アフリカ化しちゃダメ 2012.4.19
2012年 04月 19日
だけどプロじゃない普通の人が「読者目線」を意識しちゃうと、間に編集者でも入ってない限り目も当てられない。その典型がビジネスユースのアメブロガー。自分とこが扱っている商品やサービスを売り込みたいと思ってブログを書く人。それはそれで戦略的にはアリだけど、先ほど言ったようなプロか、またはよっぽどの量稽古をした人でないと読まれることはあまりない。ブログコンサルなんて人が、しばしば「読者目線で書きましょう」と言いますが、それは確かに間違いではないです。しかし、何度も言うように「読者目線」を商品にできるプロじゃない限り、素人がそれやっても中途半端なセールスレターのようにしかならず、最初の一行で読むのストップです。そのうちアクセスが増えないので、にわかにコンサルを受けてみたり、次々とやってくるソーシャルツールに手を出してみたりして、確かにアクセスが増えるような感じがしますけど、ほとんどが一見さんなので、しばらくすると元に戻ってしまう。
私もやってはいますが、アメブロが注目され始めたとき、思い出すととても滑稽です。アメブロ解析がかなりアクセスを水増ししてることくらい、今は知らない人もいないでしょうが、あれって今日ブログを開始したばかりでも、一日に4~5件も短い記事をアップしてたら、すぐにアクセス1,000とかいってしまうもの。私の公式ブログを見て頂ければわかりますが、2010年7月にスタートした当時、別でやってた記事のコピペも含めて一日に10件くらいアップしてみたんです。すると一気に一日4,000アクセスとか表示されたのだけど、ペースを落とすとそれに比例してアクセス数も下がる。こないだたまたま目に入ったアメブロ(商売用)を見ると、「ブログを開始して1ヶ月で1,000アクセス突破」とかドヤ顔で自慢してたんですが、かなり痛いところ。アメブロ解析の1,000アクセスってのは、実際には100アクセスもなくて、しかもその100でさえも読者登録とかペタツール経由の一見さんなどを多く含むのだから、本当に読んでる人って本人と知り合いくらいのもの。例えばエキサイトブログで「一ヶ月で1,000アクセス」ならばすごいと思う。それは本当に1,000人に読んでもらってるのだから。だけど、アメブロはアクセス数(本当の読者にあらず)を増やすための方法がありすぎて、数字はほとんど意味をなさないんです。
ですので、最近、「ブログ書きたいんですけど、どのサービスがいいですか?」と聞かれたら、基本的には「どれでもいいと思います」と答えますが、私の本音を言うなら「アメブロはやめとけ」ってとこですね。1~2年でやめるのならそれでもいいけど、ブログに自分の分身を落としたいくらいの気があるならば、私は「はてな」「エキサイト」「GOO」「ライブドア」「FC2」「ワードプレス」あたりをおススメします。「はてな」は独特な空気があるけど、読ませるブログがとても多くて、それは「はてな」の文化にさえなっている。それ以外のおススメブログはシンプルだから。自分でやってる身から言うと、エキサイトはかなりおススメです。余計な機能はついてないけど、簡単なアクセス解析があってアフィリも可なので、すごく安定して使えます。アメブロみたいにメンテナンスもほとんどないし。
あ、またこんな余計な話するから文章がやたら長くなるんだな。話戻すと、個人ブログならば「読者目線」を外すことが鉄則。文中に「あなたは」「皆さんは」「読者さんは」などの呼びかけもいらない。ある程度反応があってからならそれもいいけど、最初はとことん自分の書きたいことに特化すべき。さっき「自分の分身」って書きましたが、読者を気にせず、とにかく自分の書きたいこと、言いたいことを書き殴る。するとあら不思議、そこに「本当の自分」が見えたりするんですよね。私がブログやって、一番、ビックリしたのがそれ。オレってこんな奴なんだ~ってのが、読み返すまでもなく、書きながら自然と出てくるんです。なので、ブログは私にとって最大の自己分析ツールであり、セルフコーチ。その意味で、ブログを書くことは超おススメなんだけど、まずはアクセスとか気にせず、自分をとことん書きだすこと。そしたら、いつの間にかその辺に共感する読者さんとかも増えて、自然とアクセスも上がります。なので、その限りであれば、アメブロだってどこだっていいのです。アメブロは余計な機能があり過ぎておススメじゃないと言うだけで、嫌なら使わなければいい。それだけのこと。だからどれだっていいのです。
