常に誰かために書いている 2012.7.16
2012年 07月 16日

ところで今日、一つまた書きたいこと。ただ、昨日あんなに「反省します」と書いたばかりの今日で、また「攻撃」かよ!と思われる話になるかもしれません。ちなみに昨日の記事は評判よかったです。笑えると言って頂いた方も。それはそれで嬉しいもんですね。笑わせるつもりまったくなかったのに、単に笑われてるだけか。でも、ありがとうございます。で、昨日の記事を読んだ読者さんから、フェイスブック経由でメッセージを頂きました。それは、なんとかって言うお坊さんの話を聞けという内容。ネットで聞けるそうです。ですが、私はそのお坊さんを知らないし、どんな内容かもわからない。ですので、「どんな内容ですか?」と聞くと、瞑想の話が中心とだけ。私の昨日の記事を読んで伝えたくなったとか。ただ、こんなブログ書いてるからでしょうが、その手のメッセージってよく頂くのです。〇〇を読んでくれなどなど。本を送ってきて頂ければ読む気にもなりますが、タイトルだけ教えてもらって、どんな内容かもわからない。しかし、私的にはもっと気になることがあって、それはその本や話の内容ではなく、その話を聞かせたいと思ったその方の「深層情報」について。つまり、どうして私にそれを聞かせたい(読ませたい)と思ったのか。
この先、批判するつもりはまったくないですが、そんなニュアンスにもなりかねないので、美しい話しか読みたくない方はここで閉じた方がいいです。「〇〇は〇〇で○○だから読んで欲しい」ならわかるのですが、「〇〇を読んでください」だけだと、「え??」っとなるんです。多少なりとも時間やお金が奪われるわけですし。だいぶ前、どっかの異業種交流会でお会いした男性から、突然、電話がかかってきたことがあります。今度なんとかってビジネスのコンベンションがあるから招待します、との電話。場所は東京。で、どんなビジネスなんですかと聞くと、とにかく来ればわかると。せいぜいマルチかなんかと思うのですが、今がチャンスだとか、とにかく「来ればわかる」の一点張り。その方とよほど信頼関係があれば考えようもありますが、一度お会いしただけで顔も名前もよくわからない。なのに、福岡から飛行機代使って東京のビジネスセミナーに来いとのこと。もちろん断りましたけどね。
それと同じで、そこまでは時間もお金もかからないにしても、「内容」を言わずに読め聞けと言われても、そんななの一つ一つ対応できません。このような場合、最も模範的な返答は、「貴重な情報ありがとうございます!時間のあるときにでも是非聞かせて頂きたいと思います!(だけど聞かない)」なんでしょうが、私はそんな表面的なコミュニケーションは無駄と思っています。無難ではあれど、何も生み出さない。もし、そんな表面的な対話をお望みであれば、私とは関わらない方がいいでしょう。100人いれば97人は無難な対応すると思うので、それをお望みならそちらにどうぞ。だけど私はあいにくと残り3人なので、そうはまいりません。私は本音で問います。興味があるので問います。それはその話の内容ではなく、なぜにその方がその話を私に聞かせたいと思ったのか。
しかしその返答は私をガッカリさせるものでした。「その話に興味がないのなら、これ以上は迷惑と思いますので、失礼します」なる返答。興味あるもないも、それを判断する材料がありません。単純に「聞け!(読め!)」ってのもアリだとは思いますが、それは私とすでに信頼関係があるか、または影響力のある方かの場合においてのみ。私の高校時代の親友から「是非、この本をオマエに読んで欲しいと思った!」と言われたら、買ってでも読むでしょう。または神田昌典さんとか土井英司さんとか栢野克己さんとか、影響力のある方のおススメだったら、それも買ってでも読むでしょう。ただ、大変失礼ながら、私にお坊さんの話をおススメされた方は、だいぶ前になんかのセミナーで一度お会いしただけで、正直、よくわからないのです。すみません。はっきり申し上げてこれが事実です。私はブログを書いて発信していますので、私に対してはある程度の情報はあると思いますが、私はその方に対する情報がほとんどないのです。これを読んで気を悪くされたらすみません。だけど、人間って所詮そんなもの。私も以前、ある会合に参加して、再び別の会場でお会いしたときご挨拶したのですが、その方は覚えていらっしゃいませんでした。だけど、そんなものです。実際にお会いしたら思い出すことはあっても、「名前情報」だけだったらさすがに限界です。
