明日が楽しみ 2012.8.8
2012年 08月 08日
「経験値」ってのはバカにできないもので、例えば二十歳くらいのときに読んでいた哲学書なども、当時は歯が立たなかったけど、今ならかなり理解して読めますし、また、歴史なんて私の一番苦手分野だったけど、今は面白くてたまらずすいすい読める。高校で「歴史」なんて教科が存在してたこと自体不思議。英語もそう。私はそんなに英語を使ってきたわけじゃないけど、最近はアマゾンで洋書を注文して読むことも増えてきました。もちろん専門書に限りますが、必要であればどうしても読んじゃいますからね。今読んでるのはロバート・ディルツの「Beliefs: Pathways to Health and Well-Being」って本ですが、こちらは秋から心理セラピー講座を受講するその予習として。ディルツ氏の本で日本語になってるのは3冊くらいですが、洋書はめちゃくちゃたくさんあって、とりあえず今最大関心事である「ビリーフ」については、しっかり押さえておく必要があります。
高校時代は一枚二枚の英文を読んで問題を解かされるのですが、おそらく今ならそんなに苦労せずとも読めるでしょう。それは英語力ではなく「経験値」で読めるんだと思います。その意味で言うと、「予備校」って文化はすごかった。特に英語や現代文に関しては、講師の中には受験テクニックよりも、その背景となる「教養」を重視する人がいました。私が感銘を受けた講師もそのタイプであり、優れた講師はテクニック的なことをおさえながら、しっかりと「教養」が身に着くような教え方をされていました。
例えば今、ちょうど広島と長崎の原爆を思い出させる時期にありますが、なぜアメリカは原爆を落としたのか。表向きは戦争を終わらせるため、つまりそれ以上の犠牲者を出さないためと言われていますが、それが方便であることは一般の教養人ならわかります。あの当時の日本は完全に死に体で、物理的な戦闘力は限りなくゼロ。ただ、日本は「神の国」としての「神風信仰」がありましたので、そのような「精神性」がわずかな命を保っていた側面はあるでしょう。そのような日本の精神主義は列強にとって脅威に写ったのもわかります。だからと言って、あの時点で原爆を落とす正統な理由にはなりません。国際法上も議論の分かれるところですし、それ以前に同義的に許されることではない。それはアメリカもわかっていたはず。それでも原爆を落とす理由はどこにあったか。それは「冷戦」を見据えていたから。同じ連合国であれど、あの時点ですでに日本は敵ではなく、最大の敵はソ連でした。つまり「民主主義対全体主義」という大戦の大義名分は終わっており、終戦を待たずして「資本主義対共産主義」って新たな戦争が始まっていたんです。
で、私たちが受験をしていた1990年代ってのは、とりあえずドイツ統一とソ連解体によって「イデオロギーとしての共産主義」の終焉を迎えてはいたのですが、それでも日本の学者の多くはまだまだ「計画経済」による理想主義を掲げる人が多かった。と言うことは、大学の先生が出す設問のほとんどが「市場経済」や「自由主義」を批判する立場のものが多く、そんな知識があるだけで社会科学系の入試であれば、問題文をさらっと読むだけで解けてしまうし、小論文なんてのは完全に点が取れる試験です。かく言う私も、最後は小論文で合格したのだし、さらに言うと浪人時にすでに小論文は得意としていました。当時は文学部哲学科を志望していたのですが、模擬試験では最高で全国11番にまでなりました。ですので、センター試験が良かったら某国立大の哲学科に進学していたかもしれません。人生に「もし」はありませんが、だけど結果的には行かなくてよかったのでしょう。と言うか、もし私が福岡以外の大学に行っていたら、そして福岡に住んでなければ「滝行」はしてませんからね。
