書くことで脳が活性化 2012.5.10
2012年 05月 10日
理由は一つ。写経でしょう。毎朝40分間、慣れない筆を取りながら「般若心経」を写しています。するとどうなるか。「般若心経」のことが気になって仕方なくなるんですよ。今までもざっと読んだことはあったし、通り一遍の説明ならいつだってできるつもり。だけど、いろいろ読んでいると、当然、般若心経に対する批判も多いわけで、なるほどと思わせる説も少なくない。例えば、前半で「すべては空だ」と言っておきながら、後半では「この呪文を唱えよ」ですから。呪文は空でないのかい、って反論も当然成り立つのです。さらにその反論に対する反論もあり、間違いなく日本で最も読まれている教典でありながら、最も議論の多い教典でもある。「観音経」など下だけでも長いですが、言ってることはシンプル。と言うか、わかりやすい。それに対して般若心経はシンプルと言えどわかりにくい。
そもそも「空」って何やって言い出したらキリがなくて、そうなると私もいよいよ大乗仏教の創始者にして最大影響力を持つ、あの人の本を注文してしまいました。インド三大聖者と言えば、まずは釈迦。そしてあの人。三人目はシャンカラ。あの人、今まで怖くて寄りつけなかったけど、とうとうアマゾンで注文しちゃったもんね~。その名はナーガルジュナ。漢字名で龍樹。今年は辰年だしいいタイミングかも。関係ないか。
そんな話はともかくとしてですね、写経を始めてから明らかに何かが変わろうとしています。その「何か」は108枚書いてからわかるのかもしれませんが、いずれにせよ「書くこと」は脳を大きく揺さぶります。そう言えば写経の本にも「脳にいい!」みたいなこと書かれてたし、ま、売れせんのキャッチに過ぎないわけですがね。ただ、これは写経に限らないことですが、今、ほとんどの人が字を書くのはパソコンで、ペンで書くことって少なくなってると思います。書いても、宅急便にサインする程度で、少なくとも文章をペンで書くこととはめちゃくちゃ減ったと思います。そのせいで漢字が書けなくなった人も多いでしょう。私を含めて。
そこで一つ思い出したことがあります。小学生の頃、私はあまり好きじゃなかったのですが、とりあえず「いい先生」と呼ばれてる先生がいました。その先生は国文学とか和歌に造詣が深く、よく文章を書かせられたし、例えば小林秀雄などのちょっと簡単目の文章などもよく読ませられました。ちっとも面白くなかったけど、文章を書くのは何気に好きだったかも。
で、その先生が言ってたのですが、国語力をつけるのに最もいい方法は写経なんだと。もちろんお経を写すことでもないし、そもそも写経なんて言葉も使っていません。要するに手本となる文章を書き写すことです。そしてしばしば、さすがにお題は忘れましたが、よく原稿用紙に文章を書き写しさせられました。もう、それが嫌で嫌でたまらず、なんでこんなことせなあかんねんとか、不満ぶーぶーで書いていました。当然、心は入らず字も雑になります。そして嫌々なので遅いのです。ある日、なぜかそれを放課後にさせられました。たぶん説教の延長だったと思うのですが。
それ、書き写すのに早い生徒で15分程度かな。だけど、私はその倍はかかります。書き終わったら帰っていいことになり、周りは次々と帰って行くのですが、私は字が雑な上に終わりません。そして気がつけば、なんと文章を一行飛ばして書いていたのです。普通なら、枠外に付け足して書くなどすればよかったのですが、そのとき、突発的にむしゃくしゃして、紙をぐちゃぐちゃにしちゃったのです。当然、先生に見つかり、書き直しをさせられます。そのときはすでにほとんどの生徒が帰っていたのですが、それから30分ほど先生と二人っきりで泣きながら書かせられたものです。
だけど今になってようやくその意義がわかるようになりました。実はこれ、ビジネスマンもよくやってるんです。文字通り「写経」って言いながら。どうしても吸収したい本があったとします。もう、商売には絶対不可欠な。例えばフランク・ベドガーの営業本とか。だけど一読だけでは頭に入らない。何度も読む必要あるけど、そんな時間もない。そこでランチェスター経営の竹田陽一先生などは、自費でアナウンサーに全文を吹き込んでもらって何度も耳で聞いたそうです。本当はそれで十分なんですが、それでもさらに自分のものにしたければ、今度は全文を自分で書き写すのです。まさに写経。
すると読んだり聞いたりだけではわからなかった、著者の息づかいまで感じられるようになり、まるで著者と一体化したかのように理解できることもある。さらにその上を行くのが、本の要約。河合塾の現代文講師である牧野剛氏は普段の講義は雑談しかせずとも、テキストの要約は何度もさせられました。私も愚直にそれをやり、センター試験レベルの現代文なら余裕で100点取れるようになり、なんと小論文まで書けるようになりました。大学入試も最終的に小論文で決まりましたので様々です。
その後、大学に入ってからしばらく哲学書にハマったのですが、それもやはり要約しながら読んだものです。フッサールの「現象学」みたいなくそ難しいのでも、書き写して、要約しながらだと何とか付いていける状態に。最近はすっかりそんなアナログなことしてませんが、いよいよナーガルジュナを読む際には必要かも。
でもそう言えば「書評」なんてのは要約ができないと成り立ちませんよね。書評は要約と違って全体をまとめる必要はないけど、いずれにせよ全文を理解しないと書けないので、今、アメブロで書評してるのは最高の読書体験かもしれません。ちなみにこの、読む→聞く→書き写す→要約するのラインはものすごい効果があることを、、、あんまり教えたくなかったですが明かしてしまいました。なので、これぞ!という本はこうやってむしゃぶりつくすと、それけで内容が身体に入るというか、潜在意識にインプットされて、本の内容と一体化しちゃえます。それやってる人とやってない人との違いはかなり大きいですが、私も最近はぜんぜんやってなかったので、これを機に改めてやろっと。
もう一つ思い出した。昨年引退した島田紳助はその昔、漫才コンビを組む前、B&Bとか千里真里とかの漫才をテープに隠し撮りして、それを全部、文字に起こして分析したそうです。それで笑いの仕組みを拾い出し、「漫才の教科書」を自力で作成。そのノウハウに見合った相方を探して組んだのが竜介でした。ここでもやはり「書くこと」が登場します。今やっている私のコーチングでも、毎日たった5分程度ですが、書くことをして頂いています。それによりどうなるか。漠然とした一日一日の輪郭が浮かび上がり、いろんなことが見えてくるのです。つまり、書くことにより客観的に自分を見ながら、一段高い場所に立つことができる。たったそれだけのことをまずは3ヶ月間。ものすごいことが起こるでしょう。
私も先日から「写経」を始めて今日で13枚目。108枚までまだまだですが、終わることには間違いなくものすごいことが起こっているでしょう。いずれにせよ、書くことにより、今、脳がぐるんぐるんに活性化しています。手で字を書くことが少なくなった昨今、改めて「書くこと」で間違いなく周囲とは違った場所に立つことができるでしょう。2週間前の滝場での瞑想中、突然、「写経しろ」って声が聞こえてきて素直に従ったのですが、やはり私の直感は正しかったと早くも実感しています。そして何よりも書くことは楽しいです。明日もまた起きるのが楽しみ。ありがとうございました。
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勿論センスも問われるでしょうが、ディーラーで食っていくつもりであれば、基本中の基本なのでしょうね。
はい、そのような画像を拾ってきたので。
最初は気が付かなかったんでしょうね。。。
書くのは楽しいですよね。
それは興味深いお話です。
読むときの気分によるのでしょかね。。。