だからこそ私は知りたい。なぜにその話を私に聞かせたいと思ったのか。私が興味あるのはその一点。ところでなぜ、私がこんなことに噛みついてしまうのか。無難に「ありがとうございます!ぜひ聞かせて頂きます!」とだけ返事して放置してもいいはず。だけどそうしないのはなぜか。それは私が「伝える」ということに対して、並ならぬ使命感を持っているからです。こんな個人ブログでも、毎日、2,000名近くの方にお読み頂いています。決して多くはないですが、少ないとも言いません。そしてこうやって毎日更新していく中で、読者さんとの様々なドラマが生まれているのです。当然、気を悪くされる方もいらっしゃるでしょうが、その何十倍も興味を持って読んで頂いているのは事実。そして私が書いた何かの記事に助けられたなるメールを頂くこともあります。今度のQ州ツアー参加者には、そのような方が複数いらっしゃいます。
その上で、私はしばしば本やDVD、セミナー、講演などの「情報」をおススメすることがあります。もしかしたら中には「Qさんが勧めるから」だけで購入される方もいらっしゃるかもしれません。しかし、私が何かを勧めるときは、そこに信念があります。そしてもっと言いましょう。私はブログを通して何かを勧めるとき、いや、毎日書く記事自体がそうです。それは漠然と不特定多数の読者さんに向けて発信しているのではありません。ほぼ毎日、「特定の誰か」のために書いています。それは私のセミナーやツアーに参加した人、またはどっかのセミナーや飲み会でお会いした人、高校の同級生の場合もあります。ツレの友達に対してもあります。本人が読んでいようがいまいが、毎日、特定の誰かのために書いているのです。もちろんその時々に思ったことを漠然と書き流していることもあります。だけど、それはむしろ例外で、ほとんどは特定の誰かのためです。
例えば私が「結婚」について書いているとしましょう。それは、名前は申し上げませんが、1月の熱海合宿ワークスに参加されたアラフォーの〇〇さんのために書いています。その方が幸せな結婚にゴールするためにはどうすればいいのか。それを私なりの考えと気づきを文字にして、その女性一人に向けて伝えているのです。そのとき、私の脳裏にはその方の顔がきちんと浮かんでいます。ただし、それを直接ご本人に言うことはありません。だけど、ご本人はわかっているはず。「これ、私のために書いてるんだ」って。そしてそのように思われる方は複数かもしれません。いや、複数いらっしゃるのです。ベストセラー作家養成の土井英司さんが言ってたと思うのですが、著書でも特定の誰かのために書くこと。するとその後ろには10万人の読者がいるんだと。もちろん私は10万人を意図して書いているのではありません。だけど、ブログを書くときは、たいてい特定の誰かに向けて書いています。
ビジネスのことを書いたら、例えば今度起業される麻井克幸さんのために書いていることもある。頑張れってことを書いたら、4月に公開説教してしまった服部瞬くんのために書いていることもある。この辺りはネットにも本名出してるので例示させて頂きましたが、私が何かについて書く場合、それはほとんど特定の誰かに向けてピンポイントで書いています。そしてそのピンポイントの方は自分だとわかるのですが、まだ私とお会いしたことない人、私が知りようもない人にとっても、それぞれの記事は「自分のため」として読んで頂いているのです。だからこそ、いつもメールを頂くのです。いついつの記事、心に響きました。失礼ながら、私はその方のことを知らない。当然です。知ってたら気持ち悪いでしょ。それでも、私は常に「誰か」のために書いており、2,000人近くいらっしゃる読者さん複数名にそれが伝わることがあるのです。
これはセミナーの告知でも同様。あの人がこのセミナーに参加されたら、絶対いいのに!!!!と思って告知しています。ただ、そうじゃないときもあります。それは案内文使いまわしのとき。昨年福岡でNLPセミナーやりましたが、その案内文を書いたときは、実は特定の誰かのために書いていました。言いましょう。昨年は山部香澄さんのために書きました。この方はちょっと前の「無料コーチングイベント」に申し込まれて、そのついでに忘年会にお誘いしました。実はその前にもどっかでお会いしてたのですが、直接お話ししたのはコーチングが初だったと思います。そして忘年会の席でインドツアーの話が盛り上がり、山部さんも参加表明されました。そして聞くと、会社を辞めたり、いろいろ自分の道を探っているとのこと。だったら、どこまで役に立つかわかりませんが、私がそのときにやろうとしていた6日間のNLPセミナーに参加したらいいのにと思って案内文を書きました。本人には直接お声掛けしていませんが、実は3番目位にお申込みされ、そのセミナーは満員となりました。そしてその余波はその後のシリーズでも続きました。
