滝行で感情処理 2012.12.7
2012年 12月 07日
今年もざっと振り返ってみたら、本当にたくさんの出会いがありました。今、頭の中でさくっと計算してみたところ、私のセミナー・ツアーにご参加頂いた方だけでも、のべで千人以上いらっしゃいます。実数になるとその3分の2くらいでしょうし、大人数の講演なども入っているので、直接の交流となるとさらに限られます。そしてさらに絞ったところで30名近くの方とは今年出会ったばかりなのが信じられないほどに、密に交流させて頂いています、これからもこのようなお付き合いが続くとともに、来年もまたたくさんの出会いがあると思うと、本当にワクワクします。ま、今年最大の出会いは「たくちゃん」と出会いですけどね!
さて、今日も滝に打たれてきました。今日で10日目。本当は21日間をやりたかったのだけど、来週から大阪・名古屋なので、それを挟んで今年最後の週に一週間の行をして、年間100日の達成となります。今朝の気温は4度。これが真冬の標準で暖かい日で10度前後、雪が降ると0度までなりますが、氷点下にまでなることは滅多にはありません。ただ、体感的には4度くらいが一番きつい。まだ雪が降ってないのでマシな方ですが、これが雪解け水になると文字通り凍り付くような境地になります。実際に雪が降っている状態だと、外気と水温の差が小さい分、かえって暖かく感じることもありますが、雪解け水は外気が4度くらいに対して、水温は限りなく0度ですから、その冷たさたるや。なので、日曜日くらいに雪が降って、その後、3日くらいがクライマックスとなるでしょう。その、一番冷たい瞬間が終わればそれで満行。翌日から大阪に行きます。家族で。たくちゃんにとっては初めての遠出になります。
そう言えば今日も滝に打たれている途中、ふいに感情がこみ上げてきました。ここ数年は肩こりこそないものの、いわゆる「心のコリ」が完全にはなくなっておらず、身体、つまり潜在意識に負荷がかかると、不意に忘れていた感情が蘇ることがあります。もっとも、「心のコリ」が完全になくなることなど死ぬまでないわけで、ま、その程度問題ではあるのでしょうが、忘れていた感情が蘇る瞬間も悪いものじゃないですね。ああ、オレにもまだこんな悲しい気持ちが残っていたのか、、、みたいな。ただ、その感情が具体的にどこに結びついているかはわかりませんが、わからなくてもいいのでしょう。
ビリーフチェンジのセラピーでは、しばしば、と言うかほぼ必ず「感情処理」を行います。ビリーフってのは、見たところ「感情」を封じ込めることで固定化されているようで、文字通りにチェンジさせるには、その封じ込めた「感情」を解放する必要があります。ただ、この際の「感情処理」とは実は「心理学」ではなくて、純粋な「生体学」になります。つまり「感情処理」はメンタルではなくフィジカルなのです。なので、例えば「怒り」を処理する際、丸めた新聞バットでイスを叩いてもらったりすることがあるのですが、これまた見られた人はご存じのように、驚くほど叩けません。なぜでしょうか。新聞丸めて叩くなんて、簡単そうじゃないですか。
そのとき、こう言った方がいらっしゃいました。「感情が入らないので叩けません」、と。いやいや、実は感情が入っているから叩けないのです。「怒り」の反応はメンタルではなくフィジカルなもの。フィジカルとは身体であり感覚であり感情であり潜在意識のこと。潜在意識が「怒り」を出すことにブレーキをかけているから叩けないのです。先日のグループセッションでも、イスがかわいそうで叩けません、、、と言われた方がいらっしゃいましたが、その方もやはり「怒り」を出すことが苦手のようでした。
ですので、「叩けない」つまり「怒りを出せない」と言われたとき、「怒り」そのものを思い出すよりも、まずは「叩く真似」をしてもらいます。右手を挙げて、そのまま垂直に振り下ろしてみてください、、、みたいな、何のリハビリかと思うようなガイドをしながら。そうなんです。「怒り」を出せない人は、ここまでガイドをしないとまともに叩けないものなのです。そして何度かガイドをして、ようやく身体がほぐれて叩けるようになったら、あと数回叩いてもらいます。スッキリする人もいればスッキリしない人もいる。それはそれでいい。だけど、身体を動かすことで体内に溜まった余分なエネルギーが出ていることは確かなので、そこでようやくとビリーフチェンジ、再決断の準備が出来たことになります。
