アルケミストの思い出 2012.9.10

 今日からまた新しい一週間で、家族4人の生活がスタート。朝、突然、ちびQが「保育園に行かない!」と愚図りました。今までそんなこともなかったし、起きてきちんとご飯を食べて準備をしていたのに。これは間違いなく赤ちゃんの影響でしょうね。今まではずっと自分が中心だったのが、突然、やってきた赤ちゃんに家族の目が向く。こんなときこそ、意識的にちびQを中心におく必要があるってことで、朝から遊んで大変でした。ようやくと笑顔が見えてきたところでご飯を食べさせ、一気に保育園に。保育園に着くといつもの調子でバイバイ。だけどもう一つ問題があって、それは大阪のばあちゃんが明日帰ること。保育園に迎えに行ったときにその話をすると、泣きそうな顔になるのです。そうやって成長してるんですね。

 そんなわけで、新たに仕切り直しです。最近は9時に寝て2時に起きる生活。日中、少しだけ眠くはなりますが、このパターンをずっと継続・定着して行こうと思います。この10日ほどは実家の母親が来てて、買い物に行くとつい甘えてビールを買っていましたが、それも今日まで。今まで通り普段はお酒を飲まない生活。滝行も近々やろうと思います。それでいて二男が産まれたことでやる気が倍増。背負うものも大きくなったので、ますます頑張ります。思えば、長男ちびQが産まれた2009年も私にとって大きな飛躍の年になりました。一番の飛躍が出版。それ以来滞っていますが、今年はいよいよ出します。ネタ的にもOK出てるし、あとは書くだけ。もちろんまだまだ完璧にはキョリがありますが、とにかく書くだけです。今月末からセラピスト養成講座に通いますが、それは特別に「セラピスト」になるために通うのではなく、昨日も書いた通り「流れ」に任せただけのこと。なんとなく勉強したくなかったから。だけど今にして思えば、まさに「必然」を感じさせる「流れ」です。

 今ふと思い出した。この「流れ」なる言葉を初めて聞いたのは、1997年にイスラエルを旅しているときでした。エルサレムの「タバスコホテル」って今あるのか知らないけど、有名な安宿でのこと。ドミトリーが確か1,000円なかったような。その代わり男女混合の大部屋。ヨルダンから池原さんって沖縄出身の男性と同行したのですが、そこで出会ったのが「カズ」と呼ばれる日本人。風貌はめちゃくちゃ怪しい。坊主頭で腕から肩にかけてタトゥーだらけ。顔もところどころにピアスの跡が。イスラエルには来たのは女とやるため。それは商売ではなく、きちんと彼女として。世界中にカノジョを作るんだと。カズはもっぱらメキシコの有名な安宿に居ついてたのですが、そこで問題を起こして追い出されたとか。あらゆる種のドラッグをやり、中でもコカインにかなりどっぷり。メキシコでの写真を見せてもらったのだけどどん引き。注射器で自分の血液をわざと吸い取って、それを噴射するのにもハマってて、それをコカインとミックスすると最高なんだとか。

 そのカズが私に勧めてくれた本が、パウロ・コエーリョの「アルケミスト」。薄い文庫本なのですぐに読めたのだけど、そのときは何が面白いのかさっぱりわからなかった。いわゆるスピリチュアル系の本で、当時の私はそんな世界も知らなかったし、書かれてる物語以上の読解ができなかったのです。スペインからエジプトまで宝探しに行く少年の話。その途中でいろんなトラブルに巻き込まれる。ただそれだけ。そんな話にカズはどうして夢中になっていたのかさっぱりわからず。

 カズが言うには、その本を読んで人生が変わったのだと。もうこの本さえあれば何もいらないとさえ言っていた。そこでしきりに主張していたのが「流れ」の話。メキシコの安宿でその本に出会い、夢中になってイスラエルに来た。テルアビブの空港に着いて、すぐに目に入ったのが「流れ」という漢字がプリントされてたTシャツだった。「アルケミスト」のテーマも「流れ」であり、そしてシンクロニシティ。カズはいわゆる「宇宙」を知ったと言うのです。当時の私はまったく話について行けないし、そもそもカズが受け入れられなかった。だけど、同行してた池原さんはカズの言うことがよく理解できるようすだった。その日の日記が以下。
 

【思索】 1997.10.19~20

アルケミストの思い出 2012.9.10_b0002156_18204773.jpg 起きた時、激しい腰の痛み。ベッドが固いのか、旅に疲れているのか。今日はエルサレムから出て、近郊のベツレヘムという街に行く。イエスが馬小屋で生まれた街だ。今日も池原さんと行動をともにし、ミニバスで向かう。ガイドもないので何があるのか分からないが、とりあえず丘に登ってみた。特に何もないし、景色がいい訳でもない。2人でビールを飲みながら話をした。池原さんは沖縄出身で俺と同い年。腹が立てばためらわず相手の胸倉をつかむが、内面的にはロマンチストで普段は小声で話す。結局話をしただけで、エルサレムに戻った。
 
 何となくこの旅のことを考えてみた。旅をしていると真の自分が出てくるような気がする。日本での俺は、どちらかと言うと明るく、お調子者で外向的であるが、この旅では自分のネガティブな部分が実によく出ている気がする。旅先で出会う人は皆、物事に対して器用でよく勉強もしているし、何ごとに対しても積極的だ。それに比べて、俺はなんて不器用な人間だろうかと思う。そして、ここに来て「カズ」という人間に出会った。彼は30歳。どちらかと言うとアウトローの部類かもしれないが、実にポジティブだ。自身で言うに、昔はいわゆる不良で、高校卒業時は20歳を超えていたとか。もちろん勉強なんかしたこともなく、まして大学受験なんて考えたこともなかったそうだ。ところが、あることをきっかけとして、一年間、恐るべき集中力を発揮し、一流大学への入学を果たした。旅ではドラッグも自然にやり、女も簡単に彼のものになる。