ところで最近、新しい読者さんからお便りを頂くことがまた増えています。昨日紹介したアルバニア(ギリシャ)の方もそうですが、この1~2ヶ月だけでもメールやミクシィ、フェイスブックなどでかなりの数頂いてますし、メールせずとも新たに読むようになった方も多いんではと思います。そもそもなぜ、見知らぬ人が、こんなわけわからん無名のブログをブックマークに入れるのか。それはやっぱり「共感」だと思うのです。私とリアルに会ったことある人はおわかりと思いますが、ブログの雰囲気とリアルな私って、そんなにギャップがないみたいです。それだけ素直にストレートに書いてるので、心に響く人には響くんでしょう。つい先週、東京で飲み会がありました。インドツアー、Q州ツアー、沖縄ツアーなどに参加された人たちの集まりで、私は当然そこにいません。その中に、6月のツアーに参加予定で、私とは直接の面識のない方が単独で参加されました。メールの印象とかから何も問題ないと思ってましたが、案の定、一瞬で打ち解けたようです。本人からも、そして別の方からもそのように報告頂けました。それもまさに、私のブログは単なる媒体として、共通の「価値観」がそこにあるからでしょう。ですので、、、このブログにご共感頂いている方へ、私のセミナーとかツアーに参加すると、いいお友達がたくさんできるかも。こちらのブログにも「めちゃくちゃ楽しい!Qさんに知り合ってそんな友達がいっぱいできた」って書いて頂いてます(^^)
うわ~、またまた前置きが長くなった。急いで今日の本題に入ります。昨日、「一神教と多神教」について書きました。世界とはそもそも「多神教」であったのが、ユダヤ・キリスト・イスラムなど「一神教」の勢力が拡大して、東の日本、西のアイルランド(ケルト)と言うように、世界の両端に残る、または追いやられた。で、ふと思うと、OECD加盟国(いわゆる先進諸国)の中で多神教メインの国って、、、日本だけやん!ってことに気が付きました。韓国はどちらかと言うとキリスト教が多いし、アイルランドだって国的にはカトリックだしね。ただ、文化的には多神教的な色が強いので、私はOECD諸国での多神教は日本とアイルランドだってことにしてます。単にアイルランド贔屓なだけですが。
キリスト教を中心とする一神教の国ってのは、確かに先進国が多い。プロテスタントの国はすべてそうかな。ウェーバーが論証したように、資本主義の精神的原動力(エートス)にあったのは、プロテスタントの倫理。つまりキリスト教ってのは、国力増強のためのベースとも言えるわけです。価値としてはキリスト教もヒンズー教も同じだけど、経済力など国力から見ると、やっぱりキリスト教国の方が強いのは事実。なので、戦前に欧米列強がアジアやアフリカを植民地化していったのは、国力増強の論理から見ると正統性はあるのです。被支配国がどう思うかは別として。
で、世界地図を見てみると、戦後、一神教の国ってのは確かに成長しています。ブラジルなど南米諸国も急成長していますし、一神教どころか多神教のアジアだってそれなりに成長はしています。しかし、戦後、ある地域だけはほとんど成長せずに遅れたままのとこがあります。それはアフリカです。南アフリカやかつてのジンバブエのような白人支配の国はそれなりに成長していますし、北アフリカなどイスラム諸国も何とか成長しています。しかし、中央アフリカなどそれ以外の地域はどうでしょう。いまだに暗黒大陸のような感じです。これと言った産業があるわけでもなく、ダイヤモンドのような価格の高い資源があったとしても、それが戦争の引き金になったりして、いつまでたっても国が富めることはない。そしてこの時代に、まだまだ飢餓で苦しむ人も多い。
