ビリーフチェンジの本質中の本質 2012.5.25
2012年 05月 25日
さて、今日こそ書こうと思います。早いものでセミナーからもう一週間。この間の密度、めちゃくちゃ濃かった。私自身もビンビンひらめきが降りてくるし、にわかに現状も変わりつつある。昨日も書いたことだけど、「信念・価値観(ビリーフ)」が変わると、「能力」「行動」「環境」が一気に変わる。つまり「現実」が変わる。だけど、これまでビリーフ・チェンジの「永続性」については、いろいろ課題意識を持っていました。私のように完全に変わった人もいる。現実的には「給料じゃないと生活できない」が「給料など不要」へと変わり、その状況を7年間は維持しているので、本当に変わったのでしょう。
ビリーフ・チェンジってのは、セミナーやセラピーでは何ら珍しいテーマでもなく、いろんな人がやってるのですが、しばしば「ビリーフが変わった!」とか「脳の配線が入れ替わった!」などと大騒ぎする割には「現実」がぜんぜん変わってないのもよくあること。収入の壁を突破するとか言いながら、一時的なトランスが癖になってセミナージャンキーとなり、収入がアップするどころか、借金を積み重ねる人だって世の中に大勢います。では、今回、棚田氏の10分間の公開セッションを受けた私はどうなったか。
私のテーマは「年収2000万円の壁を突き抜ける」でした。ここ5~6年、ずっと目標にし続けてるのだけど、他のことはほとんど達成しながら、これだけはどうしても届かないんです。正直なとこ。だけど、、、実はこの一週間で、、、9月の養成講座費50万円など一瞬で元を取ってしまったり、さらにまだイメージだけですが、2000万円突破する臨場感が芽生えてきたんです。とりあえず私が目指してるのが3000万円。本田健さん的にはこのラインが「幸せな小金持ち」で、自由の意味において最もバランスのとれた状態だとか。独立当初は夢物語立ったけど、今はすごく臨場感がある状態。
その意味では、あの10分でビリーフチェンジされたのかもしれません。もっとも、そればかりは「現実」がどうなるかでしか判断できないことですが。で、いよいよそのときのセッションの話に入りますが、実は入る前に私の中で「セルフ・セッション」してしまい、ある程度解決できてしまったんですよね。初日に。つまり、皆さんのセッションを見ながら、それを自分に置き換えて頭の中で上演し、それだけでもう解決してしまったのです。なので、二日目は当たろうが当たるまいがどうでもよかった。他のセッションを見ただけで解決してしまったのだから。だけど、結局、当たってしまったんですけどね。
ではまず、私の中でどんなセルフ・セッションがなされたのか。その前にある特定のかなりキツいセッションが敷かれてたのですが、それは表に出せないので極秘ブログで書いています。なので、その続きから。これまでも書いてきた通り、ビリーフは幼少期の特に親子関係によって形成されます。かなり以前、女性数名とバーで飲んでいるとき、一人の女性が酒の勢いもあって、自分の過去のことを告白し始めました。その方は見た目は決して悪くもないのですが、小さい頃から可愛い姉妹と比較されながら、親からブスだ、ブスだと言われ続けて来たそうです。そして現実は40年近く、一度も男性とお付き合いしたことがないと。
結局、ブスだと言われ続けることで、「私はブスだから、男性から好かれない」なるビリーフを構築してしまい、それが完成した思春期以降、そのビリーフが正しいことを証明する、つまり強化して過ごすようになるのです。その方が今どうしているかわかりませんが、いつの間にかマイミクを外されていました。で、そのときのバーでの話ですが、私も含め、周りの女性も「そんなことないよ~」と正直に伝えるのですが、本人のビリーフは完全に強化されてしまってるので、「いや、でも・・」と自分がブスである証明をしようとするのです。そしてそれが普段の態度にも出てくるので、結果とて男性から好かれない。私だって正直なところ、大勢で飲む分にはいいですが、もうちょっと近づいた関係と言われると遠慮させてもらうでしょう。
私がマイミクを切られた理由はわかりませんが、拒絶される恐怖から、自分から切る行為をしてしまったのかもしれません。そんな人は割といます。切られる前に切ることで、予想できるショックから回避する行為。お付き合いしても、いつかフられるんじゃないかと恐れ、そのショックを回避するために、自分からフってしまうことを繰り返す人とか。または、好きな人とかなり良い関係になってるのに、いざ踏み込んでこられると、「付き合うとフられるものだ」なるビリーフが邪魔をしてしまい、相手の気持ちを受け入れられなくなるのです。
それはその人の異性との交際経験の有無に関わらず。原因としては、親がしっかりと甘えさせてくれなかったなど。甘えて近づいて行くと、なぜか拒絶されたり。先ほどの女性の例で推測すると、自分よりも姉妹ばかりを可愛がって、抱きしめて欲しいときに抱きしめてもらえなかった。拒絶されるくらいなら、自分から拒絶してやった方が傷つかずに済みます。それが異性や友達にも広がり、自分を孤立させることで、傷つく恐れから身を守っているのです。だけど、本当は、本当は、本当は、誰かに甘えたい。その気持ちに正直になり、いろんな人と交流してみるのだけど、いざとなったら自分から拒絶。拒絶される恐怖を避けるために、自分から拒絶する。その繰り返し。