そして今年。なんとなくやろうかと思って、まったく同じ内容で案内したのですが、人が集まりません。当然のこと。だって、誰のためにもご案内してないのだから。強いて言うなら自分の売上のため。それじゃあ集まるはずありません。一週間前に中止して仕切り直し。Q州ツアーもそう。案内文もそうだし、それをあおるブログ記事でも、だいたい特定の誰かをお誘いしたくて書いています。直接本人には言いません。そこで、本当にその方が参加されることもあれば、そうじゃない場合もある。だけど、同じような誰か、まだお会いしたことなくとも、必要な誰かが申し込まれます。セールスレターなんかも究極、こんな気持ちで書くべきなんでしょう。
話を戻しますが、私は毎日このブログを更新する中で、日々、「伝える」ということを、意図するしないは別としてやっています。そしてその影響力も肌で実感することがあります。そこで特に何かを紹介する場合、私は単に「おススメします」とだけ書くのではなく、これはこれこれの内容で、こんな人に役だって、自分はこんな風に思って、多分こんなことにもなって、、、などなどしつこく書くでしょ。そんなに言うならばと、、、思わず入手される方も多い。ぶっちゃけ言いましょう。私はアフィリエイトとか積極的にやってませんが、このブログに貼ってるアマゾンアフィリだけでも、多いときで月に一万円くらいの報酬を頂いています。アマゾンアフィリがどんなものかご存知の方は、たった一万円でもそれが決して少額でないことはよくお分かりと思います。
もちろんそれは結果論であって、目的としてやったことではありません。それでも私は「伝える」と言うことに、並々ならぬテンションを持続して日々行っています。アフィリはその結果の一つです。だからこそ、申し訳ないですが、「余計なことと思いますが、〇〇を聞いてください」などと言われると、あえて食いつきたくなるのです。本当に「余計なこと」と思うなら何も言わなくていい。少なくとも私はこのブログを書く際、もちろん全員にピンポイントになることは不可能であること承知の上、常に特定の誰かのために書いています。「余計なこと」だなんて絶対に思いません。
こんな風に書くと、おそらく「その方だってQさんのためにお伝えしたんでしょう。そんな言い方ないんじゃないですか?」って思われる人もいるでしょう。だったらそうしますか。「ありがとうございます!ぜひ聞かせて頂きます!」とだけ返事して放置。そんな中途半端な返答。私はそっちの方がその方に対して失礼だと思います。そしてこのブログを読んで頂いているアナタは、私にそんな中途半端な対応を求めているのですか。違うでしょ。人と衝突することがあっても、自分の思ったことをストレートに表現する。そうやって一番損するの私ですよ。私の激しい口調を読んで気分を害される方もいらっしゃるとは思いますが、その何十倍もそれで損するのは私です。それでもあえてこうやって書くのは私の「信念」がそうさせてるのです。そしてこのブログ、そして私自身を支えているのも、この「信念」です。そりゃ、激しくってごめんなさい。だけど、そんなバカみたいな、天に向かってつば吐くような奴がいてもいいじゃないですか。そして本当につばかぶって嫌な思いをして、悩んでハゲるのもまた私なんです。
そんなわけで、「余計なこと」と思うのなら伝えなくてよし。伝えたければそれを受け入れてくれる無難な人に向けてください。それでも私に伝えたいなら、私は問います。鬱陶しいけど問います。面倒ならどうかスルーしてください。それ以上は追いませんので。てなとこで、昨日の今日にありながら、まったく反省のない私でございました。明日は反省します。が、約束はしません。ありがとうございました。
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ギリシャ選挙前の討論番組でも、相手をどつきに行ってましたが、そこには真剣な態度と信念が見えました。
もちろん、どつき合いや殺し合いをやれ!とは言いませんが、日本の政治家にそれぐらいの信念を持ってやっているのが、どれぐらい居てるのかを考えると、ちょっと情けなかったりします。
本当に信念を持って、やっているように見えるのは、やはり橋本市長ぐらいですね。
ほんと、橋下さんは、信念ありますよね!
貴重なシェアをありがとうございます!