踊る阿呆たれ 2012.6.21
2012年 06月 21日
ところで水曜日から、個人的に7日間の滝行をスタートさせました。本来であれば導師の元でスタートするはずですが、子どもの保育園等々タイミングがどうしても合わず、だけどそろそろやっておかないと年間100日がヤバくなる。やっぱり年始に決めたことはきちんとしたいですもんね。ただ、今の季節は滝の厳しさは冬ほどではなく、その分、いろんな挑戦ができる時期でもあります。挑戦と言えば昨日、「超える!」って記事でヒマラヤの写真をなにげに貼ったのですが、ヒマラヤと言えばアルピニストの栗城史多(くりきのぶかず)さんが最近も挑戦されていました。結果的には登頂失敗だったようですが、今回の挑戦では今までで最も「死」と直面したようで、ブログを読むと壮絶なものを感じさせます。
4~5年前だったか、テレビで栗城さんを知ったのですが、それがもう、泣きながら号泣しながら山に挑戦する姿に純粋に心を打たれたものです。そのとき、会社の仕事で精神をやられて自宅療養中の男性が出ていましたが、栗城さんのユーチューブを毎日見ながら自分の心を奮い立たせていたとか。泣きながら登頂するシーンを何度も見て一緒に泣いていたそうです。私もそれ以来、時々ブログやユーチューブを見たりして、なんとなくフォローしていました。先日のQ州ツアーには、栗城さんの従姉の女性が参加されたのですが、そのとき、「今回も失敗した」なる話を聞きました。あ~そうだったんか~と思い、他にもいろいろと栗城さんの話を聞かせて頂き、すごく興味深かったものです。
言い方は悪いですが、栗城さんは登頂失敗することが多く、何かと揶揄されることもあるのですが、そんなのは茶の間でぬくぬくとテレビ見てる愚者のセリフだってことくらいは私もわかります。登山にはものすごい費用がかかり、まず、栗城さんはそこから調達。今ではヨシモトを始めとする大きなスポンサーも付いていますが、最初は飛び込み営業でコツコツとスポンサー集めをしていたそうです。まず、そこからすごい。なぜにそこまでして苦しい思いをするのか。普通に考えたら理解に苦しむんですよ。おそらくそれは、栗城さんが真正の「バカ」だからなんだと思います。
しかしこの「バカ」って意味は深いです。そもそも山に登って何を生み出すのでしょうか。確かに地元の人たちにお金を落とすことはできます。しかし、山に登ること自体には何の意味があるのでしょうか。いや、もっと言いましょう。山を登るだけの人に対して、どうしてお金を払う人がいるのでしょう。もっと言いましょう。山に登るだけの人を、どうしてわざわざ見る人がいるのでしょうか。私みたいに。昔から「踊る阿呆に見る阿呆」と言いますが、それは同時に「同じ阿呆なら踊らにゃ損損」でもあるのです。
だけど、私たちは「社会」という条件に束縛されて、踊るための羽をもがれたような状態。いや、もがれたわけじゃなくて、羽があることさえも気にしちゃいけないだけ。だけど、ほんとは踊りたいんですよ。みんな。だからこそ、本気で踊って阿呆やってバカやってる栗城さんに注目してしまうのです。そんな栗城さんですが、今回、私はこのエントリーを何度も何度も読み返してみました。写経したいくらいに。
生還/栗城史多オフィシャルブログ
文章が巧みなわけじゃないです。だけど、リアルな経験、生々しい経験からくる、血の滴る文章。読み終わった後、「ふ~」とため息をついてしまいました。簡単に言うと、ヒマラヤに挑戦してたのだけど、コンディションが悪くもう一歩のところで下山。そこからが問題。引用します。
ピラミッドの氷河に入り、かかとが着き始めた瞬間だった。突然、背中から誰かが僕の身体を一瞬で引っ張っていく。呼吸ができず、あまりのスピードに身体を動かすことはできなかった。「落ちた」と思った瞬間、僕は空に浮いていた。偶然、下が見えた。巨大な氷河が見える。まるで高層ビルから下の街を見下ろしているかのようだった。「終わった、、、」正直、そう思った。