こうやって人生を振り返ってみると、やっぱり何一つ「無駄」はない。もし私が浪人せずにストレートにどっかの大学に入っていたら、間違いなく人生間違っていた。何度も言うけど「もし」はない前提で考えて、何か目に見えない導きによって「浪人」させられたことは間違いない。浪人したおかげで予備校に行って、その予備校でなぜか「社会」や「世界」に猛烈に目を向けるようになり、それが大学卒業後に「世界一周」を決意させたきっかけとなりました。で、世界一周したからニートになれたし、ニートになれたかワーキングプアにもなれた。ワーキングプアになれたから会社を辞める決意ができた。あえてその「もし」の糸をたどったとして、もし「浪人」してなければ予備校で得られる財産を手にする代わりに、順当な4年間と新卒資格を最大限に活かした就職ができていた。となると、ニートにもワープアにもならずそこそこの給料。もちろん会社を辞めることはない。それはそれでよかったかもしれないけど、だけど、今の私から見たら怖い限り。だって、今ってどう考えても最高ですから。ほんとに。人生ってこんなに好き勝手できるもんだとは、20年前は思いませんでしたからね。
だけど、これは私だからこそピッタリなのであって、人それぞれにハマってる場所があるもんです。例えば高校時代、すごくリーダーシップのある同級生がいました。そいつとはついこないだ福岡でも飲んだのだけど、彼は今、すごく勢いのある会社の役員をしています。で、その飲んだ直後に本当に偶然なんですが、ミクシィ経由で彼の部下からメールをもらいました。とある講演会の関係で。で、その会社名を知ってたので返事すると、「いきなりのメール失礼致しました。 新入社員の○○と申します。 ●●室長は本気で漢で心から尊敬しています! なんだかとても嬉しいです。 」てな返信。その●●ってのが私の同級生。やっぱりなあ、と思うのですよ。あいつはどこ行ってもあいつだな。組織のリーダーとしてしっかりと役目を果たし活躍する。私にはできないこと。だけど、私は私で今の感じがピッタリしてて、もし彼が私と同じような状況だったら彼の持ち味はおそらく発揮されない。そしてそれでいい。彼は今の彼の立場で「一致感」を持ってるだろうし、私もまた今の私の立場で「一致感」を持っている。結局のところ誰もが「一致」する方向に向かって、何かに導かれている。その「何か」のことを「神」と言おうが「守護霊」と言おうが「ハイヤーセルフ」と言おうがなんでもいいですが、自分は自分にしかなれず、自分が自分であるようにただ動いている。
そのことに気が付いたとき、私は「すべて」を受け入れられるようになりました。それは2004年辺りから。ちょうどブログを始めた時期に重なります。そして完全にそうだと確信したのは、2005年5月のインドでのこと。ラダックの丘の上で突然の天啓がやってきて、そこで得た「情報」を証明するためにフリーランスの生活がスタートしたのです。そしてあれから7年ほど経ちますが、やっぱりその「確信」を確信するしかない状況にあります。
今から20年前、もし私が普通にどっかの大学に合格してたら、、、今の私はありません。正直に告白しますが、私は偏差値40以下の大学にも落ちたのです。関西の某私立大学の二部。あの時点で一応模擬試験上はその大学の一部がちょうどボーダーらへん。二部はそこから偏差値が15以上下がりますので、完全に滑り止めのつもりで受けました。それも二つ。だけどその二つとも落ちました。二部に合格していたらとりあえず入って、一部への編入をすればいいと考えていた。だけど、それもかなわず「浪人」を突き付けられたのです。他に選択肢がない。受け入れがたい状況ではありましたが、もし今、その当時の私にアドバイスするならば「よかったね~、浪人しろ!」って言うでしょうね。と言うか、もし私がその合否をコントロールできる守護霊的立場にいたら、間違いなく受験は全滅に導きます。二部に入って一部に編入なんて姑息なこと考えさえず、予備校行って本当に必要な勉強をするよう導きますね。

と言うことは、今の私の状況も20年後の自分が導いているのかもしれません。60歳になった自分から今の40歳(正確には39歳)の自分を振り返ったとき、絶対、「それでいい」って言うと思うのです。と言うか、そう導いているのだから、そう言うしかありません。つまり今の状況が完全に完璧。何一つ無理も無駄もない。すべて受け入れ、すべて感謝しかない。そう考えると、20年後が楽しみ、10年後が楽しみ、1年後が楽しみ、1か月後が楽しみ、そして明日が楽しみ、今が最高。人生って上手く出来てるもんですわ。
そんなとこで今日も取りとめもない話になりましたが、書いててテンション上がってきたので、この先がますます楽しみに。ほんま、楽しいっすね。それではまた明日。ありがとうございました。
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