ちなみに新聞で叩くってのは、「怒り」のエネルギーを出すための手段の一つであって、もちろん他にもありますし、「悲しみ」や「恐れ」に関しては別の方法があります。いずれにせよ「ビリーフ(思い込み)」ってのは、それは「頭」にあるのではなく、完全に「身体」にあるものなので、ビリーフチェンジでは身体、感覚、感情が極めて重要となるのです。逆に言うと、身体、感覚、感情を刺激すると、コリ固まったビリーフが噴出することになり、私の場合は「滝行」でそれを処理しているわけです。
思えば2005年5月のラダックの丘の上でのこと。デリーで殴られてお金取られて逃げるようにラダックに飛び、標高3500メートルの空気の薄い土地でひたすら般若心経を唱えたこと。その820巻目に大量の涙が出て、それが出きったときに、「あ~、そうだったのか!大丈夫なんだ!」と悟りを啓いたって話は何度もしたと思いますが、あれも今思えば、極めて純度の高い「感情処理」の一種だったのかもしれません。人は生きていると、「大丈夫じゃない」ってビリーフに汚染されます。私だって子どもに対しては、駐車場では「おてて!」と言って、車の危険を知らせるのですが、それも仕方ないとは言え「大丈夫じゃない」って汚染とも言えます。だけどそうしないともっと危険なので致し方なし。程度の差こそあれ、生きているととかく「大丈夫じゃない」ってビリーフの汚染にさらされます。
私が子どもに対して強く「おてて!」と言うと、それは子どもにとっては一種の恐怖でしょう。駐車場では手をつながなければお父さんから怒られる。車が危険だから手をつなぐのではなく、お父さんから怒られるから手をつなぐ。この「恐怖」の感情とともに「世の中は大丈夫じゃない」なるビリーフが固定化されるのです。
ただ、言うまでもなく「おてて!」は大切です。危険を植え付ける汚染だと言われても、そうしなければもっと危険なのだから。ただ、それも程度問題。極端な話、ブランコや滑り台、さらに友達と遊ぶこと自体に対しても危険を汚染する親もいないわけではない。また、いい大学行って、いい企業に就職しないと世の中は危険だと言われ続けたら、やっぱりそれがビリーフになるでしょう。私の場合、そこまであからさまには言われなかったものの、父親は教員なので勤め人。なのに私はあのとき、勤め人を離れようとしていた。果たして大丈夫なのだろうか。「サラリーマン出ないと危険」ってビリーフを持つ人も少なくないでしょうが、私にもそれがありました。
だけど、それは言うまでもなく「事実」ではなく単なる「思い込み」です。それでもその「思い込み(ビリーフ)」は例えば「恐怖」の感情とともに固定化されしまっている。それを解除するには、極めて純度の高い「感情処理」が必要となり、私はあの丘の上で、知らず知らずにやっていたのかもしれません。そして大量の涙とともに、一気に感情が噴出した瞬間、悟ったのです。大丈夫だ、と。あれから7年半が過ぎましたが、いまだにサラリーマンはやっていません。とりあえず大丈夫だったのでしょう。
私の場合はラダックの丘の上で「感情処理」をして、潜在意識の情報を解放。心のコリをほぐしました。その後、加賀田晃DVDを見ることでビリーフチェンジ。つながってると言えばつながっていますね。私はそうやって天然でチェンジしたのでしょうが、ま、偶然のようなもの。それを偶然でなく、短期間で再現させるのがビリーフチェンジセラピーです。やっぱり私はこれをするようになっていたのでしょうか。
そして今もなお、滝行によって自分の「感情」と向き合っている。まさに滝行セラピーです。そしてしばしば滝に打たれながら感情が噴出することがあり、それで私は感情処理が出来ているのかもしれません。そう考えると、やはりいろいろつながっていますね。てなわけで、来週14日は大阪セミナーで、その次の土日は大阪と名古屋でビリーフチェンジセッションです。それまで私は私で滝に打たれて自らの問題と向き合っていようと思います。この週末は雪。その後は雪解け水の最もつらい滝行が待っている。かかってこいや!
そんなとこで、今日はこの辺で。ありがとうございました。
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