相変わらずやな 2012.8.9

 なんとなくですが、猛暑日が過ぎたような。朝晩はちょっと涼しい。お盆過ぎると間もなく「秋」が到来して、ちょっと切ない季節になりますね。私は毎年9月から加速が始まり、文字通り実りの秋を迎えますのですごく楽しみではありますが。9月末から東京に行く機会も増えます。東京出張は1月以来。心理セラピー講座の受講がそもそもの目的だったけど、それに合わせてお仕事もいろいろ頂いています。出版も年内には決めたいですしね。そして12月はいよいよアセンション、、、なんていう話も最近は聞かなくなりました。2004年の人生どん底期にそんな話を初めて聞いて、そこから精神世界とかに興味を持ち始めたのは事実だけど、いろいろ関わっているうちにアホらしいことも多くて。でもきっかけはきっかけとして、大切なこともたくさん学べたのでよかった。それもまた昨日の話のように、何かの導きだったのかなと思う今日この頃です。

 ところで秋からの東京出張に合わせて飲み会の予定もいろいろ入ってます。その中に高校の同窓会的飲み会もあって、フェイスブックでその案内がありました。私もすぐに「参加」を押してイベント内に書き込みとかしてるうちにまたもや記憶の蓋が。。。高校時代は寮生活だったためか、よく語り合いました。特に高3のとき。人生について考えたくなる時期でもあって、11時の消灯後、先生が見回りをしたのを見計らって別室に4~5名がよく集まっていました。お菓子広げながら。もちろん酒はないけど。で、何かについてよく語り合っていました。そんなのをするのが好きなのはもっぱら私で、あれこれと深掘りしながら語るんです。あと、なぜか私の耳にはいろんな情報が入ってきてて、そんなのを披露する場でもあった。当時からスピーカーのような存在で、私に対してはそれだけ警戒してしかるべきなんですが、そんな奴に限ってしゃべりたくなるもんなのかな。

 一番よく耳に入ってきたのは「好きな女」の話。そんな話こそ私なんかにしちゃダメなはずですが、おそらく盛り上げるのが上手かったんだと思います。そして絶対に否定しない。たとえどんなに高根の花の女子のことを好きになろうが、「オマエには無理」とか「身の程を知れ」とか絶対に言わない。あ、だからか。私にいろいろ話をしたがる人がいたのは。あまり仲良くなかった同級生の中に、私が何か言うと「寝言は寝てから言え」って見下した態度で言う奴がいましたけど、確かにそんな奴とは話したくないですもんね。ただ、私の場合は否定はしない代わりに、過剰に盛り上げる習性はあったかも。

 例えば高3のときです。すごく仲のよかった友達の一人が、ある女子のことが好きだと打ち明けました。だけど、その男はちょっとシャイなタイプだったので、まず、自分から告白するなど考えられなかった。そこは夜の語りの場ですよ。盛り上げて盛り上げて盛り上げまくったらいつ間にか告白してて付き合うようになってやんの。そうなると人は残酷になるもんで、それ以降は意図的にその話を避けるオレたちがいてね。今ならそのときこそ盛り上げてやればよかったものを、だって悔しいじゃないですか。そいつばっかり調子に乗って。そんな非情なとこを持ちながらも、だけど、盛り上げるのは好きだし上手かもしれない。そう考えると、今のまんまじゃないですかね。コーチングなんてスキルを学べばできるようなものでもなく、あれほど「天然」の要素が重要なものもない。以前、コーチ養成講座で資格を取った人から、デモでコーチングを受けたことありますが、どんどん下がってきちゃうのですよ。だけど一方で、コーチングなんか知らなくとも、話をするだけでテンション上がる人間だっていますよね。その意味では、私は当時から人を動かす天然コーチ的な要素があったのかもしれません。

 話し方も今思うと天然でして、例えば「大丈夫やって」とは言わずに、「オレはいけると思う」と主語を自分にするんです。「あなたは大丈夫」ではなく、「私は、あなたが大丈夫と思います」とする。これを「Iメッセージ」と言うのですが、その方が相手は受け入れやすくなるんですよね。それ以外にも、「もしオレがあいつ(女子)の立場やったら、絶対にOKすると思う」とか、まあ、無責任も甚だしいのですが、「Iメッセージ」と「as if フレーム」を組み合わせてメッセージを送りこむんです。するとそれを受け取った人は、どうしても動きたくなる。それをごくごく自然にやるもんだから、私にそんな秘密をしゃべりたくなるんでしょうか。なんだかんだとコーチングの資格も持っていませんが、それでもぶっちゃけ、コーチングだけでも食べていける状態にあるのは、おそらく私の天然要素が土台にあったからなんでしょうか。

