今大阪の実家にいます。明日から大阪・名古屋でのセミナーです。濃い一日一日になりそうです。それにしても暑い。真夏なので当然ですが、心も暑い。今日はお盆明けってことをすっかり忘れてて、新幹線の指定席が満員でした。普通席で並ぶのも疲れるのでグリーン車で読書を楽しみながらやってまいりました。実家に就いたのは5時。ビールがあったので飲みます。家ではいつものようにしゃべり倒してました。
土日のセミナーは「引き寄せの法則」ですが、つまり「願望実現」について。「引き寄せ」に必要なことはいろいろあるのですが、私は「焦点化」が重要だと思っています。ただ、「焦点化」は「執着化」にもなりやすいですが、それらは完全に似て非なるもの。その辺もクリアにする必要はあります。「焦点化」において重要なのは「明確化」でもあり、まずは「言葉」にできることが大切。そしてしばしば論争になるのですが、「願望」は人に言っていいかどうかの話。答えは「状況による」となるのですが、どちらかで言えば、「人に言ったいい」となります。逆に言うと「人に言えるようなもの」である必要がある。
願望を人に言ったらダメなパターンは二通り。以下です。
・願望を言うことによって周囲から邪魔されるパターンよくある話。「起業する」と言ったとして、「お前には無理」「寝言は寝て言え」「食べていけるの?」など、足を引っ張る発言を受ける場合。本当はそんな言葉は気にする必要もなく、むしろ何を言われようが突き進む意思がなければ、、、と思うのですが、それでもネガティブな言葉を浴びて、余計なエネルギーを使うのももったいない。そんな場合は黙っておいたほうがいいです。
・願望を言うこと自体に満足してしまうパターン上の「邪魔されるパターン」よりもさらに厄介なのかがこれ。例えば「起業する」といった場合、周囲がすごくいい人たちばかりで「すご~い!」「きっとできるよ!」「絶対成功するよ!」などと持ち上げられること。これはこれでよさそうですが、そう言われることで満足となり、むしろ言われることが目的となってしまう。
スピリチュアル系にもよくいるのですが、例えば「チベットで修行して悟りを開く」などと言って、「似合う~」とか「すっご~い!」とか言われながらニヤニヤしている感じ。こう言われるのが快感になってしまい、つまりは「自己重要感」を満たすことが目的になってしまう。起業してしまえば言われることはなくなる、修行に入ってしまっても言われることはなくなる、つまり「自己重要感」を満たす手段を失うわけで、それが目的になってしまってる以上、その「願望」は「実現」しません。
昔、部活にことあるごとに「辞める」という部員がいました。私はそのたびに「辞めるなよ~!」とか「頑張ろうぜ!」とか言ってたのですが、あまりにもしつこく「辞める」と言うので、私も最後は「わかった」と言いました。結局その人はなんだかんだと辞めなかったのですが、辞めてしまっては「辞めるなよ~」って言われる「自己重要感」を失いますので、それではもったいない。そんな人、よくいますよね。会社でも辞める辞めるという人はなかなか辞めませんが、本当に辞める人っていきなりですもんね。私もそうでしたが。
以上の二つが「願望を人に言ってはならないパターン」ですが、それ以外はどんどん言うべき。実際には「それ以外」に当てはめる人ってそんなに多くないので、最初は言わない方が得策とは思いますが、私なんかは絶対言った方が良いパターンに入っています。
ついでに言うと、こんな人も「願望」は叶いません。それは、
・「願望」を言うのが恥ずかしいパターン
これはやっかいです。結構多いんですよね。セミナーなんかでも、「願望を発表したりするのが恥ずかしいので・・・」という人。申し訳ないですが、「恥ずかしい願望」なんて叶うはずないです。究極には「今日の夜、何食べます?」と言われて、「とんかつ食べます」ってさらっと言える状態が叶うコンディション。「3年後、どうなってますか?」と言われて、「起業して成功しています」とさらっと当然のように言える状態。この場合は言ったことが強化されるので、3年後と言わずにもっと早い段階で実現している可能性は大。
だけど、「恥ずかしい」ってのはまず実現しません。「パワーか、フォースか」って本の中にも「羞恥心は最も波動の低い感情だ」と書かれていますが、その「羞恥心」につながるような「願望」を「潜在意識」が受け入れるはずはありません。
ですので、例えばそのような感情を持っている人は、例えばセミナーなどで、まずは「表現する」ことを実践してみることをお勧めします。セミナーでは反対する人もいないし、過度に持ち上げる人もいないでしょうから。ただ、淡々と「願望」を口にして、その「当たり前感」を高めるだけ。そんな「きっかけ」のためにもいいと思います。そんなわけで、今日は短いですが、シンプルに。ありがとうございました。