不動明王と一体化する 2012.4.11
2012年 04月 11日
昨日の記事で「女性はコーチに向いている」と書きましたが、これはイコール、「女性だからコーチになれる」では決してありません。杓子定規に論理を積み上げるよりも、一瞬のインスピレーションによってクライアントを導く力が、相対的に女性は高いということであって、そのインスピレーションに行き着く以前の段階ではさすがにプロコーチにはなれないでしょう。その「以前の段階」にあるのは「ラポール(信頼関係)」であり、「営業力」です。
この「ラポール」ってのは、いろんなセミナーで紹介されますが、かなり深い概念です。セミナーでは、ラポールを構築するために、ペーシングしましょう、ミラーリングしましょう、などとスキルを学ぼうとしますが、確かに表面的にはそれもありです。しかし、それはあくまで表面的なもの。私の理解と経験で言うと、ペーシングやミラーリングなどのスキルは、ラポールさえあれば勝手に起こるもの。ごく自然にペーシングできていれば、「あ、ちゃんとラポールが築かれてるんだな」と確認の目安くらいのもので、最初から手段としてやるものじゃない。もちろんセミナーの場では、形を覚えるために、その辺のスキルの実習はしますけど、それだけでは決して終わらないもの。
私はおそらく、子ども(ちびQ)とは完全にラポールが築かれていますが、ちびQに好かれようと思ったことは一度もありません。言うことを聞かないと、時には強く言って叱ることもあります。ちびQはそこで「おこられた~」と言って泣くのですが、次の瞬間にはケロッとして抱きついてきます。子どもの言うことを聞くほど簡単なことはありません。お菓子と言われたらお菓子を与え、テレビと言われたらテレビをつけ、遊ぶと言われたら眠くなるまで遊ばせる。歯磨きしたくないと言われたら、したくなるまで待つ(ならないでしょうが)。その方が親としても簡単ですが、そうしないのはすべて子どもに対する「愛」ゆえにです。意地悪をしているのでは決してない。それが子どもに伝わっているからこそ、叱っても受け止めてくれる。その関係こそが「ラポール」なのです。ペーシングとかして相手に好かれようとすることがラポールじゃありません。「好かれようとする」のではなく、相手を「心から愛すること」が真のラポールの大前提となります。
コーチングの話に戻りますが、NLPのロバート・ディルツ氏によると、狭義の意味でのコーチングとは「行動」に焦点を絞ります。広義のコーチングはそれこそ「愛」のレベルにまで広がりますが、まずは突破口として「行動」にフォーカスする方が手順的に是とされます。そこでセッションで何らかの「行動」をコミットしてもらいます。例えば「毎日ブログ(日記・日報)を書く」とします。どんなことがあっても、それだけはやる。そして次回のセッションで行動を振り返って頂きます。
するとしばしば、こんな答えが返ってくるのです。
「やっててわかったのですが、私にはやっぱり毎日ブログを書くとは向いてないようです。魂が喜んでないと言うか。ですので、そのことに気が付けただけでも、コーチングを受けてみた意義があったと思います。ありがとうございました。」
のような。これも結局、「言い訳」に過ぎないですよね。もちろんブログを毎日書いたところで、何が変わるとは言いません。だけどコミットしたことであれば、それは完遂しなければなりません。向いてる向いてないの話ではなく。これがもし仕事だったら大変です。3月31日までに納品すること。そこで「31日までに納品することは魂が喜んでないみたいなので、もう少し遅らせた方がいいことに気が付きました」なんて言ったら、その瞬間、取引停止でしょうね。決めたこと、決められたことはきちんと守ることが社会のルール。
それはコーチングやコンサルティングでも同じこと。以前、ランチェスター経営の竹田陽一先生が、「企業コンサルになるなら強面の方がいい」のようなことを仰っていましたが、確かにそうでしょう。私の知人に鬼軍曹のような営業コンサルがいるのですが、クライアントからは「何度、後ろから刺そうと思ったかわかりません」と最後に言われながら数字は確実に伸びている。もちろん感謝される。そして契約が更新される。お互いその方が良いに決まってます。
だけど実際のところ、「鬼」になるって、クライアントだけじゃなく、自分自身がめちゃくちゃキツイです。もっとも、根っからの体育会系で、それが普通って人にはさほど苦じゃないかもしれませんが、私などは吹奏楽部出身のスピリチュアル系、、、が本当の正体ですから、体育会系からは最も遠いところにいる。だけど、高校時代は寮生活だったり、あと、土方のバイトを昔よくやったので、ガラの悪い連中とも多少付き合っていたのが幸いかな。