 カズいわく、何ごとも自然の「流れ」に身を任せていると何ごとも上手く行くそうだ。そんな彼のことを、俺は「憎い」と思うと同時に羨ましく思っている。俺は自分では直感的な人間だと信じてきた。しかし、旅に出て、全てが自分の判断に委ねられるや、実にくよくよといろいろ考えてしまっている。彼の言う「流れ」が俺の味方になっていないのだ。

 翌日は池原さんがここを発つ。俺は一人残り、またしてもいろいろと考える。「旅」とは一体何なのか。旅をすると確かに多くのものを見、たくさんの人と出会う。そして感動する。しかし、一番関心を持つのは他ならぬ自分自身であることに気がつく。例えば、今、エルサレムに来ており、その大きな歴史を間近に見ている。旅とはその国の文化や歴史を見ることではなく、それらに対置しながら、学び、感動している自分自身を客観的に見ることなのかもしれない。

 「あなたは楽しんでいますか?感動していますか?学んでいますか?」

 そう問いただす第三者的な自分がいる。しかし、この時、俺の答えはNOだった。しかし、そうやって苦しみながら、自分自身と戦うのもまた旅なのである。

 そうやって考えながら、外に出てみた。近代史における凄惨な歴史の象徴であるホロコーストに行ってみた。胸を打たれている自分がいる。よかった。今日はなんだか美しい日だ。明日、エルサレムを出る。


 カズを受け入れようとしないながら、実はものすごく影響されていることが分かります。そして何度も紹介してきた通り、「アルケミスト」は今や私のバイブルでもあります。2005年のインド旅行ではこの一冊しか持って行かず、その旅の間、何度も何度も読みました。会社を辞めてギリギリの所持金でインドに旅立った。私は「何」を求めてインドに来たのか。初日に暴漢にやられ所持金をほとんど奪われる。やることがなくてラダックの丘の上で般若心経。そこで何かしらの真実に気が付く。

 アルケミストの主人公の少年はエジプトまで宝物を探しに出たのだけど、その物語と私の当時の旅は恐ろしいほどにシンクロする。そしてこの一文。

「彼は自分のことをどろぼうに会ったあわれな犠牲者と考えるか、宝物を探し求める冒険家と考えるか、そのどちらかを選ばなくてはならないことに気がついた」


 この一文に私はラインを引いていました。私も確かに所持金を奪われた哀れな旅人。それも日本に帰っても仕事もない単なる無職。だけど、私は「宝物」を探しにインドにやってきた。その「宝物」が何かはわからないけど、とにかく「何か」を探していた。この文章の次のページにこう書かれていました。

「僕は宝物を探している冒険家なんだ」


 この一文の何度も何度も読みました。そう、私も哀れな無職ではない。どんなことが起ころうとも「宝物」を探しに来た冒険家なんだ。結果的にその「宝物」は見つかりました。その顛末は拙著「宇宙となかよし」に書いた通り。

 カズの話に戻りますが、彼は日記に書いたように、元々はものすごい不良だったそうな。高校にも行かず、ただ周囲に迷惑をかけるだけの社会のゴミ。それがある日、何かのきっかけで大学に行く決心をして、遅れながらも高校を卒業し、一年間、ものすごい集中力で勉強した。勉強を始める前はアルファベットが書けなかったそうだけど、そんな状態から一所懸命に勉強して、確か早稲田か慶応だったかな。その辺は記憶が定かじゃないけど、関東の誰でも知ってる私立大学だったと思います。大学では楽しく過ごし、その後、就職をせずに旅。メキシコに長くいて、現地に彼女もいたのでスペイン語はペラペラ。どうやって暮らしているのか。それはいつも誰かがお金をくれるんだそうです。もちろん人を脅してお金を巻き上げるんじゃなくて、自分を可愛がってくれる知人がやたらとお金をくれると言ってました。それも一人や二人じゃなく。しかもそれは男性。女性ならば単なるヒモとも言えるのですが、男性、それも経営者や起業家の類の成功者からいつもお金をもらっていたとか。そんな人間がこの世にいるんかとビックリしたけど、素直に好きにはなれない。それだけ当時の私は真面目だったんでしょう。もちろん悪い意味で。

 カズ。本名も知らないけど、もし今も生きているなら、どうなっているか知りたい。もしかしたら大富豪になってるかもしれない。いや、きっとそうなっているだろうし、むしろそうなって欲しいとさえ思っている。今思うと彼は完全に「サレンダー」してたんだと思うんです。「アルケミスト」に出会う前から、すでに「アルケミスト」のような人生を送り、その中の世界観をすでに自分のものとしていた。だからこそ、あそこまで感動的に力説してたんかなと思います。もちろん人からお金をもらうことがアルケミストではないし、ドラッグやセックスに埋没するのもアルケミストではありません。だけど今思い出すと、あのエルサレムのタバスコホテルのカフェで聞いたカズの話は、すべてが真実だと感じるのです。今ならば。

 思えば1997年の世界一周は私にとって「失敗の旅」でした。あらゆることが上手くいかない。だけど、それを認めようとせず、自分を騙しながら旅していた。その思いが、あの日の日記に現れてるような気がします。ただ素直であればいい。何も逆らう必要もない。ただ、流れに任せて。ここ数年、なんとなくそんなことが実感できるようになってきたように思います。ありがとうございました。

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by katamich | 2012-09-10 23:39 | ■精神世界 | Comments(0)