暗黒の中学時代に・・・ 2012.8.6

 オフィスにクーラーが付いて快適です。ちょっと前に広いリビング用のエアコンも買っていて、最近のはほんま優れもの。省エネ仕様になってて、しかも電気代が表示されるんです。一日中付けっぱなしでも、一日で数十円。仮に一日100円だとしても月3,000円。それでこの快適さを買うかと言えば、買わない理由が存在しない。だけど快適すぎて身体が鈍る恐れもあるんで、適度に外に出て、滝にも打たれて身体をほぐさなきゃですね。真冬の滝だとおそろし~って言われるのだけど、今の酷暑の季節、家から車で15分のところに本格的な修行の場があるのはありがたいです。福岡は弘法大師が最初に寺を建立したとこでもあるので、真言宗には縁ある地域も多いです。県内の彦山、宝満山も修験の山として有名。どちらも弘法大師に深い縁があります。

 そして私の実家も修験とは深いご縁が。修験の祖、役行者が修行した山として知られる「金剛山」があり、その山系に「葛城山」ってのもあります。福岡に来て20年になるので、ちょうど大阪と福岡で人生の半々を生きたことになりますが、地元大阪は修験のメッカでもあり、大学で住んだ福岡県田川市は、それまた修験道の彦山が近くにそびえます(田川郡添田町)。その後、福岡都市圏に引っ越したら、また近所に修験道の宝満山がある。私は住むところ住むところ「修験」に引き寄せられているようで、ある意味、密教や修験の「行」をするのは生まれつき決まっていたかのような。

 そんな感じで今はちゃんとした導師(天台修験)について修行に勤しんでいるわけですが、一方で近頃、故郷が心理的にすごく近くなってきた感じでもあります。その原因はフェイスブック。今、フェイスブックグループには50名以上の同級生が集っていて、これからもどんどん増殖することでしょう。ちなみに私らは中学・高校と寮生活をしていて、当時の高校の男子寮は「金剛寮」、女子寮は「葛城寮」という名称でした。これは言うまでもなく金剛山・葛城山にちなんでおり、だからと言って、修験の色があるわけでもないです。団体生活で修行のようなともあったので、ある意味、無縁ってこともないでしょうが。

 で、そのフェイスブックグループをメインで管理してくれてるのが、地元に住む女子。Kちゃんと言いますが、彼女は小学校から高校まで一緒。だけど、当時は男子と女子があまり仲良くする雰囲気でもなく、特にひどかったのが中学の頃。高校になるとある程度大人になるのでまだマシでしたが、中学の頃は「敵対」してると言っていいほどしゃべらなかった。「アメトーク」で「いけてない中学生」がかなり笑えるのだけど、あの「笑い」の大きな側面に「共感」があるんだと思います。中学生ってのは、子どもと大人の境目にあって、特に「異性性」を強く意識する時期。特に男が幼い。あの年代は精神年齢的に女子の方が高くて、それは女子の方が先に身体的変化を経験するからとも言われるのだけど、いずれにせよ「中学男子」ってのは、ある意味「異性物」のような存在。サブカル用語に「中二病」ってのがありますが、これはもっぱら「中学男子」のことを指します。中学男子にありがちな痛い行動のこと。

 たとえば、


「ろく聞きもしない洋楽を語り歌謡曲をバカにする(・・・だけどCCBやアルフィーには反応)」

「中途半端な知識で公共事業等を批判する(・・・世の中には道路工事より重要なことがある、とか)」

「爆発するほど興味あるのに『オレは女に興味ない』みたいに硬派を気取る(・・・相手にされてないだけで、いざ女子から話しかけられると挙動不審)」

「漢字や単語を覚えることへの無意味さを説く(・・・テストなんだから、まずは覚えろって)」

「あからさまに校則違反する勇気もないくせに『オレ、今日、変型(ズボン)はいてんねん』とこっそり不良をアピールする(・・・アピールされてもそれが変型かどうかわからない)」

「3時まで眠れず起きてただけで、翌日、徹夜したと自慢する(・・・それがどないしてん)」

「整髪料を語る(・・・おしゃれに詳しいことをアピール)」

「自分たちのグループを『軍団』と呼び、クラス最強であることを軍団内で確かめ合う(・・・基準は不明)」

「自分の予言は当たるんだと言い張る(・・・人にはない能力があるとアピール)」

「必要以上に派手なトランクスをはく(・・・ブリーフはガキ)」



などなど。以上のはネット等で調べたのではなく、当時、身近にいた同級生から事例を引っ張ってきました。まだまだありますが、キリがないのでこの辺で。ま、今振り返るとかなり痛いわけで、おそらくこの根底にあるのは「自己重要感」の芽生えでしょうか。小学生の頃はある程度同じ。多少、勉強できる、運動できるはあっても、それを「数値化」して比較されることも少ない。少なくとも私のところでは。だけど、中学に入るといきなり「席次」ですから。そしてAからDまで習熟度別でクラス分けされる。一方で部活動が盛んになるので、何割かは試合等でいい成績を残すようになる。だけど、大半は勉強でも運動でも目立つことなく、それでも自分は特別な存在、VIP(最重要人物)だと認めて欲しい欲求はある。それが「中二病」に結びつき、同時に「いけてない中学生」を生み出すのでしょう。だからこそ「アメトーク」が笑えるのです。動物園のゴリラがどんなに面白い仕草をとってもさほど笑うこともない。なぜならそれはゴリラのことであって共感がそこにはないから。笑いには「共感」が必要なんです。「いけてない中学生」はまさに共感の宝庫。