この辺は「にらめっこ」と同じで、笑うと負けです。鬼は最後まで鬼になる。すべてが終わってから、鬼の仮面を取って仏になる。これが本当の意味での仏なんです。それを体現したのがお不動さん、つまり「不動明王」です。不動明王は、密教世界における宇宙根源である「大日如来」の化身と言われていますが、見ての通りかなり怖いお顔をなさっています。ですが、不動明王の本質は何かと言うと、それは「慈悲」です、優しさです。
天台宗における最大の苦行である「千日回峰行」は、不動明王と一体になることを目的とした修行。それだけの厳しさを身にまとうことで、人間本来の慈悲の心を呼び覚ます行いです。その意味で言うと、私がやってる滝行もそう。滝に入る前の作法で、不動明王真言を三回唱えるのですが、一回目で不動明王を呼び覚ます、二回目で不動明王の炎を身にまとう、三回目で不動明王の剣と一体となり、人間の悪しき性を浄化する。そのためには、まさに鬼のような厳しさが必要なこともある。だけど、それはあくまでも「慈悲」の現れなのです。ですので、滝行における不動明王の意味合いはかなり強く、その瞬間だけでも不動明王と一体化することをいつも心がけています。
このブログを読んで頂いている人はおわかりと思いますが、私ブログ上でしばしば「怒り」をストレートに表現します。それがキツイって言う人も中にはいます。だけど一方で、そんな私の「怒り」に対して「慈悲」を感じとって下さる方もいらっしゃいます。以前、メルマガ上でちょっと「怒り」を表現したとき、次のようなコメントを頂きました。
「メルマガ、とても興味深く読みました。勝手な意見で申し訳ないですが、Qさんが怒りに燃えているような時ほど、その裏の「強いやさしさ」を感じます。強い父性の優しさ、って感じでしょうか。」
そのように解釈して頂いてとても嬉しいです。ただ、私が怒るときって半分は「衝動」です。最初から「やさしさ」なんて意識してたら伝わりませんからね。昨年8月だったから、しょうもない「予言ブログ」があって、それに怒りをもって噛みついたことがありました。8月某日に巨大地震が来ると天使が言ってるから注意せよ、みたいな。最初は「アホらし~」と思ってスルーしたのですが、あまりに拡散してるので、元ブログを読みに行ってしまい、そこでブッチーン!ですよ。本気にしてる人が多いことの嘆かわしさと、そのブログの無責任な教祖気取りに。思わず衝動で「対話しましょう」って電話番号を記入してコメントしたら、2ちゃんねるにも飛び火して、一時期、大変だったこともあります。あの手の天使とか好きな中途半端なスピリチュアルオタクにとっては、私のしたような言動はドン引きレベルらしくて、セミナーキャンセル、マイミク解除などがちょっと続きました。リアルな知人からも「あんなに噛みつかんでも・・」みたいな苦言を頂いたこともありますが、今わかりました。あれは私の中の不動明王がそうさせたのでしょう。そして結果的には噛みついて良かったと思っています。2ちゃんねるでは、そのブログが消えたことで「石田のせいで楽しみがなくなった、もうちょっと泳がせとけよ」みたいに書かれてましたが、その程度のこと。感謝メールもたくさん頂きましたしね。
話がそれましたが、コーチングにせよコンサルティングにせよ、もし本当に心からクライアントのことを思ってるのであれば、決して「言い訳」をさせてはなりません。確かに、ただ話を聞くだけも大切。行動に結びつかなくとも、気づきがあるだけでも大切。そんな段階の人がいて、そんな役割の人がいるのも必要。だけど、少なくとも私はそうじゃない。不動明王の慈悲をもって、本気で仕事に取り組むことが、現段階における私の使命。ですので、これから先、企業研修なども増えていく中、セミナーでもコーチングでも、不動明王の心を忘れずに本気で取り組んでいきます。
あ、ただ、いつもいつもそうじゃありませんから。飲み会やツアーのときなど、ほとんどがへらへらしてますので、その辺は怖がることなくご安心くださいませ。てなわけで、そう言いながらも、自分自身に対してまだまだ甘いともありますので、その辺も含めて不動明王のお心に触れていきたいと思います。ありがとうございました。
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