次の瞬間、真っ暗闇の狭い世界で目が覚めた。両肩が挟まっていて動かすことはできない。少しでも身体を動かそうとすると、全身に激痛が走る。錆びた鉄のような血の匂いがする。ここはどこなのか。それはすぐに分かった。一瞬のできごと、まさか自分がクレバスに落下しているなんて。でもここにいるのは自分。両手の肘から下が、かろうじて動いた。胸に入れていた無線に手をかけた「滑落した!」
つまり下山中、一瞬の隙のうち、20メートル垂直へ落下したのですが、いかなる運命の神様か、日ごろは怖れにしかないクレバス(裂け目)に引っかかり、それ以上の落下が防がれたのです。もし引っかからなければ、今頃は。。。ただ、幸いではあるものの背丈ほどのクレバスから脱出するのは決して楽じゃない。右手は骨折し、肺も圧迫され呼吸が苦しい。何とか無線につながったはいいものの、だからと言ってすぐに助けに来れる場所でもない。あとはゆっくりと栗城さんのブログを読んでみてください。結果的にはこうやってブログを書けるのですから、また挑戦されるのでしょう。
栗城さんの経験に比べると蟻のようなスケールですが、私も山には二度ほど怖い思いをさせられたことがあります。いずれも太宰府市の宝満山にて。最近はあまり登ってませんが、前は月に3回は登っていました。そのうちまた再会しようと思いますが。で、一度目の怖い経験は2008年8月のこと。下山中に雷雨となって、大きな雷が山に直撃した瞬間、気を失っていたこと。気が付けば、右半身が動かずしびれている。そのときのことはこちらに書いていますが、あれから10日ほど右足がずっと肉離れ状態で普通に歩けませんでした。二度目の怖い経験はその翌年、ちょっと違う道を行ってみようと思って横道にそれたら、突然、ずずず~っと落ちて咄嗟に木をつかむも、それも抜けておまけに右肩を脱臼。何とか元の道までよじ登りましたが、あのときも肝を冷やしました。ただ、落ちたところに何やら得体のしれない岩の切り抜きがあり、それを見るために落ちたのかとも。こちらです。
ま、その程度の体験でさえも思い出すとゾッとするのに、ヒマラヤの山頂付近でたった一人でクレバスに落ち込んだ気持ちはどんなものか想像だにできません。だけど、栗城さんはまた行くんだろうなあ。家族がどんだけ心配してるかしらないけど、あのお父さんなら許すんだろうなあ、やっぱり。もしも「使命」なるものがあるとすれば、栗城さんは間違いなくあのような経験をして、それを世に知らせる使命があるんでしょう。そして世の中にはそんなバカも必要なのです。現にこうやってブログを読むだけで、胸が熱くなる経験ができるのですから、彼の発信にどれだけの人が救われてるでしょうか。
だけど、私も私なりに使命はあると思っています。ここ数日、なぜかたくさんの読者さんからメール、フェイスブックなどでメッセージを頂いています。一言で言うと、この「宇宙となかよし」に助けられている、、、という内容です。どこがどう助けになっているのか、書いてる本人にはよくわからないながらも、そのような方が一人でも二人でもいらっしゃることを知れば、やっぱりこのブログは書いている、と言うより書かされてるのかなあ、、、と思うこともあります。栗城さんと比べるのもおこがましいですが、彼もまた山に登っているのではなく、何か超越的な存在により、登らされているのでしょうか。だからこそ、今回のような経験と奇跡的な生還もあり、そしてまた彼は登り続けるのでしょう。ま、いろいろ叩かれる人ではありますが、少なくとも「経験」だけはウソ偽りない真実であり、多くの人たちと同様、私もまたその「真実」に心を震わせるのです。
とにかくも、こんなバカがいるからやっぱり世の中は面白い。私も見る阿呆ではなく、踊る阿呆、踊り狂う阿呆として生きていければと思います。ありがとうございました。
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