では、そのような人のビリーフを解きほぐすにはどうすればいいか。結論を言うと、それは「許し」によって変わります。甘えさせてくれなかった親にも親なりの悩みがあったのでしょう。親にもビリーフがあり、その原因があります。なぜ、我が子を素直に甘えさせてあげられないのか。また、良い母親を演じるがために、笑顔で子どもを迎えるのですが、身体は拒絶してしまっている。それは本人にも、そして子どもにもストレスとなり、潜在意識的に子どもは「親から愛されない」、親は「子どもを愛せない」なる感情が疼き、それがビリーフとして定着するのです。私などは子どもを愛しまくってるので、虐待する親とか、育児放棄する親とか信じられないのですが、だけどその親にも深い原因があるのです。それは親の親から受け継いだビリーフであったり。
なので、恐ろしいことにビリーフは「再生産」され、子孫のすそ野へと広がっていくのです。だけど、もし今、このブログを読んで、自分にも思い当たる節あるな~とか、これ私のこと?などと思う人が、少なくとも213名はいそうですので、あなたの代でビリーフの再生産をストップさせる必要があります。そのために重要のは、まずは直接の両親に対する「許し」です。

やばい、自分で書いてて涙がにじむやん。つまり、そうやって手をあげた母親は確かに悪い。殴ったことに対しては。だけど、そんな切ない背景があったとしたらどうです。母親をそのまま憎めますか。まともな人なら許せますよね。実のところ、児童虐待とか、もっとライトなとこで子どもを素直に愛せない親とか、それは理不尽で決して良いとは思えない。だけど、その裏には一言で表せない複雑なストーリーがあるかもしれない。子どもを殴るのは、実は悲しみを紛らわすための代理感情かもしれない。dけど、殴っているうちに感情が麻痺してしまい、ただ、殴るだけの反応を繰り返すだけになってしまった。
これは断言できるのですが、子どもを愛せない親など存在しません。もっと言うと、子どもは、いやすべての人間は無条件に愛される存在です。だけど、現実には子どもを愛せない親だっています。それはその親がおかしいのか。狂っているのか。確かにそうでしょう。だけど、その親には親なりの理由があるのです。もはや複雑に絡み絡んで、本人も自覚できないような理由かもしれませんが。それは親、さらにその親からの再生産としての感情だったり、深い悲しみの代理感情だったり。
実は「愛」と「悲しみ」はまったく同種の感情です。「愛しい」は「いとしい」とも「かなしい」とも呼ぶように、本来の「愛」が何かのきっかけに「悲しみ」に変わり、それを覆い隠すために「怒り」へと変貌することはよくあります。逆を言えば、怒りで子どもを殴っている親の感情の奥には「悲しみ」があり、それはそのまま「愛」の裏返しなのです。だからと言って殴ることが愛ではありません。そこは切り離す必要があります。
だけど、すべての怒りや恐怖の根底には「愛」があるとすれば、それは決して憎む対象ではないんじゃないでしょうか。親に愛されずに育った人がいたとしましょう。そしてその親はすでに他界して、完全に過去に葬られた。それでも、親から愛されずに育った感情、ビリーフはずっと持ち続けて、今もなお自分を苦しめている。どうすれば、その苦しみから解放されるのか。
まずは親に対する素直に怒りを認めること。だけど、その深い先には「悲しみ」があり、そして「愛」があったことに気がつく。その瞬間、親に対する「怒り」は「許し」へと変わり、氷が溶けるように、それまで40年間、50年間、ずっと大切に守ってきたビリーフが溶け出すのです。それが本当の意味でのビリーフチェンジです。そして溶けた氷が元の氷に戻れないように、「許し」を知り、そして「愛」と「感謝」を知った人の心には、もう怒りや恐怖、悲しみは戻ってきません。ビリーフが元に戻ることは永遠にないのです。そしてその人の現実は180度変わっていきます。
・・・そんな感じで、なんだか一気に書いてしまいましたが、結局、今日も自分のセッションの話ができませんでした。すいません。だけど、今日はいつになくいい話したんちゃうかな、と思っています。昔流行ったと言うか、今もあると思いますが、「ホ・オポノポノ」だって理屈は同じ。ヒューレン博士は「ジャスト、ドウ、イット」しか言わないそうですが、理屈はこういうことですよ。ありがとう(Thank you)、愛してる(I love you)、ごめんなさい(I'm sorry)、許してください(Please forgive me)。最後はこれに行き着き、そしてこの感情と同化すれば幸せになって当たり前。魔法でも何でもない。なので、「ジャスト、ドウ、イット」を聞くために7万円のセミナーに参加する必要もなし!
