笑うしかない
2012年 02月 18日
そして次の瞬間、本当に笑ってしまったのです。寒さで顔がかじかんで
動きにくいにも関わらず、思わず笑ってしまった。このクソ寒い日に、何が楽しくて滝にうたれてるんだろう。その姿を想像すると、笑えてきましてね。般若心経を唱えながら、自然と口角が上がって、笑いお経になってしまう。すると、どう言うわけか、身体がポカポカしてきたのです。
確かに笑う、それも口角を上げるだけで副交感神経優位になってリラックスできるとは、いろんな本にも書いてあります。これも思わぬ発見。真冬の滝行でも、笑いによって乗り越えられる。
そう言えば以前、導師も言われていました。「修行」と言うと、とかく厳しくて、慎ましくて、禁欲的なイメージがあって、それこそ滝場で笑おうものならどやされます。以前、ある坐禅の道場に行ったとき、知り合いが来たので「あ、どうも、こんばんは」と言ったら、近くにいた女性禅士から「うるさい!」と一喝。すいません、声が響くものでして。でも、修行ってそんなイメージですよね。導師も、ずっとそのようにやってきたところ、ここ数年、どうやら笑って楽しくやっている方が「悟り」に早く近づけるもんじゃないかと思うようになったとか。
もちろん厳しさも重要。滝場はどんなに整備がしてあっても、危険がまったくないわけではありません。足を滑らすこともあるし、頭上から何が落ちて来るとも限りません。なので、滝に入るための作法は絶対に手を抜いてはなりません。真剣そのもの。だから楽しいのです。石井裕行さんは「真剣」と「深刻」の違いを「笑い」があるかどうかと言っています。「真剣」であれ、「深刻」であるな。そんな話で。
ま、それはともかく、良い悪いは別として、滝の中で「笑い」がこみ上げてきた時、ふと身体が楽になったのは事実。日常生活でも、どんなに苦しくて大変な状況にあったとしても、「笑い」を忘れなければ、乗り越えられる。そんなことを滝の中で実感しました。
もしもこの世に、副作用のない万能薬を無理矢理でも一つだけ言えと言われたら、それは「笑い」しかないと思っています。もちろん形から入るのもいいと思います。本当はぜんぜん笑えないけど、とにかく笑おう。その姿勢は大切。だけど、今日、つくづく思いました。人ってのは、最後の最後には笑うんだろうな、と。
「もう、笑うしかないですよ!」
って言葉をしばしば聞くことがありますが、どうしようもなくなったら、とにかく笑う。もしも私が末期ガンかなんかで余命3ヶ月、医学的にはどうしようもないと匙を投げられたら、やっぱり笑うしかないですよね。
2005年5月にインドのラダックで、やることなくて般若心経1000巻唱えてたら、その820巻目に涙があふれ出てきた体験がありますが、今日は雪の中、0度で滝に打たれてると、なんか妙に笑えてきた。なんとなく、似たような感じかな、と思いました。
と言うか、究極的には感動の涙も笑いも同じもの。めちゃめちゃ感動したら、笑ってええのか、泣いてええのかわからない状態きますもんね。旅なんかしてるとしょっちゅうそんなことありますし。そしてその状態ってのは、一切の不安とか悩みとかなく、自我から完全に解放された、まさしく「悟り」の状態やと思うんですよ。
それはともかく、明日からの滝行も、苦しくなったら笑ってごまかすのもアリかなとか思ってます。明日からもまた寒くなりそうですが、滝行も残り一週間を切りました。毎度のこと、21日行を満行するといろんなことが起こります。そんなことも楽しみにしながら、毎日を気持ちよく過ごしたいと思います。ありがとうございました。
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