 そんな感じで同級生とは夜中によく語っていましたし、吹奏楽コンクールの合宿中も夜中に後輩とよく語っていました。「夜中」ってのはトランスに入りやすい時間帯だけに、深い話もよくできたもの。日中だと恥ずかしかったり、いろいろ考えたりして話せないような内容も次々と出て来て、、、そして翌日に後悔するパターンでしょうか。で、そう考えると、、、今も同じことやってることに気づくわけですよ。

相変わらずやな 2012.8.9_b0002156_1224018.jpg 例えばツアーです。Q州とか熱海とか沖縄とかインドとか、とかく「大人の修学旅行」的にツアーを企画してるわけですが、その「裏のメイン」はなんと言っても夜の語りだったりしてね。今なら酒もありますので、よりいい感じにトランスに入りながら、深い話ができたりして。そこで重要なのは、決して議論をしない、相手を悪く言わない、そしてすべてを受け入れること。何を言っても「OK」として承認するんです。すると、人はどんどん自分を表現したくなって、心のアカが取れていく。そうやって心が丸裸になった瞬間、本当の自分が見えてくる。自分のしたいこと、自分のすべきこと、そして自分の役割・天命が見えてくるのです。7月のQ州ツアーでも二日目のペンションのあの部屋で、、、メンバーがどんどん覚醒してく姿を見ることができました。別に私と直接話をしなくてもいい。それまでの「場」を作っているので、その「場」にいるだけで心がどんどんスリムになっていくんです。

 で、そのような「場」を作るための原点はどこにあったかと言うと、やっぱり高校時代の寮の一室だったのでしょう。自分のなすべきことなんてのは、だいたい20歳くらいまでに決まってしまってて、残りの人生はその延長に生きているだけ。私で言うと、今みたいに文章を書いて発信し続けているのも、すでに小学生の頃に片鱗がありました。弟がプログラムしたゲームの「説明書」を書いて投稿したのが小5。その雑誌は国会図書館にはあると思います。弟は文章こそ書かないけど、プログラムを組んだりするのは昔から得意で、今はやっぱりそんな仕事をしています。セミナーとかで人前でしゃべることに関して、確かに苦手意識のある時期こそあったけども、高校の頃にはそれが得意って意識に変わっていた。高3の春休みにクラブの部員に2時間ほど熱く語ったのも、今思うとセミナーとか講演そのもの。それ以外にも「昔から変わってねえやん」ってことが今、次々と浮き彫りになってきていて、だからこそ今の自分に自信が持てるもん。

 特定の同級生とは1~2年ごとに会ったりはしてるものの、おそらく今度の同窓会ではフェイスブックで一気に広がってるので、それこそ22年ぶりに会う同級生も多いことでしょう。昔の人間に会うことで、私が一つだけ大切にしてる言葉あります。それは「相変わらずやな」って言葉。確かに年齢を重ねると見た目も変わるし、社会的立場も変わる。いろいろ変わる部分も多いでしょうが、だからこそ私たちはその「変わらない部分」がよく見えることがあり、その部分のことを「相変わらず」と呼んでいるのです。そして本質的に自分もまさにその「相変わらず」の中にあるもんです。10月には東京で、そして年内には大阪でも同級生と会う機会がありそう。特に大阪では卒業後一度も会ってないばかりか、高校になってからほとんど接点のないような過激に懐かしい同級生と会うことになるでしょう。そこでどんな「相変わらず」が登場するのか。それを見るのは正直、怖い気もするのですが、だからこそ自己の本質に触れるきっかけにもなるのでしょうか。ま、そんな堅苦しいことは言わずに、ただ、楽しむだけでいいんですけどね。

 そんなわけで、これからも相変わらずの自分を生きていきたいと思います。ありがとうございました。
 
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by katamich | 2012-08-09 23:39 | ■人生哲学 | Comments(0)