 そんな「中学男子」を一番身近に見ていたのが「中学女子」です。精神年齢の低い男子を見て、それはもう笑いの対象になったことでしょう。ただ、女子は女子でそんな男子を笑いながら、アイドルとか、高校生とか、または先生とかに異性としての憧れを強くする。それも「(中学男子特有の)中二病」と同じく一種の世代病だとは思いますが、それはさておき。

 とにかく私は中学が楽しくなかった。中学に入った途端に元気がなくなった。理由はたくさんあるんだろうけど、一つは先輩のうざさ。中学1年2年のときは幸い寮には入ってなかったのですが、兄が一つ上で勉強ができて目立っていた分、妙に目を付けられるのです。まあ、細かいことはさておき、そんなこともあって、いろんなこともあって、自分の中では「おとなしくしておいた方がいい」と思い込んためか、暗く、存在感のないキャラを演じるようになりました。担任からも「表現力が乏しい」と言われ、そんな言葉もまた傷つくわけですよ。

 そして私も中学二年生になりました。文化祭ってのがあって、そこでクラス対抗歌合戦のような催しがあったのです。私には無関係と思いながら、クラスの女子の数名が突然、私を推薦してきました。その首謀者がAです。なぜ推薦されたのかわかりませんが、きっとおかしかったからでしょう。悪気という悪気はないのでしょうが、私の存在感のないキャラが逆に面白かったのか。そして先ほどのKとさらにNって女子がやたらと目立っていました。担任からも「オマエは表現力が乏しいからいい機会だ」と言われ、クラス代表になってしまったのです。ただ、私一人ではあんまりだったので、もう一人男子が選ばれることとなり、二人で松田聖子を歌うことになったのです。だけど、私は歌も知らないし、練習もしていない。もう一人の男子はそんなことが割とできる方。

 そして文化祭当日、私はステージに立つ直前に失踪しました。そしてステージで一人残され、声をかすらせながら歌い上げる男の姿を会場の一番後ろから見ていました。そして「ああ、人生、終わった」と中二的に思い、クラスのテントに戻ると一部の男子から大ブーイング。担任からも小言を言われ、その日、私は周囲から無視されるようにテントに座っているだけでした。文化祭も終わりに近づき、テントを撤収する際、皆が嫌がるゴミ捨てを私が率先して買って出ました。最後に担任が「石田はあんなことになったけど、最後に活躍した。感動した。許してやろうじゃないか」と締めくくったのですが、一部の男子は「ゴミ捨てしたからって許されるわけじゃない」と言われ、、、今思うと、ああ、中学生でしかない。。。

 その翌年、また文化祭で歌合戦のイベントが企画され、クラスから代表者を選ぶことになりました。そして選ばれたのがまたしても私。それは男子から「前科」があると言われ、無理矢理押しつけられたのです。完全な悪者です。今度は誰も助け船がないので、私一人で歌うことに。今も人前で歌うことは得意じゃないですが、当時はもっとダメ。それどころか「暗く存在感のないキャラ」を演じていたので、人前でしゃべることもダメ。とにかく目立つのが嫌だったのです。

 休憩時間も「前科がある、前科がある」と攻め寄られ、半ば、いじめに近い雰囲気にもなりました。四面楚歌。そして最終的に代表者を決めるシーンで、男子連中は私を推薦するのですが、そこで手を挙げたのが先ほどのKでした。

「私たちが歌います」

 そしてNとA。前年私を陥れようとした女子たちが今度は逆に助けてくれた。いや、決して陥れようとしたんじゃない。良くも悪くも、私は「何か」があったんだと好意的に解釈できるかもしれない。「クラスで一番存在感のない男」と言われるほど「存在感があった」のが事実だし、もしも私が選ばれたら、それはそれで何とかなるんじゃないかと考えたと思うのです。正直なところ、本当にリアルに存在感のない男だって他にもたくさんいたわけで、もしその誰かが代表に選ばれでもしたら、それこそシャレにならない。

 仕事でも人生でも同じで、人は越えられないハードルを与えられることはない。頼まれごとは試されごと。そのとき、結果として私は逃げることになりましたが、その出来事自体は今思うと大きなギフトでした。注目されることの大切さ、クラスで四面楚歌になったときの絶望感、そして女子の優しさ。そのことは私にとってリアルな「経験」として、25年経った今でも血肉となって生きてるのです。

