心の安全基地 2012.9.28
2012年 09月 28日

今日はビリーフチェンジの二日目。今日もかなりいろいろ気づきがあって、中にはブログに書けない内容もあるので、久々にコーチング専用極秘ブログの更新も始めます。かなりサボってたなあ。ちなみにこちらのブログは定期セッションが終わってからもずっと読めるようにしてますので、これからもどうぞお付き合いくださいませ。そう言えばこのセミナーには割と有名な方も参加されています。私も知っているような。逆に私のことを知ってる人も何人かいらっしゃいました。栢野さんのフェイスブックで見ましたとか、ブログ見てます的な方も。お恥ずかしい限り。それだけにあまり迂闊なことは書けないと思いながら、いやいや、遠慮せずに書きますとも。昨日、前に書いた記事にコメントを頂いていました。「頭は使っているようだが、もう少し心くばりしてものを書け」とのお叱りです。コメント欄を見て頂ければわかりますが。
確かにこの辺って微妙なんですよね。これはいわゆる「言葉狩り」にも通じるもので、例えば「ウツ」のことをテーマにすると、実際のウツの人が傷付く恐れがある、だから慎め。それ以前には障害者に対することもそうで、これまで表現の世界では何度も表記法を改め続けて、まだまだ完成されることはない。そのうち「ウツ」って言葉自体も使えなくなると思うし、実際、今では自律神経何とかって言われるのでしょうか。こんな風潮で「人権救済法」なんてのが通ったりなどしたら、多くのブログが抹殺されるでしょうか。私のブログもまだ一日4,000前後のアクセスですが、2万を超えたあたりから「メディア」としても強くなって、今以上に攻撃を受けるのは明らか。ちょっとした言葉尻で糾弾されることも。「人権法」に目を付けられたらアウト。だかなおさら安倍さんになってよかった~ってね。私もいろいろ間違うことはあると思いますが、まずはあまり考えずに思ったことを書いていこうと思います。もちろん誰かを直接傷つけるようなことは書かないつもりですが、それでも指摘されてマズイと思ったらすぐに修正します。そんなわけでこれからもガンガン書きますが、今日もヤバかったな~。
セミナーでは「24のビリーフ」ってのを全体で学ぶのですが、今日はその横綱・大関級のコアなビリーフの取り扱い。セミナーの中でハッとなったのですが、まずはビリーフについて先生が説明されますよね。その後、テキストに書かれたセラピーの「スクリプト」を読み合わせる作業をするのですが、なんとそれを読んでいるだけで、潜在意識にビビビ~っと来るものがあったのです。今日は「存在」と「愛着」のビリーフについて。私は存在してはならない、、、なんて強烈なビリーフを持っている人がいるってのは頭ではわかりますが、感覚としては理解できない。だけど、、、セラピーのスクリプトを読んでるだけで、なんか来るんですよ。いわゆる営業スクリプトと同じで、特定の言葉・文字列が顧客の購買意欲を喚起させることがあるように、セラピーのスクリプトもそれが「選び出されたもの」である以上、どこか普遍的な、、、つまり「集合意識」的な何かにつながる。そんな一瞬がありました。これは確かにすごいかも。
そもそも「存在」とは何か。人間は生まれながらに絶対的価値を持つ存在である。この場合の「絶対的価値」といわゆる「価値」は違います。「価値」は基本的に無色透明。「絶対的価値」は永遠普遍の「愛」と言い換えてもいい。「愛」とは何か。「愛」とは「神」である。ま、そんな抽象的な話はともかく、人間は生まれながらに絶対的価値を持つ存在なのです。しかし、産まれた瞬間から様々な外的刺激によって「潜在意識(身体)」に特定の「情報」が刷り込まれるようになる。この「特定」とは「安心・安全」のフィルターを抜け出た情報、つまり「危険」と「潜在意識(身体)」が判断した情報が、それを避けるために自己プログラミングする。その後は、同じような情報が来るたびに、それをきちんと排除するように勝手に働く。これが潜在意識です。犬によって危険な経験をしたら、それ以降、犬を避けるように身体が反応する。それが大きな意味で「緊張(ストレス)」です。
そうやって様々な「情報」が積み重ねられ、つまり「絶対的価値」を「情報」が覆い隠すようになり、その「情報」を生きるようになるのが人間です。そしてこの「情報」は0歳から3歳までの間に頑丈な鎧のように自分自身をガードするようになり、そうやって性格やら性向が決まってしまいます。しかしこの「情報」は大きく分けて二通りあり、どちらの情報を優先的に獲得するかで人生が決まってしまうようなもの。その二つ情報とは「世の中は安全である」と「世の中は危険である」という正反対の情報です。
どちらが人生において役立つかは言うまでもなく「安全」って情報です。しかしこれは3歳までの間にある程度決まってしまう。そのキーワードが「愛情」や「愛着」です。うちにもいますが、赤ちゃんは泣くことで抱っこを求めます。おっぱいでもおむつでもなく、ただ単に泣いて、そして抱っこすると泣きやむ。赤ちゃんは「泣く」というセンサーを用いて、世の中に適応しようとしてるのですが、そのときに両親が赤ちゃんに与える情報は極めて重要。つまり、抱っこによって「世の中は安全ですよ」って伝えるのか、放置や虐待によって「世の中は危険ですよ」と伝えるのか、その情報によって赤ちゃんの魂は100までってことになるんです。だから「抱っこ」がすごく重要で、私自身もそのことを一人目(ちびQ)の頃から知ってたのは幸いでした。
象徴的には「抱っこ」ですが、そうやって3歳までに「愛情・愛着」を与えることで、心の中に徐々に「安全基地(セキュアベース)」ができ、ようは何やっても大丈夫な人生になるんです。この「セキュアベース」という概念はジョン・ボウルビイって心理学者が提唱した概念で、脳科学者の茂木健一郎さんなどもよく用いてます。保育園にはたくさんの子どもがいますが、一人遊びできる児童とできない児童ってのはやっぱりいて、これは産まれもっての性格もあるでしょうが、親から与えられた「セキュアベース」の影響も強いと言われます。
ちびQは1歳から保育園に行ってるのですが、最初から「情緒が安定している」と言われ、一人ででもずっと遊んでいられると先生からよく言われてました。おそらくこれは私の影響も強いと思います。つまり、0歳からずっと両親が家にいる環境はなんだかんだと恵まれてるな~と思いましたもの。私が前の会社にいたらまず無理でしたが、それだけはほんと、今のような生活スタイルになってよかったと思いました。セキュアベースがあると、「世の中は安全」ってビリーフを持つことになり、一人で遊んでも大丈夫となる。逆にセキュアベースが育ってないと、「世の中は危険」ってビリーフを持つことになり、一人で遊ぶのが不安になるようです。ほんと、3歳までの時期って大切なんですね。
そんな話がいろいろありまして、そう言えば私も思い当たることはいくつかあります。例えば私は物心ついたときから祖母(母方)にめちゃくちゃ可愛がれて、おばあちゃんがいると安心するような子ども時代でした。小学生の頃は同じ部屋で寝ることが多かったのですが、老人は死ぬってことを覚えてから、夜中に起きたとき、息してるかよく確かめたものです。だけど、そんな祖母も私が大学生の頃になくなり、そろそろ20年になります。でも、私の中にはいつまでも祖母が守ってくれてる感覚があるんですよね。特に金銭面において。会社を辞めてから何度か金銭的ピンチになったことがあるんですが、その都度、助かっている。その秘訣は、、、祖母に頼むこと。「おばあちゃん、ちょっとヤバいねん、お金ちょうだい」ってストレートに言うんです。もちろん心の中で。するとどこからともなく「よっしゃ」という声が聞こえて(きたような気になって)、心が強く軽くなるんです。すると間違いなくお金が入ってくる。こう思えるのは、やっぱり私が祖母から可愛がられてきたってことにあるんでしょう。もし孫に何か危害を加える奴がいたら、刺し違えたるみたいなこともよく言ってたし、それもまた心強いセキュアベースにつながったのかもしれません。
その意味では宗教や「神」も重要だと思うのです。昔、エジプトのシナイ山に行ったとき、麓である日本人がもめていました。エルサレムに行くために、国境のヌエバに行くのだけど、そこまでのタクシーが高過ぎると。私はたまたまそこを通りかかり、自分もヌエバに行くのでその手前のダハブまでならよかったらご一緒しましょうかと言うと快諾。で、その彼は敬虔なクリスチャンで失業したきっかけにシナイ山とエルサレムを旅行している最中。シナイ山では頂上にテントを張って、三日間、神に祈り続けたとのこと。一緒にダハブに行ったのですが、その日、いろんな話を聞かせてくれました。その中でその彼が言った印象的な言葉がこれ。
「ボクには『祈り』があるから、なにがあっても大丈夫」