そんなアフリカに対して、世界中の国々が援助の手を差し伸べてるのに、まさに「焼け石に水」のごとくきりがない。実情としてはアフリカの支配者層が援助物資をすべて搾取し、金に換え、私腹を肥やしてるだけで、本当に援助が必要な人々のところにはほとんど届くことがない。投資家のジム・ロジャーズがバイクとベンツで世界一周した旅行記など読むと、その腐り方がよくわかります。彼もアフリカ国民を助けるには、ヘリコプターによる現物投下しかないと書いています。また、アフリカを旅した人たちの話によると、めちゃくちゃ治安が悪いだけでなく、それを取り締まる警察も完全に腐っているとのこと。普通に歩いているだけで因縁付けられて賄賂を要求。逆らえば牢屋にぶち込むと脅される。道端に勝手に関所を作って、通行料を要求する。ネットの上旅行記の中に、そんなアフリカ人と正面から戦ってる人がいましたが、無駄な努力。読んでてアホやな~としか思えない。申し訳ないけど、国、いや大陸全体が腐ってるのだから、一旅行者がどんなに逆らっても無駄。旅行するなら、せいぜい彼らの機嫌を取って、少しは楽に旅した方がいい。
とにかく今もめちゃくちゃなのです。多くの人々が食べるのさえ困っている状況で、教育など行き届くはずもない。教育がないと、人は長期的に物事を考えられなくなる。人はなぜ株を買うのか。大切なお金を、あめ玉さえも買えない紙切れに換えてしまうのはなぜか。それは株が中長期的にその価値を膨らませる可能性があることを教育された人は知っているからです。小学校で読み書きそろばんを習うのも、将来、その基礎学力が生きていく上でものすごく役に立つことを多くの人が知っているから、そうさせるのです。
教育とは人々に長期的視野を見せてくれるし、長期的視野がなければ教育の価値もありません。アフリカがまさにそうで、今日食べるものがない人に、長期的視野を見せることは困難。教育よりも食べるもの。となると、いつまでたっても教育が受けられないので、長期的視野を見ることもない。他国が教育援助しようとしても、その費用は役人の懐に入るだけ。それでは国力が上がるわけないです。それと似たようなことが、今、北朝鮮でも行われてるんですが、それはさておき。
ただ、人間ってのは誰もが自分が可愛いので、目の前にお金や食べ物があると、誰だって独り占めしたくはなります。先進国の人間だってそう。だけど、そうしなかったのは、やっぱりしないだけの背景があるから。それがまさに「神」なのです。または「神」に準ずる価値観。もちろんアフリカにも宗教はあります。北はイスラム教、南はキリスト教のように。だけど、それはあくまで白人などが植民地支配した際に持ち込んだものであって、そもそものアフリカ人の多くは土着の民族宗教を信仰しています。つまり多神教。さらに植民地時代に先進国が恣意的に国境を引いたため、同じ国でも民族的統一がなされておらず、それにより紛争が勃発します。
つまり、アフリカが発展しない根本的な理由はおそらく「バラバラだから」です。一方、一神教的先進国の多くが発展した理由は、唯一の価値、つまり「神」によって人々を統制していたから。神を否定したのは共産主義ですが、ソ連にしても北朝鮮にしても、確かにイデオロギーで統制できていた時期はありますが、それは時とともに疲弊する仕組みにありました。つまり、イデオロギーは神に勝てなかったのです。
そこで一つ疑問があるのですが、では一度も一神教を受け入れることなく、今も昔も永遠に多神教であった日本が、なぜにここまで発展したのでしょうか。そこには、一神教の「神」にかわる、匹敵する価値があったからと考えられます。その価値こそがまさに「天皇」です。私は日本は好きですが、偏った国粋主義者でもありませんし、天皇のカリスマなんかにも興味はありません。「天皇」がなぜに価値があるかと言うと、それはまさに天皇の「歴史性」です。2000年近く続いた王族は世界のどこにも存在しません。イギリスデンマークでさえもせいぜい数百年。明治維新や終戦によって日本国のシステムがどんなに変わろうと、天皇はずっと存在していたわけです。天皇のことが好きであろうが嫌いであろうが、天皇にカリスマを感じていようがいまいが関係ないのです。
