よい子はクソ 2012.11.17
2012年 11月 17日
今日は「プロセラピスト養成講座」の7日目。ちょうど一カ月ぶり。朝一番で他の受講生から言われたのが「レポート読みましたよ。よく整理されてますよね」ってことで、九州ベンチャー大学での棚田先生の講義に関するブログ記事のことなんだろう。そう言われた私の反応は「は~?」でしかない。オレはレポートなどしたことないし、整理もするはずない。ブログに書くことは、何かを材料にすることはあるけど、あくまでオレの哲学であり思想。材料がセミナーのこともあれば、旅とか、音楽とか、時事問題のこともあるだけ。第一オレはセミナー中に取るメモは、あとで調べたい言葉と覚えておきたい知識とヒラメキのみ。ブログ書くのも、印象に残ったことについてオレのフィルターを通して独断偏見だらけに表現するだけのこと。あれが「レポート」と言うなら、間違いなく落第点。だけど、レポートは落第しても、面白く刺激的な文章が書ければそれでいい。平均点の文章
などオレにとっては存在しないも同じ。読む価値なし。
・・・なんて、私はよくとんがるわけですよ。書かなくていいことを勢いで書いて、あとから大ひんしゅくなどしばしば。内容証明一歩手前もあり。つい一か月ほど前も、かなり前の知り合いのことをdisったら、まさか読んでるとは知らずに抗議のメール。確かに落ち度はオレにあったので、その個所は素直に削除したけど、調子に乗って「ブログに謝罪文を掲載しろ」とか言ってきたので、電話して「調子乗んなよ!ぼけ!」とは言わないけど、「するわけねーだろ」くらいは言って関係悪化。ま、とっくの昔に途切れたと思ってたので、別にいいのだけど。
で、何が言いたいのかと言うと、こうやってすぐにとんがる性格、そろそろどうにかしたいと思うわけですよ。ほんと、つくづく自分の性格の悪さにはあきれることもあって、「レポートよかったですよ」って言われたら、素直に「ありがとう」と言っておけばいいものを、「は~?」とか言って素直に噛みつく。素直やん、オレ。
だけどいい加減、子どももいるのだし、もっと大人になって、人から応援されるようなビジネスマンになりたいとも思うわけよ。ぶっちゃけ言うと、オレって集客はほとんど単独。ぼっち。それでも何とか満員にするので、どっかで「すごいだろ~」と思うところもあるけど、いい加減疲れるところもある。集客に限らず、もっと上手くビジネスをするには、やっぱり人から応援される方がいい。こんなこと書くとまた「石田さんのこと、応援してるのに・・・」と変な誤解されたり、さらには「感謝が足りない」とか言われたこともある。すいませんねえ、それは。
そんでまあ、こんな性格だから、応援されないだけじゃなくて、すぐに他人をdisったり、他人の成功を素直に喜べなかったりする。別に「いい子」になろうとも思わないけど、もっと肩の力を抜いて、人の成功を「よかったね~」って心から喜べるようになりたいとも思うのよ。だって、疲れるもん。他人のこと素直に喜んで応援していると、自然と自分にも返ってくるもの。それは理屈としても、そして経験的にも知っている。わかっちゃいるんだけど、、、このひねくれた性格はどっから来るねん、、、と思って、実は夕方、それをカミングアウトしてしまいました。
一日の講義が終わると、あとは時間の許す限り棚田先生が個人セッションをされます。で、突然、猛烈に次はオレの順番だって直感が降りてきて、隣の人にもそう明言。すると本当に私の番になって、つくづく自分の直感の鋭さに鳥肌。ただ、そう思ったのは、私がセッションを受ける準備が30分前にできたから。つまり、ようやくとセッションの「テーマ」が決まったのです。
テーマは今言った通り、「素直に人の成功を喜べる人間になりたい」ってことだけど、本当の意図は「素直に喜べない自分の性格の源流を知りたい」ってこと。最初はにこやかにセッションがスタートしたのですが、突然、「ファミリーコンステレーション」って技法に入ったのです。これは何度か見てきたけど、よくわからない。なので、「これ、違うんだよ~」とか思いながら、棚田先生のファシリテーションに任せることに。
この技法は、一つの空間内に、受講生の中から自分の家族成員を選び出し、しっくりくるように配置することで、家族システムからくる問題のもつれを探るもの。細かい話はともかく、、、最後、私はなんと、皆さんの前で泣いてしまったのです。まさかオレが泣くなんて。だって、セッションで泣くとかダサいじゃん。かっこ悪いじゃん。そんなこと思ってるやつが、セラピーするのも問題だと改めて思ったけども、ともかく泣いてしまったのです。
そしてわかった瞬間、何かのコリがす~っと溶けた感覚になって、楽になったのです。そうか、それでオレ、頑張り過ぎてたんだなって。この場合の頑張るのは、余計なエネルギーの使い方してたってこと、一銭の価値も生まないのに、ただ、嫌な奴を演じていた。だけど、そんなこともする必要なってわかったのです。これは大きな気づきでした。なので、今日から私、少しは性格よくなってると思います。と言いながら、冒頭からdisってますけど、ま、いきなりは聖人君子にならないので、少しずつ愛されるボクになろうと思います。
