21日行にあたっての「願」 2005.1.24
2005年 01月 24日
昼飯後はNPOの事務所に行くと、滝の先輩がいらっしゃいました。その時、ちょうど私の行の段取りの紙を作ってくれていました。行に当たっての流れなどを教えてもらいながら、こんな質問をされました。
「石田君は今回の行をするにあたって、どんな『願』をかけるの?」、と。
改めて聞かれるとどうなんでしょう。ある方は先祖の供養であったり、ある方は健康であったり、ある方は家内安全であったりするのですが、私の場合は何になるのでしょうか。一義的には「行そのもの」が目的であり、もうちょっと深めると「自分との闘いに勝つこと」であったりするのですが、そう考えると目的らしい目的もよくわかりません。「行」をすることで「何か」が得られるのでは、という漠然とした目的感はあるのですが、具体的な目的となるとう~んと考えてしまいます。
世界平和とか地球環境とか壮大な目的を掲げてもいいのですが、今の私にはちょっとスケールが大き過ぎます。かと言って「心願成就」とかもっともらしいありきたりの「願」をかけるのも違う気がします。そうなると、ここは正直に、
「金」です。
こう書くと、なんちゅ~欲深い奴や、と思われるかもしれません。しかし、真剣な話をすると、私の考えは単なる「物欲」ではありません。
「お金」ってとても重要ですよね。よく、「世の中金じゃない!」なんて言う人いますけど、いつもお金のお世話になって、お金のために働いているのに、その言い方はあまりにも失礼な話です。確かに「お金だけ」ではないでしょうが、「お金じゃない」はちょっと言いすぎです。私は近頃、いろいろな人に会ったり、いろいろと物事を観察したりしていると、ちょっとした法則があるのに気がつきました。誤解を恐れずに言いますが、こういうことです。
「お金持ちほど人間性が豊か」
昔から「金持ち喧嘩せず」と言いますが、お金持ちの人って細かいことに気を取られないし、気前が良くてやさしいし、付き合っていて学ぶことも多いのです。確かにお金持ちでなくとも人間性豊かな人もたくさんいます。しかし、「お金持ち」と「そうでない人」を比べた場合、「お金持ち」の方が相対的に人間性が豊かな人が多いように思います。考えると当然のことです。「お金」があるということは、それだけ人からも信頼され、人の心も知っており、周りには常に「人」がいるものです。ずる賢さだけでお金持ちになっている人もいるでしょうが、それは長続きしないものだと思います。
そこで私はこう考えます。「お金持ちほど人間性が豊か」であるのと同時に、
「人間性が豊かなほどお金持ち」
ということです。つまり、「お金」というのはその人の人間性を計る上での「バロメーター」だと考えるのです。一例をあげると、人世のためにとか、感謝して生きようとか、立派なことを言う人がいますが、貧乏な人にそんなことを言われてもまったく説得力がありません。「清貧」の人もいるでしょうが、例外的にその人に人並みはずれた(芸術などの)才能があるか、本当に使命感にかられてボランティアなどをしているなどを除いては貧乏な人の言うことなど誰も聞きません。
今日のブログはちょっと過激な発言で、気分を害される人もいるかもしれません。しかし私の言う「お金持ち」とはあくまで「人間性」がベースとなったお金持ちのことを言うのです。「人間性」さえしっかりしていれば、「お金」など後からついてくるものです。例えば、私がいる土木建設業界などは一部で談合などを繰り返して国民の税金を不当に搾取し、また、無駄な公共事業によって国土を食い荒らしてきた経緯があります。その結果、業界は今やどん底で多くの人が貧乏に向かっています。
一方で、私の知り合いの元ゼネコン社長は、建設業界バブルの時に、いきなり環境事業に転身して今や金には困らない生活をしています。先日会ったN氏にしても、本業は鉄工所ですが、一方でEMなどを用いて環境保全活動を一生懸命にされています。結果、本人いわく、「金は後からついてくる」ことになるのです。
ですので、私の願として「お金」を掲げているのは、「地球や人世のために正しい行いをしている証」として頂くものだと思っています。それから、わたしが今考えているような、地球環境の保全・改善、人の心の癒し・活性化などを本格的にするには、現実問題として「お金」が足りません。私が得たお金はすべて「世の中のため」に使いたいと思っています。
ですので、2月に入って「21日行」を敢行しますが、「願」として「お金」を掲げるかわりに、得られたお金はすべて「世の中のため」に使うことを誓います。もちろん、すべて使うとは言っても、自分への投資や自分やその周りの人が幸せになるために最小限のお金は使います。斎藤一人さんはこう言います。
「幸せな人でないと人を幸せにすることは出来ないんだよ。方程式を知らない人が方程式を教えることが出来ないのと同じように。だから、みんな幸せになろうよ」、と。
全く同感です。なので私はお金は使いますが、人を泣かしてお金をもうけるような事はしません。人が不幸になるような使い方もしません。あくまで自分と、その周りの人、そして自分に直接なり間接なり関わってくれる人が「幸せ」になるような使い方と稼ぎ方をします。
もう一度言いますが、私はこれからも「正しい行い」を必ずします。その証としてできれば「お金」を下さい。ただし、人を不幸にするようなお金の使い方はしません。もしも私が「正しい行い」に反するお金の使い方などをするのであれば、いかなる罰則も受けます。
これが2月に行う「21日行の願」です。
今日の順位は?
(例によって本文とは全く関係ありませんが、写真の中央のじいさんの右上の子、悲痛な顔をしています。何があったのか気になります。)