インドを自転車で旅した知人の話によると、電車やバスも通らないようなど田舎の村に行くと、必ず村人から追いかけられるんだそうです。もの珍しさで。中には荷物に手を出したり、石を投げてきたりする奴もいる。すぐに逃げられればいいのだけど、日が暮れてそれ以上進めないときなどどうすればいいのか。「長老」を探すんだそうです。ど田舎の村だと、多くてもせいぜい数十名程度。それが一斉に集まってくるのですが、その中から一番年とってそうな爺さんを探し、その人に声をかけると、周りはまず手を出してこない。長老レベルだと片言の英語をしゃべれたりするので、その人にわけを話して、どっかでテントを張らせてもらうよう話せば、だいたいいい場所に案内してくれるとか。そして長老から案内された人間に対して、村人はそれ以上手を出してこないそうで。つまり、それらの村においては、長老絶対主義なのです。
その意味で言うと、日本の長老は天皇です。さらに世界中を見ても、最も歳を取った王族もまた天皇であり、いわば世界の長老とも言えるかもしれません。その天皇を日本は持っている。いわゆる天皇の神性だとかは別として、人々を統制するための社会的シンボルとして、天皇は絶大な力を持っているのです。なので、その天皇に対して私たちが税金を払うのはめちゃくちゃ合理的なのです。
結局のところ、神にしても天皇しても、バラバラだったものを一つにまとめ上げる存在こそが国力を強くするのであって、それは人間個人でも同じこと。成功する人間とはどんな人間か。会社でもいいです。それは「理念」を持つ人間だと実感しています。つまり「どう生きればいいかわかっている人間」が成功するのです。自分は何のために生きているのか、今生で何をすべきなのか。それを天命や使命と言うことができますが、さらに言うと「自分がなんであるか」を知っていること。それなくして「成功」はあり得ません。会社も同じく、社是や理念のない会社が発展することはまずないでしょ。
では、どうすれば「自分がなんであるか」を知ることができるのか。いろいろあると思います。一つは目の前のことに対して真剣に取り組むこと。その積み重ねによって自分が見えてくることもある。でもあえて一つ言うとすれば、私は「ブログを書くこと」だと思っています。ものすごいスケールが小さくなりましたが、自分自身をどんどんアウトプットして、自分といつも対話するようにする。このブログも、当初はなんとなく書いていた日記でしたが、毎日、欠かさずこうやって書いていると、自分のことがどんどんわかるようになり、そして進むべき道を戴くことができたと思っています。
自分にとっての「神」は「自分」です。その「自分」を知っている人間は自分を望ましい方向に発展させることができますが、「自分」を知らぬ人間は、アフリカ諸国のようにいつまでもその日暮らしで悩み続けるだけ。今さらながら、ほんと、ブログ書いてきて良かったと思っています。読者さんの中にも、ブログ書いている人たくさんいらっしゃると思いますが、私が進めることは一つ。自分らしく素直に書くこと。読者目線などいらんです。とにかくも毎日、ブログを通して自分と対話することで見えてくる「自分」がいます。それが私にとっての「神」であり「天皇」です。今日も長くなりしたが、こんなとこで。くれぐれもアフリカ化しちゃダメですからね。ありがとうございました。
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はい!
その前から精神的にヤバかったそうですけどね。
一人の人間もアイデンティティ、ポリシーが確立されていないと、発展しないのではないかとも考えるようになりました。盲信であれ確固たるものを持ったぶれることが無い人は、他人がどう思っていても幸福なのではないかとも思うようになった。
ひるがえって自分はというと、全くそんなことはなく、どこか主体性なく精神科に掛る病気休業中の身の上です。
ほんと、おっしゃる通りです!
サロンのためのブログならば、ある程度の読者目線は大切とは思います。が、それにより自分のキャラを抑えてしまうならば、ぶっちゃけた方がいいかな、と思います。失礼ながら、普通のサロンならば、お客さんはどこも同じに思うので、最終的にはキャラで勝負するしかないんですよね。