すべてはたまたま 2012.8.28
2012年 08月 28日
で、こんな話するとまた反感を買いそうですが、いつものごとく吠えます。初日に「足が痛い」と書いたら、「止めろ」とか「休め」って意味のご意見をやっぱり頂いたのですが、私の性格上、ブログに書くってことは「やる」ってことです。足が痛いのは事実ですが、よほどのことがない限りはやっちゃうのです。私のスタンスは「できる無理はする」です。「無理するな」って言う人いますけど、確かに「できない無理」はしません。「できる無理」って言語矛盾入ってますがニュアンスは分かりますよね。今回の件で言うと、歩いて滝場に行くはできますが、全速力で走って行くのは無理です。片足ケンケンも無理です。後ろ向きに歩くのもできないことはなさそうですが、危険なので無理です。だけど、歩くのはちょっときついけどできる範囲。足の皮がむけてもテーピングとかすればいい。通常なら一時間半のところ3時間かかったとしても、早起きして行けばいいのです。
今回なぜに急にこんなことを思いついたかと言うと、本当の話は一週間以内にすると思いますが、久々に「挑戦」してみたかったんですよね。2005年2月に初めて「21日滝行」をしましたが、あれは私にとって大きな「挑戦」でした。21日間毎日早朝滝行。気温は平均4度、氷点下あり。肉、酒、H禁止。自分でするのも禁止。そして仕事は繁忙期。案の定、朝4時まで仕事してそのまま徹夜で滝行、そのまま客先で午前の会議なんてこともありました。一週間目に喉を壊して炎症により38度5分の発熱。その時点で滝仲間からは「休め」と言われたのですが、導師は「そんなことどうってことない」と続けるように言われます。その言葉がなんと頼もしかったことか。そして21日間満行。感動でした。ワンステージが上がった確信を得ました。そして人生が開けました。翌年は100日滝行。最終日は24時間お堂で籠りきり。それも満行して感動。基本的にそんなことするのが好きみたい。
今はサラリーマン時代よりははるかに時間あるので、その辺の融通は利く。だけど100日は出張などがあって今は難しい。その意味では出張のない時代にやっておいてよかったです。じゃあ、何しようか。滝の中に一時間いたところで夏なのでさほどの負荷もないしそもそも時間ももったいない。そこで思いついたのが、自宅から滝場まで往復15キロを歩いて通うこと。9時には保育園に行かないと行けないので、逆算して4時には家を出る必要がある。夏とは言え、夏至を過ぎて2か月になるのでその時間は真っ暗。その代わり星がよく見えます。金星が強く輝き、オリオン座のベテルギウスにご挨拶。いつ爆発するのかな~とか思いながら。で、初日に足の皮がむけて、二日目はめちゃめちゃきつかった。三日目どうしようかちょっと迷ったけど、やらない理由はない。そして今日は三日目。昨日よりはるかに楽。身体も慣れてきた。と言うことは、金曜日までできそう。残り半分。土曜日は北九州の「畑観音」なので車で行ける。ゴールが見えてきた。つくづく二日目に止めないでよかった。「休め」とのご意見はもちろんその方の優しさなのでしょうが、私にとってグッとくる優しさは「何も言わないこと」か「足痛くてもやれ」と言われること。なんだかんだと好きでやってることですからね。ここ数年は無茶なことしても、親も何も言わなくなりましたし(笑)
余談に余談を重ねますが、その手の話で今まで一番「は~?」って思ったのが2008年にとあるセミナーを受講していたときのこと。5か月続くセミナーで、メンバーのメーリングリストがあったのですが、月に一回は何かを投稿する必要がありました。参考体験の発表ってことで。そこで私は「宝満山に登って雷に打たれた(感電して右半身がしびれた)」って話をしたら、あるメンバーから「ルシファーのお怒りです」って返事が来たわけですよ。その方とは人間関係もほとんどなかったのですが、私が滝行したり山行したりしてる側面だけ見て、「サイキックパワーにかぶれまくっている」と判断されたようなんです。そんなパワーに興味を持つからです、、、みたいな感じでルシファー(堕天使)のお怒りなんだそうです。そんな返事を公のリストでされた日には、、、私のことだから当然反論しますよね。しなきゃいいのに。すると他の方から横やりが入って、「Qさんは感謝が足りない」って言われるわけですよ。せっかく「ルシファーのお怒り」と教えてもらってるのに、その優しさを理解せず反論するなんて。「ルシファーのお怒り」と言われたら、そこでブチ切れるのは私にとって当然の流れ。3.11の震災直後もあるマイミクが「ニュージーランドや雲南省と同じルシファーが関与してます!祈りましょう!」って呑気につぶやいてたから、そこで噛みつくわけですよ。その後、ちょうど去年の今頃のこと、8月12日にスカイツリーが真っ二つに折れるほどの巨大地震が来るなんて「予言」してるアホがいて、やっぱり噛みついてしまって2ちゃんねるにも飛び火。ほんま、なんやねん、です。