正直なとこ、棚田氏のセッションでちょっと違和感を感じたとこがあって、それは必ずしも「許し」や「感謝」で蓋を閉めてなかったこと。私が見過ごしただけかもしれませし、セッションを受けた人たちは、きちんとそこにつながって上で閉じたのかもしれません。だけど、本当の意味でのビリーフチェンジをするには、きちんと「許し」や「感謝」と同化する必要があって、もし私の違和感が間違ってなければ、そこを改良すればいいだけ。そこを押さえた上で、9月からきちんと学べば、それこそまじめに「本物のお坊さん」へと一直線でしょうか。ま、それはどうでもいいことですが。
そんなわけで、明日こそはセッションの話に入れるかな。なんだかもう、入らなくていい気もしてきたけど、「2000万円の壁」を突き抜ける話も聞きたいでしょうから、そこは極秘ブログで、、、とは言わずにちゃんと書きますね。基本的に極秘ブログは表に出すとヤバい話ってだけで、内容的にはこちらとあまり変わりませんので。それではまた明日、、、は書けるかな。ありがとうございました。
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【世界】目標を確実に達成する行動強化コーチング
棚田先生のビリーフチェンジセラピーについて、同じようなことを感じましたので、コメントさせていただきます。
基本的に素晴らしい技術体系で、僕自身も公開セッションを受け、ライブ講座で数々のセッションを見させていただいて、勉強させてもらってきました。
で、それが2年前くらいで、当時は、スゴイなと、ただ、関心していました。
そして、久しぶりに、最近、3ヶ月くらいまえに、公開セッションを見たのですが、僕も途中から、「違和感」を、とても感じたんです。
なんというか、確かに信念体系の書き換えという理屈からいえば、合理的なアプローチでしたが、ちょっと、荒っぽい感じでした。
愛のないセックスというか、どこか、本質からズレてる感じが違和感としてあり、結局、相談者の方も、それをどこかで感じていて、新聞で椅子をたたくというのを、最後まで拒んでいる感じで、無理やり少しだけ、叩かされた感じで終了していました。
どこかで、それが、それこそ「許し」や「感謝」などの受容へ向かい、統合されたなら、本当の意味でのビリーフチェンジを超えた、より、ゲシュタルトでの全体的な変容になっていくのではないのかと感じました。
実際のところ、僕自身も同じようにビリーフチェンジのゲシュタルトワーク、インナーチャイルドワークのようなセッションもしているのですが、みていて、本当に途中まで、一緒だったんですね。
で、「アレレ〜」って感じで、「ソッチはちょっとナシじゃないかなあ」なんてみてたら、案の定、相談者さんとかみ合わなくてズレていってました。
もう、あそこまでいってたら、方向性を間違わなければ、ほぼ、もっと深いとこまでいけて、ググッとビリーフチェンジ的な感情の解放とかパラダイムシフトが起こってたと思います。
なので、おそらく、石田さんが感じてる通り、そこの部分を改良すれば、オッケーだと思います。
あ、なんだか、エラそうに、申し訳ありませんでした。
ちょっと、公開できなさそうな内容になってしまいましたね^^;
真摯な姿勢で向き合われてること、とても、ステキに感じました(*^^*)
ぜひぜひ、また、そんな生の声を楽しみにしております!
なるほど!