シュールストレミング試食会 2004.9.4
2004年 09月 05日

試食会には4人の他、H紳士、だんな、じゅんちゃん、きょうちゃん、そしてゲッツが集まりました。6時に春日公園に集合なのですが、皆さん、きちんと時間に間に合って試食会への意気込みが感じられます。

缶詰は一週間ほど前に届いており、すでにブツは発酵して爆発寸前にまでパンパンに膨れ上がっています。入刀はもちろん私です。雨合羽を着て、ブツをビニールでくるみ、缶きりを挿入します。思いっきり、刃を差し込むと、「ぷしゅ」っと勢いのよい音がして、私は反射的に退いてしまいました。まだ臭いません。気を取り直して、ゆっくりと刃を入れていきます。ぷ~ん。突然、すごい臭いが鼻を直撃しました。おっえっ~。。。

まずは、私が食すのですが、かなり発酵が進んでしまい、「魚の形」がほとんど見られません。箸で摘み上げると、それはほとんど「魚の骨」でした。私は柔らかければ、魚の骨はOKなので、勢いよく口の中に放り込みました。しょっぱい!!。味が先にきたのですが、次の瞬間、口の中から鼻腔にかけてもの凄い臭気が襲い掛かってきました。おっえ~~、ぺっぺっぺ~~。反射的に吐き出してしまいました。一同大爆笑です。



しかしその一方、「ありえる臭い」との声も。確かに臭いことは臭いけど、生まれて初めて嗅ぐような未知の臭いではなく、昔どっかで嗅いだことがあるような懐かしい感じもしました。

最後は、公園の溝に捨てさせていただきました。ごちそうさまでした。
さて、今回、シュールストレミングという世にも珍しい食べ物に挑戦したわけですが、人はなぜこのような「臭い」食べ物を好んで食べるのでしょうか。シュールに限らず、日本にも納豆ははじめ、くさやや鮒寿司など臭い食べ物が存在しています。そして、臭い食べ物に限って「中毒的」になるものです。納豆なんかは必ず毎朝食べないと一日が始まらないという人も少なくありません。
私はこれらに共通する臭い(いわゆる発酵臭、腐敗臭)に「人間」の本来臭を感じとることが出来ます。人間というものは本来的に「臭い生き物」です。3日間シャワーを浴びなければ誰だって臭くなります。そして究極的にその臭さは「死」に近づく臭いとなります。つまり、「死」に向かっている「人間」にとって、「臭い」とは最後に達する本質的な現象だと言えるのです。
普通、人は「臭い」を退けます。それは、「インセスト」や「カニバリズム」と同様、「同一化」に対する禁忌に似たものがあります。つまり、「生としての人間」と「死としての人間」の同一化を、「臭い」という反応によって、いったんは退けるのです。しかし、「臭い」は人間そのものである以上、それを取り込んでしまったら最後、次は「同化」の方向に走り、結果として中毒状態を引き起こすのではないでしょうか。
私は、シュールストレミングという究極的な「臭さ」を食することによって、人間の本質に近づけた気がします。また一つ、悟りを啓けたことに感謝したいと思います。
それにしてもあの臭いがまだ続いています。缶は持って帰ってきているので、嗅ぎたい人はどうぞおっしゃってくださいな。

さすがに開缶時の悪臭には参りましたが、鼻がバカ(嗅覚疲労)になると多少食す勇気が出てきたもので・・・。
お味はと言うと、幼少時に食べた祖父お手製の「うるか」(鮎の内臓を塩漬けにした塩辛のようなもの)に似ていたような気がします。
このシュールストレミングの臭いもやはり「食べ物」のにおいなのでしょうか、私は持ち帰ったごみ袋の臭いを一人で「臭い!」と叫びつつも、何度も嗅ぎ直してしまいました。ヤミツキになってしまったかも・・・。
昨日は貴重な体験をさせて頂き、どうも有り難うございました。
通販では確かに入手できるのですが、発行して魚の形がなくなっているのを送られる傾向があるようです。