ま、いろいろあるけど、少なくとも生きてるって素晴らしいことだと思います。私も昨日よりはまともな人間になって、その繰り返しでちょっとずつ成長して行きたいと思うのです。セッションの内容はまた書きたくなったら書きます。濃い一日でした。
最近、ミクシィを実質的にやめてからフェイスブックへの投稿が続いています。そして徐々にアウトプットが過激になりつつある今日この頃。ブログの読者さん、よかったら友達になりましょう。その際、一言メッセージを添えて頂けると嬉しいです。ただ、「承認ありがとうございます」などウォールに残されると、まったく悪気はありませんが、一応、非公開にさせて頂きますね。意味のない投稿をウォールにはあまり残したくないので。もちろんメッセージは大歓迎嬉しいです。フェイスブックやってない人には意味不明の話でしょうが。
それはともかく、上で書いた通り今日は濃かった。この養成講座ではその日の講義が終わると、時間の許す限り受講生への公開セッションが行われるのですが、順番は例によってあみだくじで決めるのですが、夕方、突然やってきました。「あ、次オレだ!」って直感が。なぜそんな直感が降りてきたかと言うと、その30分くらい前、前の方のセッションを見ながら、私がここで本当に取り上げたいテーマがやってきたから。それが上で書いた通りのこと。別に「よい子」になろうとも思ってなくて、人から嫌われることも厭わないのだけど、同時に些細なことで妬んだり、他人の失敗をどっかで思ってたりなど、そんな自分は嫌やな~って思うこともよくあるんです。世の中には本当に、妬みもなければ、100%純粋な気持ちで人の成功を願っている人がいる。もちろん極めて少数ではあるけど、そんな人を見て、「オレもこうなりたいな~」って思うこともあるのです。
ただ、私のような嫌な感情、決して珍しいことじゃないでしょ。例えば友達に彼氏ができたり、結婚したりすると、自分が彼氏いなかったりするとなんか素直に祝福できなかったりするでしょ。って言うか、世の中の99%はそんな感情持ってるでしょ。その割には「応援しています!」とか「ご多幸をお祈りします!」とか、ま、社交辞令とはわかってるけど、その辺の言葉を安易に垂れ流す風潮はありますよね。なので、私は本当に儀礼上のケースは別として、あんまりそんなことは言ったり書いたりしない。以前、マイミクを解除してきたある方がわざわざメッセージを送ってきて、「Qさんの言葉が今のボクにはキツイようなので、マイミクを辞退させて頂きます。だけど、これからも応援させて頂きます!」なんて言葉が添えられてあって、マイミク解除も結構だし、メッセージもむしろ嬉しいですよね。だけど最後の「応援させて頂きます!」は何かいっての。それ、マジで言ってんのかって。この方も確か一方的にマイミク申請してきて、そして一方的に解除。おそらくそのことに対して、何かしら罪悪感があってメッセージを送ってきたのだろうけど、「応援させて頂きます!」って書いて罪悪感を帳消しにしようとでも考えたのでしょうか。だけど、そんなことでは罪悪感は解消されないし、根本はそこじゃないでしょ。こんなこと書くとまた抗議を受けそうですが、ま、いいです。
私が思う、本当にハッピーな状態ってのは、「意識」と「潜在意識」が調和した状態。それを「素直」って言うのだけど、別のいい方すれば「言葉」と「感覚」が一致している状態。それが最も自分らしくて、そして楽な状態。思ったことが実現しやすい状態。だけど、それらを一致させることに対して、多くの人は罪悪感や羞恥心など、負のメッセージを受け入れてしまっている。もちろんハゲてる人に対して、「ハゲてますね~」ってわざわざ言う必要もない。それが自他にとって得ならば言ってもいいけど、普通はそうじゃない。デブの人に、「太ってますね~」とか、ブサイクな人に、「ブサイクですね~」なども同様に言う必要はない。それは損得勘定としても慎むべきだけど、だけど心にもないことを言って得することも同様にない。応援するつもりもないのに、自らの罪悪感解消のために「応援しています」などと言う必要もない。黙っとけばいい。そもそもそんな言葉伝わらない。
私のこのブログは一日の読者数が4,000人前後で、プロのもの書きからすれば多くもないけど、一般人としては読まれている方だと思う。ではなぜにこんな素人の文章が曲がりなりにも読まれて、こんな素人の話を曲がりなりにもお金払って聞きたいと思う人がいるのか。もちろんお金を頂いている時点で「プロ」との自覚はあるのですが、専門教育を受けたわけでもなし、物書きや語り手としてのキャリアを積んだ人でもなし、それでも読む人が多く、話を聞きに来てくれる人も決して少なくない。なぜか。私が思うに、私の文章なり言葉には「一貫性」があるから。「言葉(意識)」と「感覚(潜在意識)」が一致していると、出てきた言葉にはそれだけエネルギーが宿るもの。
