言葉が現実化するとき 2012.1.14
2012年 01月 14日
なんだかブログに書いた通りのことばかりでとても愉快です。調子に乗って書きますと、今年は海外でもセミナー。子どもは今年一人、最終的には三人になります。本は今年二冊出版。2年後の9月にアイルランドツアー開催。今年もQ州ツアーやります。その他諸々。自転車講演はまだ先の話かな。いつかやりますけど。とにかくブログに書いた通りになるので面白いです。やっぱりブログ書いた方がいいですね。そして妄想でもなんでも書いたもん勝ち。叶うのですから。
だけど、どうでしょう。なかなか書けないって人多いですよね。書いても自分ツッコミしたりとか。ぶっちゃけ言うと、ブログで自分ツッコミを連発する人いるけど、読んでてイタイな~と思うことしばしば。例えば「今年はついに結婚します!(いやいやまだ妄想の段階ですけどね)」なんて書き方。もったいない。ブログで書いたことは叶うのですが、この場合はカッコ内の自分ツッコミが叶うわけなんです。なので「妄想」が永遠に叶い続ける。たとえ妄想であっても「妄想」って書かない方がいい。これもまた断言する、宣言することへの怖れなんでしょうね。叶わないことを前提とした逃げ口上と言うか。カッコ悪いぜ。
ちなみに「自分ツッコミ」ってのは一流の文章にはまず出てこない。どうしても必要な場合は稀にありますが、連発することはありません。なぜなら言いたいことがぼやけるから。そんなぼやけた文章って、読み手を疲れさせます。ですので、ブログの文章でも、願望でも基本は言い切りです。「(笑)」ってのも、本当は単なる照れ隠しなので、連発するとカッコ悪いですよね。ま、私も時々使っちゃいますけど(笑)
昨年末から何度も書いてると思いますが、現実世界ってのは「焦点」そのものです。焦点を合わせたものが現実に広がる。「結婚」したいのならば、そこに焦点を当ててもいいのです。だけど、結婚しない、できない人の多くは「結婚したいけど、したらしたで面倒だろうな~」とかに焦点当ててしまうでしょ。先ほどの自分ツッコミと同じで、後ろの文章が現実になるんです。今まで500人近くコーチングして、セミナーでも数百名の方と接している中で、願望の叶う人とそうでない人の違いがかなり正確にわかるようになってきました。
その違いは何かと言うと、もちろん「感覚」的なこともありますが、ふとしたはずみで出る「言葉」でほとんど決まってしまいます。言葉に力がある、それでいて自然。そんな言葉が現実世界を作るのです。逆に弱々しく不自然な言葉には何の効力もありません。そして文章にしても、人を引き付ける文章には「力」が感じられます。ブログでもそう。例えばランキング上位のブログなど見ても、すごく力を感じさせますよね。読み手の好き嫌いはあるにせよ、いずれも文章に一貫性があり、信念が感じられます。自分ツッコミなどまずない。
しかしそのような一貫性、信念のある文章には、当然、反対する人も多く出てきます。同時に共感も多い。そもそも反対意見のでない文章など読んでも面白くないですからね。「太陽が東から昇りました」、なんて文章、面白くともなんともない。「橋下大阪市長には頑張って欲しいです(もっとも、頑張らないといけないのは自分なんですけどね)」みたいな余計な自分ツッコミもそう。人に「頑張れ」と言うと、「お前こそ頑張れ」って突っ込まれるのを、あえて先に自分で突っ込んでおいて攻撃から逃れる。つまり、ありきたりな文章、自分への言い逃れの多い文章ってのは、単に自分を守りたいだけなんですよね。現状維持したいだけ。
それでは人に何かを伝えることはできないし、つまり想いも伝わらない。現実を変えることもできない。ですのでもし、自分を変えたい、現実を変えたいと思うのであれば、まずは「言葉」を変えるべきです。いや、もっと正確に言うと、本当に思っていることを言うこと。自分らしい言葉を使うこと。
そう言えば思い出した。学生時代、ゼミってのがあり、毎回、学生があるテーマについて報告するわけですが、その際、私の大っ嫌いな風習のようなものがありました。それは、発表前に必ず「まだまだ勉強不足で恐縮ですが」とか「皆さんのような立派な報告はできないと思いますが」、、、みたいな前口上から始めること。女子学生に多かったです。これは「謙そん」のつもりなんでしょうが、これ、もしも仕事なら大ごとですよね。仕事する前からクライアントにそんなこと言ったら、私なら「もういいです」と言って切りたくなる。しっかりした結果を出した上で、クライアントから「素晴らしいお仕事して頂きありがとうございました」などと言われた時に初めて、「いえいえ」と謙そんできるわけです。