 そんな私にも転機が訪れたのが、それからちょうど一年後のこと。ここからの話は割愛しますが、高校の「金剛寮」でのこと。夜に毎日順番にスピーチする機会が与えられたのですが、元々人前でしゃべることの苦手意識があった私は、そのときもまた憂鬱でした。だけど、いざしゃべってみると、、、なぜかウケたのです。不思議な感覚。そして出たい奴は何度も出ていいと言われ、私はSという男と競うように前に出てみることに。Sには申し訳ないながら、Sの話は面白くなく引っ込め~的なリアクションだったのに対し、私には「期待してるで~」との声。「人前で話をする」ってことの自己認識が180度変わりました。

 ただ、それは「変わった」のではなく、「戻った」のだと今ならば思えます。中学時代の私はとにかく目立ちたくない一心。目立つことは恐怖。大人しく、暗く、存在感を消す。そんな生き方を選択し、そんなベールをかぶって過ごしていました。そのベールを脱いだのが高校一年のそのとき。その後、高校時代もそうですが、卒業しても人前で話をすることに恵まれました。様々な機会を通して、私は人前でしゃべることに磨きがかけられ、気がつけばそれが仕事になっている。相手が誰であろうが、100人であろうが、まったく問題ない。その結果の一つがこれ。
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 ちょうど一年前の九州ベンチャー大学でのワンシーン。「一風堂」の河原社長、「やずや」の矢頭会長、「お仏壇のはせがわ」の長谷川社長など九州を代表する経営者と同じ場に登壇した講演会。最後はイスに乗り出して熱く語る。その場にいた知り合いからは「まさか、そんな!」とビビったそうですが、私には関係ない。相手が大統領であろうがやる。実業での実績のない私ができる唯一のことがこれ。言葉じゃ足りなかったら、イスに乗り出してでも力一杯ぶつけるしかない。

 だけど、、、そんな私も中学二年の文化祭では人前に立つのが嫌で逃げた「前科」を持つ男。それだけ苦手だったにもかかわらず、私を推薦したAちゃん、Kちゃん、Nちゃんらは、そんな私に「何か」を感じていたのかもしれない。確かに当時はウザかった。特にA。何でオレやねん。他にも適任者はおるやろ。だけどその一方で、形はどうであれ、選ばれたことは40名のクラスで私だけが得た特権。それこそがまさにVIP待遇。

 目立つまいとなりを潜めていたあの当時、私のかすかな「潜在力」を直感的に嗅ぎ取って、まさに女の直感とでも言いましょうか、その潜在力を表に出そうとした。都合の良い解釈も甚だしいでしょうが、それでもあの場で私を「承認」したAとKとNには感謝しかない!!

 そんなわけでちょっと熱く語ってしまいましたが、フェイスブックでKちゃんとはやり取りをしている状況。だけど、実は卒業してから一度も会ってない。AちゃんもNちゃんも同様。フェイスブックのおかげで同級生が会う機会がどんどん増えてるし、私が大阪に帰ったときは集まろうとも言ってくれています。だけど、内心はちょっと怖い気も。なぜならまた私の深層をえぐられそうで。高校になってからは彼女らともクラスが違って、ほとんど会うこともなかったのだけど、それだけに私の暗黒の中学時代が蘇ってきそうで怖い。だけど、、、私にとって必要なイベントだと思うのです。そして会えば会ったで間違いなく爆笑してしゃべれるはず。そしてまた新しい何かを発見できるのかも。よし。決めた。年内に二冊目の出版を決めて、それを機に集まりに参加しよう。それまでオレは、、、逃げる(笑)

今からまた執筆を進めます。頑張ります。ありがとうございました。
 
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Commented by さてぃ at 2012-08-08 10:23 x
 永ちゃんも松本もラジニーシも一人さんも郡山もイチローも信長もB型らしいです。
Commented by ニッキ at 2012-08-09 14:09 x
こんにちは。
D.カーネギ 人を動かす。推薦書読み終わりました。
なぜだかコメント欄にコメントしたくなりました。人を動かすとは、根底に人を思いやる心がないと、スキル的にやっても人は動かないんだなあ。と「顔をつぶさない」章を読んだときに強く思いました。
顔をつぶさない。このことは簡単に記載してあるけど、ものすごく対象に対しての気遣いと思いやりがないとできないことだと思いました。
仕事をしている時はこの自尊心を埋めるがごとく、他者の顔をつぶすことに全力をかけてました、私。でも言葉がなかなか見つからずだまって他の人が攻めるのをみてホッとしてました。弱い私です。
読んでみて、Qさんがすすめるのがよくわかりました。何度も読み返すたびに深く内省できると思いました。ありがとうございました。
Commented by katamich at 2012-08-11 20:29
■さてぃさん!
なるほど~。
Commented by katamich at 2012-08-11 20:30
■ニッキさん!
あの本はほんと、ヤバいっすね!
心がどんどんクリアリングされていくようです。
by katamich | 2012-08-06 23:39 | ■人生哲学 | Comments(4)