よく言われるように、「意識:潜在意識」の関係は「3:97」とか、数字はともかく潜在意識に圧倒的な力があります。この圧倒的な力をそのまま「言葉」に乗せると伝わって当然です。もちろんテクニックで伝える術もあるのでしょうが、私にはそんな力ない。だったら、潜在意識のパワーをそのまま「言葉」に乗せるしか、伝える手段がないのです。だけど、伝わらない言葉を使う人のほとんどは、「潜在意識」から「言葉」を切り離して、文字通り「上っ面」だけの言葉づかいしかしない。応援したくもない相手の「応援します」とか伝わるはずないでしょ。なので、これは私の心がけと言うか習慣にもなってるのだけど、私が発する言葉は基本的に本気モード。「応援します」と言うなら本気で応援する。具体的にも応援する。「幸せになって欲しい」と言うときも本気。前も言ったと思うけど、このブログを書くとき、たいていの場合、伝えたい特定の相手がいます。その人のことを思いながら書いています。例えば「結婚して幸せになって欲しい」と言うのなら、その人が結婚して幸せになる姿を本気でイメージして、本気で願いながら書いています。だけど一方で、腹の立つ相手のことを想定してしまえば、それまた素直に文章に出てしまう。そこは私の欠点だとは思うけど、だけど、それで自分を上っ面にするくらいなら、嫌われてでも素直に表現したいと思う。
結局のところ、この数カ月、ビリーフチェンジセラピーとか見てきたけど、多くの人は自分で自分を不幸にしていて、その根本にあるのはいつも「意識」と「潜在意識」の不一致。自分を守るために、自分を「いい人」に仕立て上げてしまう。その結果、思ってもないことばかり言ってしまう。応援したくもないのに、応援します。幸せを願ってもいないのに、お幸せに。ありがたくもないのに、いつもありがとう。確かにそれで人との衝突は避けられ、自分を守ることには成功するけど、だけど、どんどん自分らしさとかけ離れているのもまた事実。繰り返し言うけど、何でもかんでも好きなこと言っていいわけじゃない。人の嫌がることをわざわざ言う必要もないけど、一方で「いい人」になって自分らしさを捨てる必要もない。今日はセラピーの「契約」について習ったのだけど、「よい子の契約はご法度」なる話がありました。「よい子(いい人)」ってのは、「~あるべき」「~すべきでない」など、外的な規範で自分を縛る状態。セラピーでさらにその縛りを強くすると、その人をますます苦しめる結果となる。だから、セラピーの場ではあえて汚い言葉が登場することもあるのだけど、それは自分が本当に言いたいことを吐露する場でもあり、それによって浄化が起こるのも必然。外で言うと軋轢があっても、セラピーの場でもわざわざ「いい人」を演じる必要もない。その意味で、私が今日受けたセラピーなんかは、結果的には「いい人」を着地にしたと思わせながら、一方で、自分ってこんなに嫌な奴なんだってことを吐露する場でもあって。その後のワークの中で、自分自身の「嫌な奴」の源流に触れることもでき、自然と涙が出てきたって寸法です。そして今、とても楽です。生きるってことは素晴らしい。これも本音。その素晴らしさに気がつくには、自分をもっと楽にするといい。「いい人」を演じる必要もないし、思ったことを抑えて自分を攻撃する必要もない。もちろんわざわざケンカ売る必要もないけど、自分にケンカ売るような真似はやったらダメ。自分で自分を不幸にする必要などない。よい子はクソ。
と言うわけで、明日もまた人生を楽しみます。ありがとうございました。
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マイミク解除ですが、自分と相手の道がおおいにズレてきた場合にされることもあるのではないでしょうか?「応援してます」は罪悪感の打ち消しと思われるかもしれませんが、「頑張ってね」の意味のさよならの挨拶もあるかと。Facebookはやってますのでもしメッセージが公開でしたら読みに行きます。
ハゲネタ以来の投稿になります。
あの頃よりハゲに磨きがかかってきてしまいました。(笑)
僕も他人の成功や幸せを素直に喜べないです。
ウチの母親は「Aちゃん(同い年の従兄弟の子)は偉いねぇ〜それに比べてアンタはダメだねぇ」が口癖で…。
そう言われ続けてた僕は、あぁ自分はダメな奴なんだという思いと同時に褒めてもらえない寂しさを感じていました。
もしかしたら、その体験が直接の原因なのかなと。
認めてもらいたいが為に無理して頑張り、他人の評価にビクビクして、自分の方が評価が低いと不貞腐れ、疲れ果てるというのがお決まりのパターンです…。
これもQさんの言うムダなエネルギーの消費なのかもしれませんね。
貴重な気づきありがとうございます!
ありがとうございます!
子どもは少しくらい悪い子であってちょうどいいかもしれませんね。
こちらこそどういたしまして!

