そのときは、ふ~ん、そんなもんかな~と思ったのですが、怪しい感じはしませんでした。日本でこんなこと言うとバカにされる風潮があるのですが、何か気になる言葉でした。その後、その方は翌日にヌエバに行き、私がしばらくダハブでバカンス。しばらくして私もエルサレムに行ったのですが、そこでまたその日本人の姿を見かけます。声をかけようと思ったのですが、マジ泣きしながら歩いてるのを見て、やめました。他の西洋人と同じように、十字架を担ぎながら「ゴルゴダの丘」に向かって歩くイエスが彼の心の中にいたのでしょう。
3歳までに一生を決めるような「セキュアベース」が作られる。これは事実だし、そしていろんな環境にある人がいるのも事実。セキュアベースがしっかり作られなかったら、極端に憶病な性格になるか、または平気で人を傷つけるような性格になるか、、、いずれにせよ幸福ではないでしょう。世の中は危険だ、大丈夫じゃない。そんなビリーフを持つ人が「絶対的価値」に目覚め、そして本当の自分を生きるようになるにはどうすればいいか。もちろんビリーフ・チェンジのような技法も効果的だとは思いますが、同時に宗教を含む広義の意味での「スピリチュアル」が果たす役割は大きいと感じています。もちろん霊や天使のような話ではんなく、真の意味で「宇宙」とつながるような、、、そんな情報発信をしていければな~と思った次第です。ありがとうございました。
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【世界】目標を確実に達成する行動強化コーチング

お金持ちでいいな~と思います。

具体的にどんな方法論なんですか?

確かに嫌われることを怖がってはビジネスでの成功は難しいでしょうね。
どんな聖人君子のようなこと言っても、ライバルは確実に嫌ってますから。
川島さんの具体的に何がどうおっしゃりたいのかわかりませんが、ビジネスマンとしてはいいんじゃないですか。

一人さんくらいになるとそもそも妬まれないでしょう。みのもんたや松本人志に対してお金のことで妬まないように。川島さんのことが気になって仕方ないみたいですね。

そうなんだあ(笑)