学生のゼミでも同じ。発表する前から「まだまだ不十分」なんて言われたら、もう聞く気無くなりますよね。十分か不十分かは自分で決めることじゃない。と言うか、学生レベルで十分な報告とか誰も期待していない。だけど、少なくとも自分だけは「十分だ」とやり切った上で報告するべき。でないと、先生や他の学生に対して失礼でしょ。勘違いでもいい。自己満足でもいい。だけど自信を持ってぶつけて、そしてたくさんの批判をもらえばいいんです。最初から「まだまだ不十分」なんて前口上するのは、つまり「だから批判しないでくださいね」って暗に言いたいだけ。そんなので成長するわけない。常にベストで臨んで、そして多くの批判にさらされる。それは学業でも仕事でも同じこと。
さらにブログも同じ。人から批判されないための予防線を張りまくった文章なんて面白くともなんともないでしょ。特にブログなんて自分の好き勝手書けるのですから、もっと自由に書いた方がいい。伝えたいことがあれば直球で伝える。阿部敏郎さんの文章などは、口調はすごく優しいけど、めちゃくちゃ力があるでしょ。だから多くの人に読まれる、多くの人の心を打つのです。そしていつも直球。
橋下大阪知事が支持されるのも、やはり言葉に力があるから。もちろん実行力もある。一部の評論家からは「ハジズム(ファシズム)」などと批判されながらも、あえて過激と言われんばかりの言葉でうったえかける。ただ、橋下さんはすごく頭がいいので、あの辺もしっかり計算した上なんでしょうね。「暴力的に遂行する」などと、あえて過激な言葉を使う。本来、「暴力的」なんて言葉を使う必要ないことは本人も自覚しているはず。だけど、わざわざその手の言葉を使うことで、まずは振り向いてもらう。そして議論に乗っけてしまう。エコノミストの森卓さんなども、見事にやられちゃったわけですが。
話を戻しますが、やっぱり「言葉」なんですよね。この世の中ってのは。「はじめに言葉ありき」と言われたように、言葉が世界を創っている。そして自分自身の現実も、自分の発した言葉が創っている。今まで何度も「ブログに書いたことが次々実現してる」ってこと言って、その証拠も見せてきたと思いますが、これもまさに言葉が現実を創ったいい例でしょう。だけど、中には必ずしも書いたことが叶わないこともあります。その理由は簡単。言葉に力がないから。その力のなさってのは、発した言葉に「言い訳」など、批判されない予防線をたくさん張ってたりるするから。願望があれば言っていいじゃないですか。ストレートに。
言葉に力を込める。これは決して大声を出すとか、大量に発するとか、誰かを攻撃するってことじゃありません。一言で言うと「素直」になるってこと。もちろん何でもかんでも思ったこと言えってわけじゃありません。必要ないのに人の欠点を指摘しても意味ない。だけど、自分が伝えたい、表現したい、ってことは「素直」に言葉にする。そこには確かに批判や反対もあるでしょう。だけどそれと同じくらい、いやその数倍は「共感」してくれる人もいるわけです。私だってそう。今まで幾度となく批判されてきました。時にはへこむこともあり。だけど、その一方で理解してくれる人もいる、共感してくれる人もいる。昨年の8月に「地震予言」するブログがありました。それに正直、頭にきちゃって、対話を求めてコメント欄に私の電話番号まで載せたことありました。キチガイ扱いされましたが、私は人を不幸にする、何の根拠もない予言とかチャネリングってのが大嫌いなんです。それに噛みついたところ、たくさんの攻撃も浴びましたが、でもそれ以上に理解してくれる人もいた。特に被災地の方から、すごく喜ばれた。言ってよかったと思いました。
もちろん、私はこのまんまじゃダメってことも自覚しています。もっともっと人から愛されるような文章が書ければいいな~と思いますし、なるべくなら文章で人を傷つけたくもありません。だけど、批判されない、傷つけないってことにばかりフォーカスして文章を書くと、言葉に力が無くなります。商業出版物などは編集者がある程度丸くはしますけど、書いて3秒後にアップされる個人ブログなど、あまり考え過ぎると書けなくなります。そして例えば文章が一定の人の気に障るようなことになった。それによって私自身が不利益を被った。それは自業自得。学習すればいいのです。だけど、私のスタンスはあくまで自分の書きたいことを書く。これだけです。
言葉は世界を創ります。自分の現実を創ります。そのためには「力」が必要。力のある言葉を発するには「素直」になること。それは自分らしさでもある。そして真に自分らしい言葉を発することができたら、それは間違いなく人に伝わるものなんです。願望もまた、より素直に。自然に。それがそのまま現実を創るんです。それではまた明日。ありがとうございました。
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