この手の話ってどうも熱くなるんですが、ま、この辺にしておきます。でもまあ、自分から無謀とか危険なことする必要もないですが、起こることは起こるんだし、起こってることが起こってるだけ。地震も台風もルシファーとか関係ないっちゅうに。ハープ(HAARP)とかの地震兵器もないって。もしあったとしても、我々一般庶民には防ぎようもないでしょ。マイミクさんでたびたび「ハープが動いてます」って報告する人がいて、一度私も「動いてたらどうなんですか?」って質問したら、「私の方が知りたいです!」と返事を頂きました。よくわからんですね。先日ルーマニアとかシリアで日本人が殺害されましたが、じゃあ、その辺の国が危険で、行った方が悪いかと言うと決してそうでもない。ちなみにルーマニアって私が行った1997年頃は「東欧のミャンマー」と言われ、そしてシリアは「中東のミャンマー」って言われるほど親切な人が多い国でした。確かにミャンマーはめちゃくちゃ人がいい。だから気を許していいわけじゃないですが、夜にタクシーに乗った女性を責めるわけにもいかないんですよね。私も含めて外国で夜にタクシー乗った人など無数にいるわけだし、シリアの場合はジャーナリストなのでリスクは高いものの、それは折り込み済みですから。
何が言いたいかと言うと、要するに「起こることが起こる」ってこと。起こったことに理由はない。ルーマニアに行ったから殺された。現象面だけ見るとそうでしょうが、その人にとって行かない選択肢もなかった。道を歩いてて車にひかれる人も多いですが、道歩かなければひかれなかった。確かに現象面だけみるとそうですが、その人にとって道を歩かない選択肢はなかった。私は以前、世界一周をしましたが、今思うと随分と無茶をやってきたものです。例えばトルコでヒッチハイクをしたとき、車に男性が3人乗っていて、降ろしてもらったところで50ドル請求。トラブゾンという黒海の面した街から「スメラ僧院」という崖に貼り付いた僧院を見るために。結局、5ドル払って帰ってもらったが、僧院の係員からこっ酷く怒られた。「彼らがテロリストだったら命がないぞ!」って。確かにそうであって、似たようなことは他にもしてた。よく命があったものだとゾッとします。写真は画像が悪いですが、私が行った「スメラ僧院」。
最近、武道家の藤平光一さん(故人)の本を読んでいたら面白い記述がありました。藤平氏は戦時中、敵地で弾丸が飛び交う中を歩いていても、弾丸の方がよけて行ったそうですが、それは天から生かされる運命であれば弾丸に当たらないとの信念があったから。ただ、中村天風氏にも似たようなエピソードがありますが、それは藤平氏や天風氏だから弾丸が当たらなかったのではなく、弾丸が当たらなかったのが藤平氏であり天風氏だったからに過ぎないのでしょう。おそらく似たような人はたくさんいて、オレには弾丸が当たらないと豪語しながら見事に打ち抜かれた人だっていたと思います。藤平氏はたまたま弾丸が当たらなかったから後々そう言えるのであって、あのとき、打ち抜かれていても何も珍しくありません。すべては「たまたま」なんでしょう。なので、私が外国で無謀なことをしながらいつも助かってきたのも「たまたま」だし、ルーマニアやシリアで殺害されたのも「たまたま」です。そこに因果関係など実はないのです。
昔、歌手の坂本九は飛行機の事故で亡くなりましたが、明石家さんまも同じ飛行機に乗るはずでした。だけど、番組の収録の都合かなんかでその便をキャンセルした結果、さんまは事故にあうことはありませんでした。それは坂本九が不運でさんまが幸運だったからか。確かにそう解釈できなくもないですが、それもまた「たまたま」なんだと思います。人類の貢献度で言えば、坂本九もさんまも変わりません。いや、人類の貢献しているから運がいいって理屈もありません。人格者が必ずしも長生きするとは限らないし、罪人が早死にするとも限りません。「因果応報」なんてのは単なる方便であって、人の「運命」なんて最初から決まってるもんです。
