実」に戻ってやり直そうか。単純にその時期なだけ。おそらくは今回、5,000年に一度と言われる「アセンション」が日本ではほとんど不発に終わったのは、それだけ国民の「地に足着けて頑張りましょう」って意思の表れなのかもしれません。もしも今の時期。アセンションで盛り上がっていたとすれば、現実さえも捨ててしまった末期の状態とも言えるでしょうから、その意味でもまだまだ日本は健在だと思うのです。
だけどその一方で、「理想」を追うことも人類の発展においては重要。いや、個人においても「理想」がなければ楽しくない。そして私は、、、これからもとことん「理想」を追ってみようと思うのです。まずは自分自身の「夢」の実現。今はとりあえず著書が10万部を突破すること。何とも夢のない夢ですが、それでもまずは実現してみたい。自分が今後、どこまでできるのか、そんな「理想」をまずは実現するには、「数字」があるとわかりやすい。他にもいろんな「理想」はあるけども、「現実」は現実として、これからも「理想」をどんどん追っていける自分でいたいし、そんな人たちと楽しくやっていければと思うのです。昨日の忘年会には伊藤哲哉さんも来られたのですが、来年の抱負は「ぼろ儲け」だそうで、そんな気持ちを多くの人が持てれば、それだけでも日本は安泰だと思うのです。表現の仕方はいろいろあるでしょうが、自分の可能性に制限を設けず、思ったことをどんどんやっていける自分になる。私ももちろんガンガンやっていこうと思います。そんなことを改めて確認できる、5,000年に一度の大みそかでした。これからもどうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
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