だけど人は何かと「理由」を求めたくなる存在です。震災・津波の理由は、、、地球活動の一環に過ぎないのに、やれルシファーだの、やれ地震兵器だのって理由をつけようとします。地球が生きている限り地震も台風もあります。そして日本は断層が多いので、それだけ地震も多いし、台風だって地理的な要因。日本が東アジアに悪いことをしたから地震が来たのでもなんでもない。地球活動の上、日本はたまたまそんな位置関係にあるだけのこと。それ以上でも以下でもないんですよね。
2008年に私が雷に打たれて生きてたのもたまたま。ちょっと場所が悪ければ、翌日にニュースに出演していたかもしれません。そしてこぞって「Qさんはルシファーに召された」と言われるのかもしれませんが、たまたま打ち所がよかったので今もこうやって生きてます。すべては「たまたま」の産物なんですよね。私だってこれから先どうなるかわかりません。できれば88歳までブログを書いていたいと思いますが、それもどうなるか。いつも言うことですが、5分後に隕石が降ってきて直撃することだってあります。いや、そんな荒唐無稽な話でなく、家を出た瞬間、居眠りダンプに遭遇する可能性だって0ではありません。隕石よりは確率は高いでしょう。だけど、一方で何やっても無事な人は無事。日本にいるから安全とか、海外が危険ってことも関係ありません。日本でも事故や犯罪で亡くなる人はたくさんいるわけで、だけど珍しくないから報道されないだけのこと。外国は珍しい分報道も多い。それだけのこと。だからと言って、今はシリアに行くべきではない。ジャーナリストや宗教家のような特別な「命」を受けた人は別として。それでも強引にシリアに行ったところで、何事もなく生きている人だっているでしょう。実際はどうかわかりませんが、今もシリアの安宿で沈没してる日本人だっているんじゃないかな。
そんな感じで事例をあげるとキリがないわけで、結局のところ「なるようになる」し「起こることが起こる」としか言えないのです。ベテルギウスが爆発してもとりあえずさしたる被害はないようですが、シリウスが万一爆発したら地球は木端微塵です。防ぎようがないです。もっとも、シリウスは質量が小さいので超新星爆発はしないそうですが、それもたまたま。ベテルギウスのようにしてしまえば、いや、もしベテルギウスの爆発によりガンマ線が届く角度がちょっと違ってるだけで地球はヤバかったかもしれない。それもたまたまです。600光年離れた星のこととかどうしようもないです。だけど、ベテルギウスの超先生爆発によるガンマ線の角度が地球直撃じゃないことも、今日、交通事故にあわずに生きていることも、本質的には同じこと。起こることが起こるだけ。
だからこそ、、、やっぱり好き勝手したいじゃないですか。死ぬ日なんて決まってるんです。わからないだけで。10年後のことも1年後のこともわかりません。あるには「今」だけ。それだけがリアルな世界であって、過去も未来もすべて「幻想」です。だったら「今」なにをするか。それだけが私たちに与えられた「選択肢」なわけです。そんなことを考えながら、今朝も歩いて滝場に行きました。明日も歩きます。ありがとうございました。
今日の話に共感して頂ける方はクリックをお願いします!
↓ ↓
人気blogランキング
【東京】9月29日(土):90日で願望を実現する「引き寄せの法則」実践セミナー
【世界】目標を確実に達成する行動強化コーチング
そのご質問をよく頂きます。
どっかで書いたかもしれないし、著書でもこれから書くつもりですが、簡単にお答えます。
「生と死」以外はすべて引き寄せであり、そして起こったことが起こってます。
だけど「認識」が違うだけ。言葉を尽くすとややこしくなりますが、ようするに「認識」が「現実」を作ってるだけ。
分かりにくくてすいません。いつかわかるようにご説明させて頂きます。
Qさんから、遺伝子組み換え(笑)で決まってしまえば楽しくないとのコメントの返信を頂いてましたが、確かにその通りでわからないから面白く、夢も無限に広がるってもんです。(^_^)
はい。
おっしゃる通りですね。